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2021年 大学入学共通テスト(国語)第1問ピンポイント解説

全体的な感想などはYouTubeで語ったのでぜひごらんいただきたい。このページでは、もう少し具体的な話をする。

1.17の夜にLIVE配信した、共通テスト国語に対する概観解説YouTube

私はひごろ初見の入試読解問題に当たるとき、ヨーイドンで時間を測って取り組むということはしない。少なくとも「授業で教えるために読む」ということが習慣づいてからは、そういうことをしなくなった。

授業で教えるために読む。それは、「設問に向き合う」だけでなく、「文章に向き合う」ことを意味する。

私は常々子どもたちに、まずしっかり文章全体を一読せよ、そのあとで設問を解け、と指導している。もちろん、現実的には時間の制約からそれが難しいことも重々承知しており、問いを解きながら読むのもやむなしと思っている。

とはいえ、「設問を解ける」ことと「文章が分かる」ことは別である。スピードをつけて斜め読みし、設問に答え、正解できたとしても、文章の意味を本当に理解したとは言えない。よほど優れた設問ならば別だが、センター試験、そして共通テストのような問いでは、真の理解には到達できない。真に理解していなければ、指導は難しい。だから、私は時間をかけて全体を読む。基本的には、子どもたちにもそういう姿勢を持ってほしい。

「設問を解ける」ことと「文章が分かる」ことは別だと書いた。たとえば、今回の共通テスト第1問が全て正解したとして、下図のような理解に至っている受験生がどれだけいただろうか。

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まあ私とて原典を通読したわけでもないし(Kindleで買って断片的にチェックはしたが)、これが「真の理解」だとはまだ言い切れない。しかし、だいぶ整理できたとは思っている。少なくとも、今回の出題範囲(原典の序章の一部)については。

上図を見ながら、ぜひ本文(産経版)を再読していただきたい。その上で、あらためて設問に当たってほしい。そうすれば、驚くほどスムーズに解けることが分かるだろう。これが、「読解」のあるべき姿である。

ただ、共通テストというのは結局のところ、他の受験生との差が分かる程度に能力を数値化したデータを各大学に提供できればそれでよい。国語力なら国語力を絶対評価しているようでありながら、それと同時に相対評価もしている。
つまり、共通テスト国語は、「国語力を測るテスト」でありながら、結局は「国語力の差を測るテスト」なのだ。そのためには、マーク式で十分――。そういう了解がセンター試験には存在していたし、今回もそれが引き継がれている(記述式をめぐる諸問題はあったけれども)。
要するに、「真の読解」など求められていないわけだ。

しかし、大学に入ってからの学問は、打って変わって「じっくり」行われる。時間をかけた真の読解が、求められる。

高校生のうちから、素早く選択肢を選別し正解を選び出すことに慣れすぎてしまうのは、やはり考えものだ。

さて、そろそろ設問の解説をしておこう。
問2~4はそのまま記述設問になりうる問いであり、重要度が高い。このうち問2と問4のみ解説しておくことにする(問3の考え方は問2と同様なので省略する、無料なのでご容赦)。問5もほぼ省略する。はっきり言って嫌いなタイプの設問である。「生徒の学習プロセス」を体現したつもりなのだろうが、無駄な演出である。

問1 センター試験では5つあった各選択肢が、4つに減った。難易度を下げようとしたのか、4つでも難易度に変化が出ないと思ったのかは分からない。あるいは、5つ用意しようとすると作問に手間がかかるのかもしれない。それはさておき、「援用」は圧倒的に正解率が低かったと思われる。批評を好んで読んでいるような受験生でないと分からなかっただろう。しかし重要度は高いのでよく調べ、覚えておきたい。

問2 「民間伝承としての妖怪とは、そうした存在だったのである」と書かれているから、単なる指示語設問である。「そうした」の指示範囲を確認すると、3段落でほぼ完結している(4段落とも関連はある)。3段落の中で妖怪を定義した文が2つある。
定義1「妖怪はそもそも、日常的理解を超えた不可思議な現象に意味を与えようとする(ものである)」(3段落1行目)
定義2「(意味論的な危機に対して)意味の体系の中に回収するために生み出された文化的装置が『妖怪』だった」(3段落5行目)
1,2ともほとんど同じことを述べており、1だけで解答可能だが、一読した段階でどちらもマークしておきたい。
鉄則13 定義にマークし、定義を使え。ふくしま式22の鉄則
1は主語タイプの定義:◯◯とは、Aである。
2は述語タイプの定義:A、それが◯◯である。

両タイプがセットで出てくる文章は多い。
ともあれ、これらの定義に合うのは①しかない。難易度は低い。
②は「フィクションの領域においてとらえなおす」と言っており、「(妖怪は)切実なリアリティをともなっていた」という部分(これも定義の続きである)に反する。
③は「不安を認識させる」、⑤は「危機を生み出す」と言っており、どちらも本文と正反対。不安や危機といったマイナス要素を解消するのがここでの妖怪である。「秩序ある意味世界のなかで生きていく必要性から生み出された」という部分からも、妖怪がプラスの意味合いを持っていることが分かる。選択肢で迷ったら、こうしたプラス・マイナスの方向性を意識するのが基本。
今書いた「必要性から生み出された」というのが、この文脈におけるリアリティの意味である。逆に娯楽としての(フィクションとしての)妖怪には「必要性」が薄い。④で用いられている「リアリティ」には、この「必要性」の意味が含まれていない。それゆえ、とんちんかんで本文と噛み合わない文になっている。しかし、こういう選択肢ほど引っかかりやすいところがあるので気をつけたい。やはり大事なのは、他の選択肢を読まずに済むほど「ズバリこれ!」と確信を持てる選択肢を見つけられるようにすべく、「まずは選択肢を見ないで考える」ことである。妖怪の定義を問われているんだな、さてどこに書いてあっただろうか、これこれこういう内容だな――とある程度認識し、しかるのちに初めて選択肢を見る。ちょっと時間はかかるが、その分、ニセ選択肢で迷う時間は減る。
すなわち、記述と同じように頭を使え、ということだ。それができる問いが、良問である。問5はそれが難しい。ゆえに良問ではない。

