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婆ちゃんの初盆

婆ちゃんの初盆

母方のばあちゃんの初盆でした。
僕にとって最後の祖父母でした。
この数年間で親族でいろんな方が亡くなりましたが、母は、ばあちゃんの死が1番悲しそうでした。写真を見たり、思い出話をしたり。僕の知らなかったばあちゃんの事を教えてくれました。そんな母から、知らなかった母の一面を知る事ができました。なんかそれが嬉しかった。
鹿児島に帰ってきてから両親と共に過ごす事ができ、2人の事を前よりも少し知れたような気がしてます。

2年間の介護生活

母曰く、婆ちゃんはとても怖い存在だったらしい。
小さい頃から叩かれ、怒られ育ったらしい。じいちゃんは温厚で、婆ちゃんに怒られてはじいちゃんに慰めてもらっていたとの事。
今回の盆は、そんな幼少期の話や、じいちゃんが死んでからの事。そして、ばあちゃんの介護の話を聞かせてくれた。
小さい頃おっかなかった母親を介護することは、体力以外の面で心の整理が必要だったそうだ。
母を自分の子供の様に思う。これが介護に関わる時の母親の決意だったそう。雨の日も、風の日も食事が終わると約1キロではありますがばあちゃんの家に行きお世話をしたそうです。なかなかうまくいかない事もあり、喧嘩や困った事もあったみたい。けど僕には笑いながら、幸せな2年間だったと言ってくれます。
施設の枠ができ、ばあちゃんの介護の負担が減った際に両親が福岡に来てくれた事がありました。今までのこと、そして、これからの事を話してくれました。
婆ちゃんは痴呆ではあったけど身体的には元気で、施設のお友達もでき、それはそれで幸せそうでした。

分ける喜び

婆ちゃんの施設に三人で行った時の事。
僕の事を覚えていない婆ちゃんでしたが、3時のおやつのクッキーを半分僕にくれた事があります。
小さいクッキーでしたが横に座っている僕に半分くれました。
僕はこの人の血を継いでる事を嬉しく思い、分ける喜びを教えてもらった様な気がします。
母も人の為に全力で動く人。コロナが蔓延して来た時にうちの従業員全員のマスクを作ってくれたり、共働きの親族によく差し入れをしている。
婆ちゃんそっくりだ。
母は婆ちゃんに似ている。
似てるから合わない部分もあるのだろう。
けどその分、いなくなったら悲しいのかもしれない。

婆ちゃんの死

それは突然でした。
令和3年1月26日。僕の退職日が決まり鹿児島に帰る段取りが始まる頃、婆ちゃんは体調を崩し、一度は良好になったが次の日に亡くなった。
体調を崩すまでも元気で、施設に親友もいた。と母から聞かされた。
施設の親友も母もきっと突然の別れに悲しかっただろう。
不思議と涙は出なかったらしい。
しかし、一緒に支えあった父親の
「よく頑張った!」
という一言で、婆ちゃんのお世話、婆ちゃんとの人生が終わった事に気づき
号泣したという。
母親をずっと支えていた父親もすごい。

まだまだ知らないことばかり

親子でも完全には分かり合えない。
見たくない所まで見えてしまうかもしれない。
いずれにせよ、強く生きないといけない。
僕が福岡で生活していた18年を埋める様に今、お互いの事を知ろうとしている。とても幸せな日々を過ごせていると思う。
残り少ないこの生活を婆ちゃんやご先祖様に感謝して過ごそうと思います。

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