山小屋

山の中の小さな小屋を思い浮かべる。決して大きくない、何も装飾品の無い、簡素という形容がぴったりくるような山の丸太小屋だ。木材に虫喰いの箇所が幾つか見え、所々ガタは来ているのがわかるが、まだまだ充分に人が暮らせる。とても上質な、ほんのり甘くて冷たい水が流れる沢が近くを流れている。川魚の魚影が時折光の差し込み具合の加減で見えたり見えなかったり。朝になると毎日決まった時間に鳥が鳴き出す。その鳥の鳴き声と差し込む朝日の交錯によって、眠りの世界は覚醒させられる。そんな、世界からこぼれ落ちたような、そんな場所だ。そこで、人生をリセットするかのように暮らしてみたい。

何も与えず、何も生まず、何も欲せず。誰からも必要とされず、誰をも必要としない。私の存在が誰かの何かを変える訳ではない、私が誰かから変えられる訳でもない。ただ純然たる「行為」として太陽が昇り、沈む。時が刻まれ、未来が減る。いや、その時には私は未来の存在すら考えない筈だ。過去の堆積である「現在」を、一定の時間の連続と捉え直す。

生活は、可能な限りシンプルにしたい。食事と睡眠と排泄と少しの読書。それで殆ど一日が終わる。意識的に「何もしない」ようにするのだ。最初の三日間程は時間の使い方に慣れていないから、妙にそわそわとする。仕方がない。一日の内にしなくてはいけない事をリストアップしていく。最も大事な仕事は、水を汲みに行く事だ。大きなポリタンク、満タンに入れれば20リットル入る。それを二つ分。生活に最も必要な物は、水かも知れない。そんな事を考えながら。

徐々に生活に慣れてくるのに従って、私は世界の成り立ちや時間の流れについて考える事が出来るようになって来る。そしてその瞬間の自らの「孤立」という立場に関しても。私が仮に今死んだとしても、それを知る人が果たして現れるのだろうか?少なくとも私の存在は今は無いも同然なのだから。他者の存在が自己の輪郭を明確にさせるのであれば、他者の存在を認識しない今、私の存在は滲んだ絵の具で書かれているかのように曖昧だ。

その刹那、輪郭の明確化。他者が現れる。唐突に、理不尽に男はそこにいた。顔中に生やした髭と、極度の近眼なのだろうか、度の強い事が容易にわかる眼鏡が印象的だ。そして何より目をひいたのは、男には右腕がない事だった。かつて腕があったであろうその空間を私が見つめていると、男は口を開いた。

「死にに来たか?」と

私は何とも答えられない。男の顔をじっと見る。男は一度私から視線を外し、顎先の髭を撫でている。男の癖の一つなのだろうが、その時の私には男が何か大事な事を手で触りながら確認しているように見えた。私が何かを口から発そうとすると、彼は再び視線を私に戻して口を開いた。ゆっくりと。だが良く通る声で。

「残念だが、お前はここで死ぬ事は出来ない。不思議な事だが、よくわかる。俺にはわかってたんだ、お前がここにやって来ていた事も。お前の事はあまり知らないがな。そうだろう?俺たちは初対面だ」

確かにそうだった。私は彼と初対面だったし、どこかで彼を見た事もない。私は彼に尋ねた。

「あんた、右腕がないのは生まれつきか?」

「違う。俺もここに昔やって来たんだ。その時に失った。俺は腕だけで済んだ。お前もここにいるんであれば、色々な物を失う。体の一部分もどこか失なうだろうよ。痛かったぜ。」

こめかみの横が鈍く疼いた。私は眼を閉じる。ここはどういう場所だと言うのだ?そして私は一体どこにやってきたんだ?ここはどこだ?

瞼を開く。目の前に男の姿は無い。唐突に消える。私は彼に聞きたい事はあと幾つかあったのに。

しかしまだ私はここを離れられない。例え腕を一本失う事になるとしても。さあ、水を汲みに行こう。

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