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震災は他人事なのか

こんにちは。
スポーツメンタルコーチの福岡正一です。


3.11東日本大震災。
今まで僕はあえてブログ等で発信したりすることはあまりありませんでした。2011年の3月は前職で逼迫した他部署の公共工事を陣頭指揮していましたので、現場がある福岡県八女市黒木町に缶詰め状態でした。NTT関連の電話工事に従事していて、25歳の時に起きた阪神淡路大震災の時は発生後2週間ほどで復興支援の応援要請が来ていたので、東北の時はなかなか要請が来ず、関東より北から工事に応援に来てくれていた協力会社などは「福岡さんごめん、要請が来たら帰らないかん。」と言いながらも「なかなか来ませんね。」と報道される現地の悲惨さと支援要請がが来ない現状のギャップに首をかしげながら待っていたのを思い出します。電話は第2ライフラインという捉え方ですので、安否確認、電気ガス水道の復旧が終わってからの要請にはなりますが、その時は阪神淡路の時とは異なる水害との戦いを強いられていたので安否確認が永遠に終わらないわけです。そして3月を1週間残し支援要請より先に工事が落ち着き「帰ってこい!」とのことで僕は本店に帰りました。そして新年度を迎えた4月の第2週目くらいだったでしょうか、やっと支援要請が来まして、内容は現場2班と陣頭指揮1名。偉い人たちは僕にきこえるように誰とか彼とか話し合っています。実際、そういった非常時の人選は僕に相談がありますし、中途半端に大きい会社でしたので責任を負いたくない時は平社員の僕に人選の役目が回ってきます。僕はいつ聞かれてもいいように頭の中で人選のシミュレーションが始まり、普段でしたらこの彼だったらこう、あの彼だったらこう、と瞬時にして多くの人が脳裏に浮かびますが、その時は1人しか頭に浮かびませんでした。その前に、一瞬本部長と目が合いました。僕も一瞬東北に行くことが頭によぎりましたが、1人浮かんだ後輩のチャンスだと思い彼が行くことになりました。その時、僕は決して安易な気持ちで彼を推薦したわけではありませんが、彼を陣頭指揮に行かせたことは今でも後悔として心の中に残っています。当時は震度4の余震が4分に1回訪れていたのは報道で知っていました。ただ、それが現実として現地の人にはどれだけ恐ろしいのかを見聞きはしていても実際に感じられないわけです。会社からは彼に陣頭指揮の傍ら現地で復興の様子を写真を撮るように言われていましたが、まだ安否確認も進んでおらず、カメラを構えると大声で家族を探している人が必ずフレームに入ってくるので写真なんか撮れないという話を毎日のようにしていました。本人は福岡に帰ってきてからも震度1や地震以外の揺れでも恐怖感を感じるようになったと聞いたときは「なんで俺が行かなかったんだ。」と申し訳なさが強く今でも心に残っているんですね。彼以外に現地の被災者の方や支援ボランティアの方はいました。僕の中の後悔は、おそらく彼が現地に行ったことよりも彼が行くことを僕が勝手に決めてしまったことへの後悔なのかもしれません。


こんな時だからこそ力を蓄えておけ

地震から数日がたった頃、公共工事の現場支援で来ていた後輩が3人ほど地震を心配し僕を訪ねてきて、「福岡さん、俺たちこんなところでこんなことしていていいんですか?」と言ってきました。さすがの僕も言葉が見つからずじまいでしたが、ちょうどその日に社長がパトロールで来ると聞いていたので、ランチをご一緒させていただいた時にこういう社員もいますと彼らの言葉をそのままお伝えしてみました。すると社長から、「確かに現地にすぐに向かうこともすばらしい選択だ。ただ、必ず出番は来るから今はグッと我慢して目の前のことに精一杯取り組み、知識や体力、お金等を十分に蓄えておくことだ!」という言葉をいただき今でも僕の心の支えとなっています。そのあと間もなく、サッカーの代表戦をチャリティーマッチに変更しようと試みたサッカー協会が相手国に断られたのち、国内外の有名選手を瞬時に召集しチャリティーマッチを行い1億円強の義援金を一晩にして集めたことが僕には強く印象的な出来事になっていて多少の批判を受けても出来るだけ〝自粛〟せず日常を止めないように心がけています。


震災は他人事なのか

2018年10月、イランの砂漠で熱中症で倒れ点滴を受けながら会社を辞めることを決め、ことが終わり羽田に着くと次の日曜に開催されるセミナー受講のために福島へ。僕にとっては初めての東北で、常磐線で当時運行されていた富岡まで移動し、宿泊予定の南相馬まではランニング移動を考えていましたが途中の浪江町が帰宅困難地域で徒歩移動が出来ずバス移動へ変更。その翌日、南相馬から相馬まで浜街道をランニングで北上し、相馬からは電車で福島市内へ南下するプラン。朝、旅館を出るときに「浜街道って走れそうな道ですか?」と旅館の男性に尋ねると、「ランニング?走れはするだろうけど、来なきゃいいけどねー」と言われたときに「俺は当事者じゃないんだなー」とその言葉がしばらく重く心に残っていました。


感謝の気持ち

地震に遭われた方々の中には家やお金、大切な思い出の品もすべて流された方がほとんどでしょう。だだ、生き残られた方々には命が残されています。身一つの状態の時は命あること以外望まなかったのではないでしょうか。目の前にいる人、目の前にある物事は出会うべきして出会ったもの。生きること以外望まないのであれば、「生かされている」という感謝の念がわき、物事を善悪で捉えず我々が持つ「欲」に対しても拒まずにナチュラルにいられるのだと感じています。

当事者は事実から学び、当事者以外は当事者から学び、どんな時も僕らは「試されている」という気持ちでいれば、強く明るくいられると確信しています。


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