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「映え」だけじゃない!「日本一危険」な国宝に惹かれる理由【投入堂(鳥取県)】

仕事の休憩時間、Googleマップを眺めて、いろんな場所の画像を見るのが好きだ。
SHIBUYA SKY、熊野古道、釧路湿原、久米島のビーチ、ロンドンブリッジ、イグアスの滝、モンブラン、ペトラー。
遠い場所の、「映え」る景色。遠い世界の画像を見ていると、ちょっとした旅行気分を味わえて、気分がリフレッシュする。気に入った場所を「行ってみたい」リストに保存すると、世界地図にピンがどんどん立っていくのも、なんだか勝手な征服感があって楽しい。

そんなことを繰り返していると、ただ画像や映像を見ただけなのに、さも実際訪れたかのように錯覚して、勝手に満足してしまうことがある。
上手く撮れた写真や、目で見る以上に美しく加工された画像に期待が膨らみ、実際に現地を訪れてみると「がっかり」なんてこともしばしばある。

そんな私が赴き、「この場所の良さは、絶対に写真や画像だけでは伝わらないな」と思った場所がある。鳥取県の、三徳山三佛寺 投入堂だ。

三徳山三佛寺 投入堂(鳥取県)

鳥取県東伯郡三朝(みささ)町にある三徳山は、約千三百年前に開かれた、山岳修験の霊場だ。かつて多くの山伏が、神聖な山の奥深くに分け入り、煩悩を振り払って悟りを開くことを目指した。投入堂は、その修験道の最奥にある。入山口から約一キロ、標高差約二百メートルの道のりは険しく危険なため、「日本一危険な国宝」といわれている。

私がこの場所を知ったのは、母が「体が元気なうちに、投入堂に行ってみたい」と言い出したことがきっかけだ。
母がスマホで見せてくれた投入堂の写真を見て、「とにかくすごい場所に建っている不思議な建築物なんだな」という印象を持っていた。

投入堂への参拝者はまず、入峰修行受付所で「六根清浄」と書かれた白い輪袈裟(わげさ)を首にかける。「六根清浄」とは、「五感に心を加えた六根を、清らかに浄化させる」という意味の祈願詞だ。朱色の結界門をくぐり、三途の川を意味する小川を渡れば、浄化を目指す修行道が始まる。

工程は山場の連続だ。土から浮き上がって複雑に絡まる木の根の隙間、垂直に感じられるような巨岩の岩肌、左右は崖の岩の尾根。足場は不安定で、踏み外せばそのまま滑り落ちてしまいそうな道が続く。
鎖だけを頼りに急斜面を登るときには、緊張で足がガクガクし、口の中はカラカラになった。三徳山は、春にはシャクナゲの群生が美しいそうだが、私たちは、花を愛でる余裕も、おしゃべりをする余裕もなかった。
長年にわたって人が踏みしめたことで生まれた、足跡の窪みだけを頼りに、次はどこに足を置くべきか、ということだけを考えて、一歩一歩進んでいく。

入山から一時間半ほど。真っ暗な岩間の胎動巡りを抜け、足幅ほどの細い崖道のカーブを曲がると、突如、明るく開けた場所に出る。そして、突き当たりの断崖絶壁の窪みにすっぽりと収まる投入堂が、突如目に飛び込んできた。

投入堂だー。
母のスマホで見た画像の通りの、投入堂に着いた。
見たことがある建物を、生で見た、それだけなのに、私はとても高揚していた。光がさしたように、投入堂だけがツヤツヤと輝いて見えた。
早朝の入山からここまでの険しい工程は、すべてこのドラマチックな出会いのための演出だったのかもしれない。

御堂の前面は断壁に突き出し、十本程度の長い木の柱で、傾斜地の上に支えられている。懸造りと言われるこの建築技法は、京都にある清水寺の舞台で有名だが、それに比べて投入堂の柱はあまりに少なく、細い。実際に目で見ると、日焼けした柱は白く、存在感がないため、まるで宙に浮いているかのような浮遊感を感じる。
投入堂という名前は、開山者である役行者(えんのぎょうじゃ)が、法力で御堂を麓から岩窟に投げ入れたという伝承に由来するそうだ。そんな話を信じたくなるほど、摩訶不思議な場所におさまっている。

もっと近くで見てみたい、と思うが、御堂につながる道はなく、ただ崖下から見上げることしか出来ない。

どうやって、何のために、この場所にこんなものを作ったのか。

実際に行っても、答えはさっぱりわからない。ただ、ここに辿り着くまでに、急峻な山道をただ無心に歩んだこと、その先で荘厳な存在との劇的に出会い、畏敬の念を持ったことで、私の心はいっぱいになった。

*****

足元に気をつけながら下山した後には、ぜひ麓の三朝温泉に立ち寄ってほしい。
吉田修一さんのエッセイに登場する熱気浴も魅力だが、私のおすすめは、下流にかかる「かじか橋」の上にある足湯だ。
お湯に足をつけながら、穏やかな三朝川の流れと、両岸に立ち並ぶ温泉街、そして先程まで苦労して登った三徳山を一望できる。

無色透明で少しとろりとした熱めのお湯に浸かると、疲れた脚と、緊張していた肩の力が抜け、深く息をはく。早朝の入山から数時間、険しい道中と、薄暗い山の神聖な雰囲気に、思っていたより気を張っていたようだ。ようやく現世に戻ってきた、そんな気分になる。

厳しい修行に挑んだ山伏たちも、山を降りたあとには同じように湯に浸かり、無事を安堵したのだろうか。

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