問4 妖怪の「表象」化とは、どういうことか。この問いが、今回の評論読解では最も重要だと思われる(本来ならば記述で答えさせたいところだ)。「化」だから、変化である。あらゆる変化は、対比の骨組みを持つ。11~14段落というある程度幅広い文章の中に、どれだけその骨組みを見いだせるか。これが問われている。
13段落の前半に、次のような内容が書かれている。
【かつて「記号」は所与のものとして存在していた。しかし、近世においては、作り出すことができるものとなった】
「所与(与えられたところのもの)」と「作り出す」との間には、「受動」「能動」の対比がある。「しかし」という接続語に注目し、その前後をくらべながら言いかえることさえ心がけれていれば、こうした理解は可能である(鉄則6「隠された対比関係を見つけ出せ。それが読解の第一の作業だ」)。
同段落では神霊と人間も対比されている(「神霊の支配を逃れて、人間の完全なコントロール下に入った」)。
つまり、「神霊から受動的に与えられる」記号と、「人間が能動的に作り出す」記号。この、正反対のベクトルを図形的につかめたかどうかが、まず重要となる(先の図を参照してほしい)。
そして、13段落の最後にある「述語タイプの定義」の内容に注目すると、人間の支配下にある記号を表象と呼ぶ、と書かれており、記号は記号でも表象は別物ですよと強調されているのが分かる。
ではどう別物なのか。14段落冒頭を見る。
【「表象」は意味をを伝えるものであるよりも、むしろその形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」である】
この1文を理解するためにも、先ほどと同様、くらべながら言いかえる技術が要求される。先ほどは「しかし」が対比のマークだったが、今回は「よりもむしろ」である。
「アはAというよりもむしろB」
「アはAではなくむしろB」
最も重要と言ってもよい、逆説的定義の型である。小学1~3年生向けに書いたふくしま式ベーシック問題集にも当然登場する(P.61)。
この「よりもむしろ」の前後をチェックすると、「意味 ←→ 形象性」というところに対比が隠されていることが分かる(分からなければならない)。
意味内容がある記号と、形だけの記号。
内的意味を持つ記号と、外的な形だけの記号。
そういうことだ。
さらに、14段落の3行目には、表象とはまさに現代のキャラクターである、と書かれており、キャラクターとなった妖怪はリアリティを喪失しフィクショナルな存在として娯楽と化した、とも書かれている。
以上の内容を統合すると、次のようになる。
【中世における妖怪は、神霊から与えられた「意味を持った記号」であり、リアリティを持っていた。一方、近世における妖怪は、人間が作り出す「形だけの記号」であり、それはフィクショナルなものである】
このあたりを図示したのが、先の図である。
そして、こうした理解を得られてさえいれば、選択肢②を選ぶのは、あまりにも容易である。
こうした理解のもとに選択肢を選ぶこと。それが、読解の王道である。

問5 (ⅰ)は、単に「意味段落に見出しをつけよ」と指示すればよいだけの問いである。わざわざ「ノート」などという演出を盛り込む意味はない。紙面の無駄である。まあしかし、当初の予想では図表・写真・イラスト・グラフなどの非連続型テクストが出ると言われていたことを考えれば、これでも「無駄演出」は最小限に減らされたわけであり、歓迎せねばなるまい。
(ⅱ)は、先に示した図の中の「近世→近代」を考えさせる問いである。問4で考えた近世の内容と、あとは16段落を読めば、さほど難しくない。ただ、先に示した図のように中世からの流れの中で全体像を描くには、時間がかかる。そういう時間をかけたプロセスを踏んでこその理解であり、こんな穴埋め選択問題で理解したつもりになってはいけないということを、世の教師・講師は常に生徒たちに言い聞かせなければならないだろう。
(ⅲ)はYouTube Liveでも話したが、たちが悪い。記述ではとうてい答えられない、クイズのような問題だからだ。よって、これを解説する労力は省こうと思う。

それにしても、これもYouTube Liveで話したことだが、この本文には妖怪の具体例がほとんど登場しない(冒頭の鬼・天狗という言葉だけである)。しかし原典を見ると、この引用範囲の前には、たとえば「となりのトトロ」や「ポケットモンスター」など、チョー分かりやすい具体例がたくさん挙げられている。それこそが「表象」(キャラクター)の具体例であり、これが書かれていれば問4は理解しやすくなっただろう。もちろん、難易度調節のためにも文章の長さ調節のためにも、省かざるを得なかったのかもしれないが、筆者の具体化の労が軽視されているようで、いたたまれない。

以上、無料にしては長く書いてしまった。
なんにせよ、私の「センター試験/共通テスト」に対する評価は今回も全く変わらなかった。
マーク式には限界がある。国語力を測っているとは言い難い。
本当は記述にすべきだ。でもできない。
ならばどうするか。
センター試験も共通テストも、やめるべきである。

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