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後輩の面倒を見ることへの依存

こんにちは。
スポーツメンタルコーチの福岡正一。

僕のことで気づいたことのメモです。


会社員時代晩年の僕

昨年末で前職を退職し5年が経ち会社のことを思い出さない日の方がほとんどになりました。会社を辞めた理由を長い間聞かれることも多く答えに悩んできましたが、どうやら理由はたくさんあるみたいですね。辞める前の退職後のイメージで想像通りだったのは時間ではないでしょうか。ルーティン業務であれば7時間半の勤務時間の半分も立たない間に終わってしまいます。通勤時間が片道1時間程度でしたから通勤の往復時間とお昼時間で与えられた部分は終わるわけです。他の時間は何をしていたかというと、特命の仕事でしたので、ぼんやりしていたり、本店にいたので後輩管理者のみんなに情報をいただいて平社員と中間層とトップの人たち、更には協力会社の社長さん、そして一番大切な工事現場の班員さんたちの声を聞きながら各支社の分析をし、支社長の要望があれば出張してあーだこーだしてたわけです。他には転勤したくない、昇進したくない、家庭環境がこうだ、組合に言っても何もしてくれない、もう辞めたい、という声に頼まれても頼まれなくても完璧に近いくらい応えていたわけです。

 
後輩たちのため?

ランチや居酒屋はほとんどご馳走をしたり、上記のようなシーンでは自分でも驚くくらい戦略的で行動力で集中力があり、誰でも彼でも頭を下げまくりというような感じで、一瞬でも関わりがあれば関係性が浅くても同じようにパワーを発揮していたわけです。ただ、26年9ヶ月の会社生活を振り返ると僕の手柄というものは一つもなく、愛社精神や後輩たちに対する愛情も嘘ではありませんが、後輩を面倒見ることに対しての強い依存があり、自分の力で後輩たちに大手柄を渡すということを繰り返すことで僕の存在意義を保ちたかったのかなということが最近湧いてきた気づきです。前のコーチはそのことを〝カッコつけ〟というお言葉で形容されていました。


もう自分のために生きなっせ

会社員時代、僕が絶大な信頼を置いていた後輩が何気なく僕にいった言葉です。僕が九州一円を出張して納期や事業計画の大幅な遅れを取り戻すという仕事を意気に感じてやらせてもらっていた頃、その後輩が一言、「もう来んでよかよ、福岡さんが帰ったらどうせ元に戻るもん。」という言葉が今でも脳裏を横切りますが、この時から人は変えられないことを体感で感じ取り始めたのだと思います。上記したように僕は人のためなら絶大な力を発揮していましたが、僕に対して不義理を働いた人や集団で僕を潰しにかかってきた後輩を昇進させるかどうかの話し合いに参加させられていた時、彼らの昇進を満場一致で反対するのを跳ね返し偉い人たちを強引に説き伏せて賛成してもらったシーンを見た後輩が「このことがみんなに伝わらんのが歯痒か。福岡さん、もう、自分のために生きなっせ。」コーチングの世界でよくいただく自分がどうしたいのか、どうありたいのかの質問に答えられない時、このシーンと言葉が何度も頭をよぎります。


受け取れないこと

僕が学術的な基礎を学んだコーチングスクールでは1,000円でもいいからフィーを設定してお金をいただいてコーチングをしてくださいということがありました。僕は会社の後輩3人に1時間10,000円を設定し、セッションが終われば3,000円でいいよ、今日はお金いらないよ、みたいな感じでお金を受け取ることが出来ませんでした。今では堂々フィーを受け取れるようになりましたが。小林正観さんの著書に徳を積むというのがありますが、その中に陰徳・陽徳というお話がありました。その時刺さったのは〝陽徳〟でした。上記したように手柄の大小に関わらず最後は全部仲間に渡し僕はその場から去るというのを繰り返してきたので、26年9ヶ月もかけて受け取らない訓練によってそれを擦り込み、見事に陽徳を受け取れない自分が完成していたんですね。それは名誉なこと、褒め言葉、お金、そういったものを受け取るチャンスをことごとく潰してきたことにもなります。ただ、すんなり受け取れるものもあって、会社を辞めるときに後輩たちがくれたボールペンやネクタイなどは今でも大切に使っていますしサハラマラソンの完走メダルは今でも大切にしています。


昇進に興味がなかったこと

〝カッコつけ〟と称された僕の面倒見。これは父親の影響が大きいのは間違いないと思います。ですので、僕の中にある見栄的なものは社会人になる前からあったのかも知れませんがまだそこまでは辿り着いていないみたいです。父親は消防局員でしたが平社員でした。かなりの影響力があったみたいで市の消防局内には知らない人がいなかったんだと思います。父親の早期退職の時、荷物整理に付き添った時、後輩にあたられる署長さんが勤務中にも関わらず署前に全員整列させて「全員敬礼!」といったシーンには少しうるっときました。その署長さんが入所したての頃、ホース巻きをなかなか覚えられず、出来るようになるまで毎晩夜遅くまで付き添っていたんだそうです。父親は時代劇が好きでしたので夕方はいつも時代劇が映っていました。子供心に父親と東山の金さんをダブらせて、遊び人だけど実は権力がある、それは正義のために使うという擦り込みがあるのかも知れません。もう一つは、会社や野球の世界で、尊敬していた先輩方がことごとく神輿を落とされた場面を見てきたこともあり、面倒臭さやちょっとした恐怖心に近いものもあったのかも知れませんし、今でも役職にはつかなくてよかったかなと感じていまが、それも何か抑圧している部分があるのかないのかまだ辿り着いていません。よく言葉にすると叶うといいますが、小さい頃から遠山の金さんをずっとイメージしていたので形はどうであれ〝影響力のある平社員〟だとか〝正義の味方〟みたいなことは僕が叶えてきたことなのかも知れませんね。


僕がいない

僕がクライアントによく使う言葉。「〇〇さんに助けられて幸せになれた人がたくさん見えますが〇〇さんだけいませんよね。〇〇さんの人生に〇〇さんがいない。」クライアントにお伝えするたびに自分の心に刺さっています。もともと僕は人を繋げるのが好きで広く深く付き合うタイプでした。それがいつからか自分が作ったたくさんのコミュニティからそっと出ていくことを繰り返すようになっていました。面倒臭さとマイノリティを感じる恐れや辛さがどこかパブリックに広く浅く付き合うようになった原因なのかも知れません。会社員時代もみんなと最後まで喜びを感じることができていたらと自分が抑圧していた部分を感じられるようになったのは良かったかも知れません。自分が作ったコミュニティからの分離を自ら選択しているんですね。


変容とは自分に還ること

どうありたいかわからない。というクライアントは多い。僕自身も例外ではありません。わからないというより忘れてしまっているんだと思います。忘れていることを体で思い出すことはかなりしんどい事です。そして僕はクライアントがそれを取り戻すプロセスを信じ伴奏したい。特に何か特別なことをすることではなく、自分を装わずにさらけ出しながら僕のセルフを取り戻せたらいいなと感じています。
 
会社を辞めたことで結果的に後輩の面倒を見るという依存心を手放すことができ、自ら作ったコミュニティからの分離を選択している寂しさに気づくことができました。
 
依存心は誰もが持ち合わせています。あなたの源について本音でお話ししましょう。


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