価値を相対化することは教育の使命である
以下、無料メルマガ「ふくしま国語塾・福嶋隆史の教育情報局」No.203の一部転載です。
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きのう・おととい、私が中高生に考えさせたネタをご紹介しましょう。
「学校と、塾・予備校はどう違うか。〈自他の観点〉で整理しなさい」
学校は強制されるが、塾・予備校は自分から行くものだ。
学校は義務だが、塾・予備校は義務ではない。
などと書いた子がけっこういました。
他人から強制されて取り組む場と、自発的に取り組む場。ということです。
もちろん、それは間違っていません。
しかし、常識的です。
私が子どもたちに示した解答例は次のとおり。
学校は、能動性を強制される。
一方、塾・予備校は、受動性を自発的に選択できる。
より分かりやすく言うと、こういうことです。
学校では、自分から動くことを他人から強制される。
一方、塾・予備校は、他人から受け身で学ぶことを自分で選べる。
──つまり、学校の「矛盾」を指摘しているわけですね。
おりしも読売新聞ではここ数日、ありがちすぎるアクティブラーニング特集が組まれています。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/renaissance/20201202-OYT8T50051/
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/renaissance/20201203-OYT8T50136/
こういうのは、茶番でしかありません。子どもだましです。
真の能動性を求めるなら、時間割を外せ。来ても来なくてもいいようにせよ。
真の能動性を求めるなら、クラスを分けるな、学年を分けるな、学校の枠を外せ。
つまり、時間・空間の枠組みを外せばこそ、子どもは完全に自由になります。
しかし、そんなことは無理な注文ですよね。
ならば、学校は積極教育を行うべきです。
そもそも、時間・空間の制約を設けている以上、強制の場である。
このことを自覚せよ、ということです。
きみたちも、たまにはそんなことを考えてごらんよ。
──と、そんな逆説的・挑発的な話を、私はここ2日間、子どもたちに伝えました。
これはひとつの例にすぎません。
子どもたちが縛られている「常識」の枠を外し、価値を相対化すること。
これは、教育に当たる人間の使命なのです。
こんな視点を持つための重要な知識技術の1つが、〈自他の観点〉です。
そして、この〈自他の観点〉をひときわ重視した本。
それが、今回の最新刊です。
なにしろ、344ページの本に「自他」で検索をかけると、33箇所出てきます。
ほぼ、10ページに1回登場するわけです。
今回の本は、単なる過去問対策本ではない。
そのことが、お分かりいただけたでしょうか。
『ふくしま式で最難関突破! 男女御三家・難関校 中学入試国語を読み解く』
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内容詳細→ https://www.yokohama-kokugo.jp/2020/11/26/newbook/
最新のYouTubeでは、今書いた内容について話しています。ぜひ。
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