AI時代に必要な教育とは

 私たちが今回のディスカッションで出した答えは「意味を考える」教育だ。
私たちはなぜ勉強をしているのだろうか?明確な志を持っている人は少数だと思う。なぜならみんな勉強の意味を考えないからだ。「大学に行くため」というが、そもそも大学に行く意味はあるのか。繰り返しすぎると哲学的な問題にたどりついてしまうが、ある程度は自分の中で答えを持っておいた方がいいと思う。

  そもそも大学の存在意義とは、専門性の高い人材を輩出することである。1950年代の大学進学率は約10%であり、約9割の人は大学に行かない。これが本来の姿である。これは別に大学にみんなが行くことを否定しているわけではなく、大学に行かなくても高校までに教養がある人を育てなければならないのだ。今で言うとAIに負けない人材だ。

 そのためにはまず、全体主義的な教育を廃止すべきだ。集団行動、前ならえ、気をつけになんの意味があるのだろうか。やり抜く力を育てると言う建前のマラソンだって全く意味はないだろう。
また、知識より感覚を重視する教育をすべきだ。今の美術や音楽では筆の使い方やリコーダーの吹き方を知識として学び、感覚より指を使っている。私たちはそれよりも感情を重んじるべきだと考えた。鑑賞ではその背景にある知識とともに細部までじっくりと観察し自分なりの感想を持つのだ。

 かつての日本ではずっと、ドリル、穴埋め、パターンのはめ込みなどの「マシン化」をしてきた。AIが台頭してくる中ではどうしても代替されてしまう未来を受け入れてしまうことになる。そうなる前に私たちは勉強の意味をもう一度考えなければならない。そして大人は子供に勉強の意味を考えさせなければならない。果たして大学に行くことが勉強する意味なのか、学校で学ぶことが最善の道なのか、自分で考えて選択していかなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?