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五輪組織委 森喜朗氏の「失言」追及に対して抱く違和感と危惧

以下、無料メルマガ【ふくしま国語塾・福嶋隆史の教育情報局】No.207(2021/02/11配信)の転載です(一部加筆修正済)。
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みなさまおひさしぶりです。福嶋です。
感染者数もようやく減ってきて、11月半ば以来の対面授業再開がようやく見えてきました。
オンライン授業にはオンライン授業のメリットがありますが、やはりリアル授業の良さを越えることはできません。
早く教室で授業したいものです。

ただ、当塾は「対面オンライン同時並行授業」を永続的に行っていきます。
せっかく全国、全世界に広がった機会を、「ふくしま式」の読者のみなさまに提供し続けたいと思います。

その「対面オンライン同時並行授業」における実際のZOOM画面を、このたびアップしました。
ぜひごらんください→ https://www.yokohama-kokugo.jp/2021/02/07/online_sei/

さて、標題。

は? 森発言問題が「教育」とどう関係あるのか? と思う方は、先に私のYouTube Liveのログをごらんください。

◆20210204 子どもたちには根拠ある「少数派」でいてほしい(森喜朗五輪組織委会長の失言問題を受けて)
https://youtu.be/ixS4ftJ3DL0

◆20210210 「差別とは○○である」等 本日の短作文について
https://youtu.be/6clwJ4Jv3Jo

では、詳しく見ていきます。

先に書いておきますが、私は右翼でも左翼でもありません。
政治に関しては、常に是々非々の判断しかしません。

さて、五輪組織委会長の森喜朗氏が、五輪のJOC臨時評議員会(02/03にオンラインで実施)で、くだんの発言をしました。
以下、朝日新聞デジタル抜粋(2021/02/03 18:04)です。
https://digital.asahi.com/articles/ASP235VY8P23UTQP011.html
(改行等一部改変)

森会長の女性理事についての発言は以下の通り。

これはテレビがあるからやりにくいんだが。女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね。だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか? 5人いるのか? 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。

なにしろここ1週間、テレビはこればかり取り上げていました。
新型コロナの感染者数が減っておりいわば「ネタ切れ」状態だったワイドショーや報道番組が、ここぞとばかりに飛びついたわけです。
今日(02/11)ついに森喜朗氏辞任の報が流れましたから、この「騒動」もまもなく収束するとは思いますが、それにしても本当に、異常なまでに時間をかけた報じ方でした。

読売新聞の世論調査によれば(2021/02/07 22:01)、森発言を問題視している人が非常に多いそうです。
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20210207-OYT1T50131/
これも抜粋しておきます。

読売新聞社が5~7日に実施した全国世論調査で、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言したことについて、「問題がある」との回答は「大いに」63%、「多少は」28%を合わせて91%に上った。「大いに」を男女別にみると、女性が67%で、男性の59%を上回った。

ということで、6~9割が問題視していると。
私がこの世論調査を受けたなら「多少は」を選ぶとは思いますが、その中でもかなり控えめなほうです。
「大した問題ではないが、ゼロではない」といった選択肢があれば、それを選びます。

たしかに、組織委会長としては発言が軽率であったことは否めません。
日本が、世界がどう反応するかを、予測する意識が必要でした。
だから、森発言を擁護するつもりもありません(そもそも私は、森喜朗氏のキャラクターが、好きではありません)。

とはいえ、たとえ公人の発言であるにせよ、今回のマスコミやネットにおける総攻撃は、やりすぎです。

まず疑問があるのは、強く攻撃している人のうちどれほどの人が、森喜朗氏のJOC臨時評議員会における「元の発言」を映像や音声でリアルに聴いたのでしょうか?
少なくとも私は、そういう「原典」たる映像等をウェブで探しても、見つけられませんでした。
マスコミも、私の知る限りでは「原典」を流していないようです。
その時点で私は、激しい攻撃などできないと考えました。
根拠が不十分なのですから。
言葉の意味というのは、前後の文脈でいくらでも変動するのです。

