中学入試国語の“超矛盾あるある”
以下、無料メルマガ「ふくしま国語塾・福嶋隆史の教育情報局」No.202の一部転載です。こちらの記事とも共通した内容です。
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今日は「中学入試国語の“超矛盾あるある”」をお届けします。
筆者の主張「唯一の正解を求めるな。正解のない問いを考え続けよ。それが賢さである。いわゆる頭のよさとは異なる」
問い「筆者のいう頭のよさとはどれか、適切なものを1つ選べ」
答え「テストで適切な記号を選べること」
(鷲田清一の文章の主旨/早稲田中学校2017年の設問主旨)
お分かりでしょうか。
これでもかというくらい「正解のない問いが大事! 唯一の正解を求めるな!」と主張している題材文を、「唯一の正解」を見つけなければならない入試問題に出題するという矛盾。
「賢さ」とは正解のない問いを考え続けることであり、「頭のよさ」とは唯一の正解を見つけるような"能力"のことだ。
だから、「頭のよさ」より「賢さ」を大事にせよ。
──そう主張する文章をもとに「頭のよさ」とは何かと問い、「テストで適切な記号を選べること」という選択肢を用意し、それを選ばなければ点数が取れない問題を与えるという矛盾。
筆者を、受験生を、バカにしているのかと思わざるを得ません。
ただ、私は「正解のない問い」という言葉が嫌いです。
教師向けの本、『国語授業力を鍛える! 手ごたえのある指導ができる教師の技術』の「はじめに」を引いておきましょう。
私は美辞麗句が嫌いだ。
教育界にはびこる美辞麗句には、いろいろある。
自主性尊重。豊かな関わり合い。学び合い。アクティブ・ラーニング。課題解決力。教科横断的学習。
どれも、うさんくさい。
ひとことで言えば、これらはいずれも「実体」がない。
そして、こと国語教育に関しての美辞麗句と言えば、「国語の答えは一つではない」という言葉がある。「国語」と「算数・数学」の違いを子どもたちに問うと、彼らは既成事実であるかのようにこの言葉を持ち出す。
根づいているのだ。冗談じゃない、と思う。
国語の答えは、一つである。
一つの正解を導き出すことのできない子どもが、多様な正解を導き出すことなどできない。一つの正解を引き出す問いを発することのできない教師が、多様な正解を生み出すことのできる子どもを育てることなどできない。
この本は、実体のある「技術」を追究した本だ。
読み終えたとき、「国語の正解は一つである」ということの意味が、確かな手ごたえとともにあなたの眼前に現れるであろう。
そのときから、あなたの授業が変わる。そして、子どもが変わる。
その日を目指して、じっくりと読み進めていただきたい。
ということですから、私は鷲田清一氏の主張は胡散臭いと思います。
しかし、早稲田中学校もそう考えているのかといえば、きっと違います。
早稲田中は、鷲田氏の主張に賛同したうえで、その主張とは矛盾する選択問題を受験生に課しているのです。
もし私が出題者なら、最後にこんな問いを設けます。
「筆者の主張をもとにすれば、この入試問題自体が矛盾していると言える。その意味を説明せよ」
そこまでやるのなら、「矛盾」とは思いません。
むしろ、見上げたものだと称賛したいですね。
こうした矛盾は、中学入試に顕著です。
大学入試にもなると、あまり見られません。
要は、子供騙しなんですね。
バカにするな、と言いたい。
「賢い」受験生は、苦笑を浮かべながら選択肢を選ぶでしょう。
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