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マーケティングコーチ北野哲正氏ってどんな人?


こんばんは。ふくろう(@fukurou_2job)です!


今回は、マーケティングコーチの北野哲正氏がどのような人物なのかということと、北野哲正氏が得意とするコーチングの商品パッケージ化が生まれた経緯について調べてみました。


早速いってみましょう。


マーケティングコーチ北野哲正氏のプロフィール

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慶応義塾大学経済学部卒業。香川県出身。ワコール、リクルートを経て、コピーライターとして独立。2006年8月、マーケティング&コーチングの専門会社「パレードM&C」を設立。2013年に株式会社コンサルタントラボラトリー(以下コンラボ)へ社名変更。現在、年商6億円(2020年6月期)。
コンラボでは、コーチ、コンサルタント、セラピスト、カウンセラー、士業、整体師などの“コンサル型ビジネス”、“無形商品型ビジネス”、“コンテンツビジネス”における独立・起業・集客・プロモーション支援に特化した活動を行い、現在は、“新職種を作る会社”として、新職種を生み出す養成講座運営を通じて、“新しい働き方・収入の得方・新しいライフスタイル”を提案している。
引用:『ゼロ企業』オンラインプログラム

コーチング系の方に高学歴が多いように、北野哲正氏も慶応大学の経済学部を卒業して、ワコールとリクルートを経て独立されたという、一見輝かしい経歴をお持ちのようなのですが、実は過去には大変な苦労もされていることがわかりました。


北野哲正氏の経歴は、サラリーマンからのスタートだった

今でこそ、コンサルタントを創り出すコンサルタントとして活躍している北野哲正氏ですが、経歴としては、サラリーマンがスタートとなります。


最初のサラリーマン時代として、株式会社ワコールに勤めていましたが、「雑貨販売」を始めるということで辞める決断をし、初めての起業を果たします。


株式会社ワコールという大企業を辞めてまで起業するという意志の強さは、根っからの起業家気質の現れだったのかもしれませんね。


ところが、初めての起業も慣れないことがあってなのか、わずか半年後に挫折し、いきなり800万円の借金だけを残し廃業してしまうという、今の北野哲正氏では想像できない失敗を経験します。


その後実家に戻り、サラリーマン時代2度目となる株式会社リクルートで3年8ヶ月の間アルバイト社員として働き、基本給14万円で何とか残業代で生活が成り立つような経験をし、30歳の時にその株式会社リクルートから「コピーライター」として独立し、2度目の起業を果たします。


その2度目の起業を果たす際もまだ借金が残っている状態でしたが、「あなたの将来性と可能性にかける。」と奥様に言われながら、独立の3ヶ月前には結婚もされています。


独立後の仕事としては、リクルートが「制作部門のアウトソーシング化」を進める時期と丁度のタイミングで重なったこともあって、その仕事をそのまま外部スタッフとして請け負うことができ、生活のベースが確保できたことから、コピーライターとしては、順風満帆なスタートを切ります。


コピーライターとしての独立1年目の売り上げ目標は800万円ぐらいだったのですが、大手通販会社の通販チラシの仕事が1本40万円というギャラだったこともあり、結果的にはその2倍以上の売上になっています。


その当時は率直に「コピーライターって、ペン一本で、こんなに儲かるのか・・・。」と思ったそうです。


そのまま順調に2年後を迎え、それまで自宅兼事務所だったところを、別に事務所を構えつつ従業員を雇い入れ、一般の同世代のサラリーマンよりも、遙かに稼げるようになっていました。


新たにデザイン会社も作り、独立してからの売上は常に右肩上がりという状態が続いていましたが、コピーライター、広告制作というお仕事は、基本的『受注仕事』なので、いつ広告代理店から切られるかという不安は常にあります。


数年後、残念ながらその不安は的中し、1年間で2,000万円ぐらいの売上げがあったクライアントから、あっさり契約を切られてしまいます。


何とか他の仕事で売上は確保できていたのですが、追い打ちをかけるように、信頼していた部下のコピーライターとメインのデザイナーが、裏切りにも近い状況で去っていったのです。


しかも、その二人が組んで独立したことで、北野哲正氏の会社全体の仕事の3分の1がその二人に流れる羽目になって、結局そのデザイン会社を解散し、再び500万円の借金を背負うことになります。