為末大氏が、「沈黙は賛同であると言われ、強く反省しています」と述べているようですが、根拠も手にしていないのに賛否を明示するほうが、よっぽど無責任であり、反省せねばなりません。

私の実感として、攻撃している人の8割は、タイトルレベルの「一文」しか見ていない。
「女性がたくさん入った理事会は時間がかかる」。これしか知らないで批判をしている。
残り2割が、先掲の朝日記事程度の文字起こしを読んでいる。
そんなところでしょう。
先の文字起こしを読んでいれば十分でしょうか? 私はそうは思いません。
ふだん読解指導をしていてよく知っていますが、あれっぽっちの長さでは、「文脈」は分かりません。
つまり、「一文」でなく原典に当たったとしても、十分な根拠は得られない。

そんな中、攻撃している人のほとんどはおそらく、そういう原典を自ら確認することなく批判している。
あるいは、文字起こしを見たのだからそれで十分だと思っている。
番組冒頭でナレーターが「森会長による女性蔑視発言によって、……」などと語り出すのを、鵜呑みにしている。
「女性蔑視発言」と、決めつけてよいのでしょうか? 本当に?

マスコミによるこうした意識操作は、警戒して「し過ぎ」ということはないのです。

一方、一部の冷静な人は、「森さんは終盤で組織委メンバーの女性を擁護している」と語ります。
それは、1つの大事なポイントです。
実際、そういう目で見ただけでも、執拗な攻撃の根拠は薄れます。
橋下徹氏なども、そう言っていました(今日のミヤネ屋で)。
しかし、「だから森さんは間違っていない」というのもまた、私の考えの方向性とはちょっと食い違います。
女性批判と女性擁護。どちらが森氏の主張かといえば、おそらく批判でしょう。
つまり、女性を理事会にたくさん入れたいとは思わない、という主張です。
終盤のメンバー「擁護」は、付け足しです。
ちょうど、謝罪会見で「女性と男性しかいないんですから。もちろん両性というのもありますけどね」と言ったらしい、その「両性」に当たるレベルの付け足しです。自己弁護の付け足しです。
だから、終盤を根拠に森発言を擁護するのは、ちょっとおかしいと思います。

じゃあ何が問題なのか。私はいったい何を危惧しているのか。

それは、「性差」に言及する発言はすべて「差別」だと批判されてしまうような世の中になりつつあるのではないか、という危惧です。

肉体は精神を支配しています。肉体的な性差は厳然と存在します。ならば精神的な性差も当然に存在します。
そんな性差に言及することもすべて「差別」だと言われるような社会ならば歓迎できません。
性差はいわば「彩」(あや)です。
男がいる。
女がいる。
だから、楽しい。
男と女には、違いがある。身体も、感情も、理性も。
そういった性差の認識は、それによって社会的立場の上下を決めたりしない限り、価値あるものです。

男性は~、女性は~、という主語で語ることの全てが差別であるはずがありません。
そういう発言を全て批判するような、平坦で無味乾燥な世の中は、「平等」とは違います。

性差に言及したとしても、それによって理不尽に賃金を上下させたり、社会的権利を奪ったりするようなことをしない限り、それは許容されるべきです。

しかし、昨今の攻撃的風潮、ネットリンチ社会は、それを許容しない方向に向かっています。
なにしろ、ユーモアを交えた程度の「笑い飛ばせる」レベルのテレビCMでさえ、批判を浴びて放送中止に追い込まれたりするのですから。

そういうものを笑い飛ばせる人が少ないのであればそれは、まだ男女平等が身近なものになっておらず、人々に不満があるということを意味するのでしょうから、その点は真剣に考えなければなりません。たしかに「ジェンダー・ギャップ指数2020」(世界経済フォーラム)などを見ると日本は153か国中121位。そういう不満があるのはもっともなことなのかもしれません。

