祈りは万能じゃない、でも手を合わせずにはいられない
東京国立博物館の縄文展、閉館2分前。誰もいなくなった国宝のコーナーで、合掌土偶と視線を合わせて、なんとなくわたしも合掌してみる。刺青だらけで陽に焼けた肌。ぽっかりと無防備な穴。煮炊きをして、乳を与え、たくさんの子どもを抱いただろうたくましい腕。つくられた当時は赤く塗られていたらしい。赤ちゃんの赤、命の赤。この土偶に手を合わせたところで、必ず願いが叶うわけじゃない。だけど、人は祈らずにいられない。この土偶に向かって手を合わせてきたあまたの人の一番後ろに、いまわたしがいる。太古の人もわたしとどこも変わらない無力な人だ。
「どうか無事に産まれますように」
わたしはいつか死ぬけれど、わたしたちは続いていく。
その命のつらなりは、願いが必ず叶うことよりももっとすごいことだ。
祈りは重なり、命は綱渡りをくり返しながらここまで届いた。
「どうかわたしたちがこれからも続きますように」
わたしの祈りをまた受け止めて土偶は虚空を見つめ続けている。
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