普通ならここで心が折れてしまうところですが、そこはやはり起業家としての才能なのか、嗅覚というのでしょうか、北野哲正氏はこれまでの経験を生かすチャンスとして、「コーチング」との出会いを果たし、学び始めます。


これが3度目の起業となるコンサル業の始動となり、その後に大躍進を遂げる現在の「コンサルタント型ビジネス」につながっていきます。


プロコーチ北野哲正氏の誕生

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「コーチング」と出会った北野哲正氏は、すぐにプロコーチを目指すために、2005年の10月にコーチ・エィという会社のコーチングトレーニングプログラムで学びます。


最初は『ビジョンコーチ』『スローガンコーチ』という肩書で、一件2,000円からのコーチングを始めていましたが、2007年に村上宗嗣氏・伊勢隆一郎氏の100万円超の講座に入ることで、大きな変化を遂げます。

そしてさらに、北野哲正氏がコーチとしてブレイクする最初のきっかけになったのは、コーチの肩書を変更することでした。


それは、リクルート時代で培ったコピーライターの経験によってマーケティングが得意だったことから、『マーケティングコーチ』というポジショニングをとったことです。


しかし、『マーケティングコーチ』のポジションをとって直ぐに売上がドン!と上がったかと言えばそうではなくて、2008年11月に『マーケティングコーチの独立・起業・集客コーチング3ヶ月コース』という、商品パッケージを作ったことが、最初のブレイクポイントになりました。


北野哲正氏が生んだ、コーチングの商品パッケージ化

北野哲正氏が最初に作った商品パッケージ『マーケティングコーチの独立・起業・集客コーチング3ヶ月コース』の内容は、

・35000円×3ヶ月間=105,000円の3ヶ月間のパッケージ
・月2回のスカイプセッション
・メール相談無制限
・3ヶ月の間、1回は対面セッション付き
・セッションの記録をマインドマップで作成してプレゼント
・クライアント同士のコミュニティへの参加権
・お薦め書籍集のプレゼント
・何かあったら電話してもらってOK権
・北野のセミナーへの割引参加権etc…

今でこそ、それなりに見かけるような内容ですが、当時は考えられないような、やりすぎとも言えるサービスを提供していました。


当時の周りのコーチと言えば、「スカイプセッション月2回で30,000円」とか「対面セッション月2回50,000円」のような、単純なセッション売りばかりなので、クライアントの立場から考えると、結局そのコーチングを受ければどうなるかが、明確にイメージできないようなものでした。


北野哲正氏は、そんなクライアントの立場を考えて、コーチングをより分かりやすくイメージ出来るように、『マーケティングコーチの独立・起業・集客コーチング3ヶ月コース』という「商品パッケージ」にしたのです。


北野哲正氏は「単発のセッション売り」をしている限り、売上は安定しないし、忙しさは増すばかりだと考えたので、コーチングの商品パッケージ化という発想に至ったと言われています。


結果的にプロコーチとしての売上が伸び、安定し、さらに年収1,000万円を超えることに繋がったという実績からも、コーチングの商品パッケージ化の生みの親となった北野哲正氏は、それ以降のコーチングという職業の発展に貢献したのは間違いないと言えます。


まとめ

今回は、コンサルタントを創り出すコンサルタントとして活躍しているマーケティングコーチの北野哲正氏がどのような人物なのかということと、北野哲正氏が得意とするコーチングの商品パッケージ化が生まれた経緯を調べてみました。


ネットビジネスを手掛けている方にとっては、マーケティングやコーチングの手法を学んでおくことは、自分のビジネスの今後の売り上げを、安定させていくのに必須のスキルかもしれませんね。


今でこそ、様々なコーチングの商品パッケージ化が世の中に溢れていますが、生みの親である北野哲正氏から学ぶことは、本家本元で学ぶということとも言えます。


北野哲正氏についてさらに知りたい、起業について学びたいという方も多いと思いますので、僕のブログでは北野哲正氏の最新のサービスについても紹介していますので是非読んでみてください!


質問などあったらブログの無料メール相談か、ツイッターで気軽に聞いてくださいね!


それでは、最後まで読んで頂きありがとうございました。


「ふくろう」でした!

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