しかし、本当に「身近なものになっていない」のかどうか。私個人の狭い経験の範囲では、男女平等の感覚は世間にかなり浸透しているのではないかと感じます。この「指数」は極端すぎる気もします。
この指数を大きく下げている政治分野についても、たとえば都知事は女性です。横浜市長も女性です。総理にこそ女性はいないけれども、国会でも女性議員が大きな声で主張を訴える姿を目にしますし、そこになんら違和感を覚えません。
この女性たちは、「理事の4割を女性に」といった「配慮」によって、つまり外的な操作によって誕生した人たちではありません。純粋に、さまざまな男性たちの中を勝ち上がって当選した人たちです(まあ当選後の要職の起用に当たっては何らかの配慮があったのかもしれませんが、そもそもの選挙においてはそんな配慮で勝ったわけではありません、市民が「この人を」と思って投票した結果なのです)。
そうしたことも含め、少なくとも市民の意識レベルにおいては、男女平等はかなりのラインにまでたどりつきつつあるのではないかと思います。

そもそも、本当に平等を求めるのであれば、「理事の4割を女性に」というような発想は疑問です。それ自体が女性を特別視していることにはならないでしょうか。組織委会長の後継には女性を、などという配慮もまた、同様です。
現代は、もうそういう時代ではないような気もします。

森氏も、そういった視点で批判すればよかったのです。
「女性を4割まで増やすとか、無理にそういう数値設定をすること自体が差別的なんじゃないですか」などと。
そういう言い方をすれば、まだ受け入れられたはずです。

私は、もしかしたら森氏はそういう発想も併せ持っていたのかもしれない、と思います。
「話が長い」ということは、あくまであの場の「文脈」で思いついた理由づけであって、実はそういう発想が根本にあったのかもしれません。

長くなりました。

まあとにもかくにも、今回の森喜朗発言をめぐるマスコミの扇動と、それを無批判に鵜呑みにする国民の反応は、情けない限りだと思います。
特に、「我々は時代の最先端!」というような顔で会見における森氏を批判した記者。
あるいは、偉そうに差別批判を展開している番組コメンテーター。
不快でしかありません。
あなたがたの頭の中には、差別が一切ないのですか? と、問い詰めてあげたい気もします。
もう少し自分を振り返ってから、人を批判しましょう。
いつか、ブーメランで返ってきますよ?

それから、SNSでハッシュタグをつけるなどして「手軽に」森批判をしている人たちも、疑問です。
彼らは女性蔑視を問題視しているというより、ふだんやっている政権批判に今回の「失言」を利用しているだけという人も多いのではないでしょうか。
それは、マスコミとて同じです。

繰り返しますが、私は右翼でも左翼でもありません。
森氏を擁護したくて言っているのではありません。
単に、社会がおかしな方向に向かっていくことを、危惧しているのです。

大事なことを書き忘れていました。

私は、こうしたテーマをタブーにせず、授業で扱っています(特に中高生対象授業)。
先のYouTube Liveでも具体的にその内容を語っていますので、あらためて見ていただければと思います。

価値を相対化すること。
常識を排し、逆説化すること。
世論調査で少数派に入るような意見でも、根拠があるのなら世に訴えるべきだということ。

そういうことを指導するのは、まさに国語教育の役目です。

そんな意識も散りばめられた最新刊、まだの方はぜひ。

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内容詳細→ https://www.yokohama-kokugo.jp/2020/11/26/newbook/

さて今号は以上です。また次号にて。

あ、そうそう。
森発言批判を批判している意見が、ようやくちらほら見えてきましたので、リンクしておきます。

ブラマヨ吉田「ここまで騒ぐことなのか」→ https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2730381/
森会長の「女性蔑視発言への過熱報道」に違和感を覚える理由→ https://diamond.jp/articles/-/262295

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