アートやデザインの視点から、西会津の魅力を発信
「ふくしまおこしびとPlus」ではふくしまの地域づくりに関するキーパーソンや関係人口の方に、福島の魅力や想いをお話いただきます
◤矢部佳宏さん(やべ よしひろ)さんプロフィール◢
ランドスケープ・アーキテクト、デザイン・コンサルタント。東京、カナダ、中国(上海)を経て、西会津奥川の楢山集落にある先祖代々の家に移住。360年続く集落を19代目として継承しながら、分散型・集落滞在型古民家ホテルNIPPONIA楢山集落や西会津国際芸術村ディレクターなど、“故(ふる)くて新しい未来”の風土性(ふうどせい)、暮らし方、社会・資源・経済・人材の持続可能な循環による生態系について探求・実践している。一般社団法人BOOT代表理事
一般社団法人BOOT(ブート)
Uターンのきっかけを教えてください。
3歳まで西会津町で暮らしていました。父の仕事の都合で石川郡石川町やや喜多方市などに引越し、小学校4年生から高校卒業までは喜多方市にいました。その後、新潟県長岡市にある長岡造形大学に進学。そこでは、環境デザインといって、インテリアデザインからまちづくりや都市計画、建築、伝統的建造物保存、ランドスケープデザインが学べたのですが、大学4年生の卒業研究で、西会津町奥川の楢山集落(私の先祖代々の家で、当時は祖父母が在住)の研究を行いました。その研究にハマってしまい、大学院まで進学して持続可能な農村風景デザインについて研究しました。そこで人間と自然の共生のシステムの本質を学びました。その後、東京の上山良子(うえやまりょうこ)ランドスケープデザイン研究所(大学の恩師であり、私のデザインの師匠)で働くことになり、その先はカナダ、中国(上海)などでランドスケープデザインに携わってきましたが、西会津町で学んだことが根底で大きく役立っていました。ですので、高齢になったら楢山集落に戻って跡を継ごうと思っていたのですが、東日本大震災が発生したことで、故郷の衰退が早まり、高齢になった頃にはもう住めない状況になっているのではないか、との危機感を抱き、2012年に楢山集落に戻りました。
西会津町の地域課題はどのようなところですか。
西会津町は福島県でも高い高齢化率と、年に150人から200人の人口減少、それに伴う経済の衰退や、農業の担い手不足により、獣害も増え、地域の美しい風景が失われつつある状況です。私の住む奥川地域では、500人ほどの人口に対し、50歳以下が30人ほどしかいないことから、地域の消滅が現実的に近づいてきています。
そのような地域にあり、関わっている西会津国際芸術村は、今から20年も前に開村した文化交流施設で、もともとは海外のアーティストが滞在し、隣の小学校の子どもたちと国際交流をしながら、国際感覚や文化を育成していこうという施設でした。ところが、十数年前に隣の小学校も閉校になり、過疎高齢化の勢いがさらに強まったことから、関係人口や交流人口の創出が重要になってきました。そこで、アートやデザインの視点から、地域の魅力を様々な形で発信することで、西会津町に関わりたいという人を増やしていくことに努め、入館者数や滞在アーティスト数も増加し、西会津国際芸術村を通じた移住者の数も徐々に増えてきました。このように、町の魅力を町内外に伝え広めていくことが大きな役割となっています。
西会津町の良さはどのようなところですか。
町全体としては、雄壮な飯豊連峰が眺められること、江戸時代から大きく変わっていない集落の家の配置や築100年から300年の古民家がたくさんあること、寒暖差が生み出す川霧や雲海と、美味しいお米ですね。
私が西会津町に戻る前から西会津国際芸術村などのアート施設があったことや、百歳の挑戦というような高齢福祉の充実したところなど、いつの時代も他に先駆けて先進的な取り組みをしているところなどが良いところだと思います。
今後取り組みたいことがあればおしえてください。
年々どんどん解体されてしまっている古民家や、耕作放棄地となってしまう農地などを、新たな人の流れや経済を生み出すことで保全し、故くて新しい風景を未来に引き継いでいきたいです。そのために、自宅の蔵や農作業小屋を再生してホテルをつくったり、地域づくりの協議会を立ち上げたり、資源循環型社会の実現のための勉強会を開催したり、web3.0を活用した風景保全の仕組みなど、様々な取り組みを進めています。