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世界の貧困に立ち向かう

2030年までに持続可能な社会を実現するために設定された「SDGs(持続可能な開発目標)」。貧困の問題は17ある問題の1つ目であり、その問題を知らない人はいない。しかし多くの人がそれから目を背けているように見える。それは貧困の問題を解決することがとても難しい上に、自分とはかけ離れた存在と認識しているからではないだろうか。つまり、自分には関係ないことだと思ってしまうのだ。しかしそんなことはない。今こそ世界の貧困の現状を知り、その対策を考えてみよう。

まず、貧困には二種類がある。定義は以下の通りだ。

絶対的貧困:食料や衣類など人間らしい生活の必要最低条件の基準が満たされていない状態
相対的貧困:国や地域など一定の母数の大多数より貧しい状態

数値的な定義は国や地域によって違う。ちなみにSDGsでは、一日1.25ドル以下で暮らす人々をゼロにし、あらゆる定義における貧困の人々を半減させることが目標として掲げられている。また、世界銀行は貧困を一日1.90ドル以下で暮らす人々と定義し、2015年時点で世界に7.3億人、つまり10人に1人は貧困にいると言われている。この数字を大きいと思うか小さいと思うかは一人一人の感性による。さらに日本における相対的貧困の定義は年収が122万円以下の人々だ。特に子供の貧困は大きく問題視されており、7人に1人の子供は相対的貧困にいるのだ。このように、アフリカや東南アジアのみならず我々が住んでいる日本にさえ程度は違えど貧困はあり、関係ない人間などいないのだ。

今回のテーマは「世界の貧困」。SDGsが定義する一日1.25ドル以下で生活する絶対的貧困層にいる人達を減らすための案について話し合った。いくつか案がでたが、共通して出た言葉はやはり「教育」と「雇用」だった。この二つが欠けていることで「貧困」は負のスパイラルから抜け出せず、絶対的貧困を根絶するにはそれらを先進国が提供しなければならない。アプローチの方法は大きく分けて二つだ。一つずつ解説していく。

一つ目は「貧困の地域から留学生を先進国に招き、教育と雇用を提供する」という方法だ。メリットは今すぐにでもできるというところにある。少しでも早く、少しでも多くの人を救うのであればこちらの方が妥当だろう。しかし貧困地域は依然存在するため、完全な解決にはならないのがデメリットだ。イメージは以下の通りだ。


どこで留学生の面倒を見るのかについては、まだまだ話し合いの余地がある。今回は「姉妹都市」として連携するという意見が出た。町単位で留学生を迎え入れ、その町にある企業に教育と雇用をしてもらうという案だ。確かに実現すれば多くの貧困層を救うことができるが、果たしてそのようなことを企業がしてくれるだろうか。雇用するなら日本人の方がいいし、人件費を安くすればもちろんバッシングを受けるだろう。そのため、あえて貧困層出身の人を雇用することはボランティアとほとんど変わらなくなってしまう。SDGsに貢献していたり、ダイバーシティを実現していたりとネームバリューの向上にはなるかもしれないが、デメリットがあまりにも多すぎる。今すぐにもできる方法かもしれないが、やはり「優しさ」という曖昧なものを考慮しない限り日本でやる企業は少ないだろう。

二つ目は「先進国の人が貧困地域に赴き、ともに現地の開発を進める」という方法だ。こちらのメリットは貧困地域に発展をもたらすことで貧困を根本から解消することができることだ。しかしこれをするには膨大な資金と人材と時間が必要になるため、行動に踏み切るまでにたくさんの準備がいることがデメリットだ。イメージは以下の通りだ。


貧困をビジネスとして捉えると、どうしても貧困層からお金を取ることになってしまう。だからこそ先進国が貧困地域に赴き、一緒にお金を稼ぐのだ。大企業は貧困対策のための部を作ることによって、我々は貧困のための民間組織を作って投資を得ることによって、貧困地域での経済活動を実現させる。ここでいう経済活動とは、雇用を増やし、さまざまな技術(農業・工業・医療・建築・言語・コンピュータなど)を伝え、インフラを整え、売買を行い、市場として自立させることだ。それが実現すれば貧困地域は立派な街となり、大きな収益源になるのかもしれないのだ。そしてそこで得た利益でしっかりと投資家へリターンすることができる。だがしかし、これは大きな理想論に過ぎず、利益を得られる保証はどこにもない。明らかに前例はなく、成功するかどうかわからない。投資に対してリターンできるかは不明瞭だ。リスクが高いこともこの方法のデメリットではあるが、それでも投資をしなければ、貧困地域を発展させることはできないのではないだろうか。これが新たな市場を開拓する新しいビジネスモデルになると考えることもできる。

貧困問題を解決するには、見返りを求めずに貧困に身を尽くす姿勢が必要なのだ。「愛」や「優しさ」などは綺麗事かもしれないが、やはり人間社会においては必要不可欠な要素であり全ての問題を解決する鍵となるものだ。最初に言った通り、全ての人が貧困という問題に関わっていて全ての人にできることがあるのだ。私たちが貧困で苦しんでいる人を「力不足」や「しょうがないこと」と言ってまとめることは非常に簡単だ。そう考える人ももちろんいるだろう。これを読んでいる皆さんはどう考えているだろうか。「可哀想」「助けたい」と思うならば、ぜひ行動に移してみてはどうだろう。できることなら寄付や募金などの間接的な扶助ではなく、現地に行くあるいは日本に招くなどして直接手を差し伸べてほしい。私もいつか貧困を直接助けるような活動をしてみたい。そうすれば貧困で苦しむ人は減り、新たな土地を、人を、ビジネスを開拓することができる。「優しい開拓」これが今回の結論である。

最後にもう一つでた意見を紹介しよう。そもそも絶対的貧困の原因は先進国の発展が早すぎたことによる。つまり途上国には現在進行形でゆっくりでも発展があり、それによって自然に絶対的貧困は解消されていくということだ。そのため国内の相対的貧困の人たちがより浮き彫りになり、問題視されるようになると予想される。そこで最も必要になるのは同じく「雇用」だ。雇用を増やすためには産業を増やさなければならない。産業を増やし、雇用を増やし、貧困層を減らす、まさに現代のニューディール政策だ。

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