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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|⑧地下鉄のギャンブラー

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
第8回の今回のテーマは、パリの交通事情。日本とは少し違った鉄道などの料金体系や、そんなシステムをうまくすり抜けていく方々についてです。

 東京は恐ろしいところだ。

 あ、長らく連載を休んで申し訳なかった。原稿の催促がいつまでも来ないので打ち切られたものと思っていたら、担当編集の方が体調不良でお休みだったようで、氏の職場復帰に伴い当連載も再開となる。今月からまたよろしくお願いしたい。

 で、東京が恐ろしいところだという話だが、これでも私は2013年に上京してから10年に亘って東京生活を経験している。たとえ現在の住所が故郷栃木であったとしても、心は東京人を自負している。つまり一番タチの悪い田舎者だ。
 実際に今でも月の半分程度を東京で過ごしているのだが、今更東京に来て困ることもない。都市生活の何たるかを充分に把握できている。そう思っていた。

 しかるに、連載休止期間中、実は自動車の免許を取りに行っていた。免許合宿である。ファミマにおいて鬼のように流れているあれとは別のやつだが、まあ同じようなものと考えてよい。
 諸々あって、5月後半にめでたく免許証を頂戴した。現在は研究活動の傍らドライバーとしての研鑽を積む日々である。

  以前は車の運転など全く興味がなかったが、居住地が栃木であればどこへ行くにも車が必要であり、運転能力があるか否かに応じて、個人の行動可能範囲には歴然たる差が生まれる。
 それゆえ30歳を目前にして免許取得と相成ったのだが、実際に運転を覚えてみると、これまでとはまったく別の世界を知ることができ、かなり奥が深い。
 研究のほかに趣味と言えるものが初めてできるかもしれないと思い、ほぼ毎日、運転の練習と称して車で出かけていた。

 そんな中、パートナーの引っ越し手伝いのために、ちょっと重い荷物を運ぶ必要が生じた。徒歩でも充分に赴ける距離であるが、重い荷物があるとなれば車の方が圧倒的に便利である。
 レンタカーを借りて、雑司ヶ谷から護国寺まで、Google Map談によれば車で8分の道である。それくらいなら問題なかろうと思い、運転することとなった。

 それで結論から述べると、往復20分かからないはずの行程に3時間以上を要した。
 気付いたら首都高に2回も乗っていた。

 東京は恐ろしいところだと初めて思った。
 おとなしく栃木に帰って、農道を走ろうと思う。

* * *

 現在、頭の中が主に自動車のこと、というよりは運転のことで一杯なので、今回はパリの自動車・交通事情について書いてみたいと思う。

 とはいえ、当時は免許を持っていなかったので、フランスでの運転経験は当然ない。いきおい話題の中心となるのは公共交通機関である。
 具体的には地下鉄と路線バス、それからRERだ。

 RERとは聞きなれない名であるが、「イル゠ド゠フランス地域圏急行鉄道網Réseau express régional d’Île-de-France」の略称である。今知った。
 なお「イル゠ド゠フランス」とは「パリおよび近郊地域」を指す呼び名である。
 発想としては日本で言うところの「首都圏」(関東+山梨)にやや近いが、それが指す領域はもっと狭い。関東地方から北関東三県(栃木・茨城・群馬)を除いた程度の面積の地域である。実際、それくらいが「住所? まあ東京のあたりかな」と言って嘘にならないギリギリの境界線であろう。

 地下鉄(メトロ)が概ねパリ市内を経巡っているのに対し、RERの線路はパリ市外にも伸びている。メトロの料金が一定であるのに対し、RERは5つのゾーンに分かれており、パリ市内はゾーン1、その外がゾーン2~5である。例えばシャルル・ドゴール国際空港はゾーン5に位置づけられる。

 パリのメトロ・バス・RER・路面電車(トラム)はすべてRATP(パリ交通公団)という公企業によって運営されているので、切符が統一されている。
 だから一種類の切符ですべての公共交通機関を利用できるのだが、RERでパリ市外(ゾーン2より遠く)に出る場合は別であり、ゾーンに応じた切符を買う必要がある。

 そのことの反映として、例えば、メトロの駅には、入場用の改札はあっても、駅からの出口に改札は設けられていない。代わりに一方通行のドアがあるだけだ。メトロの運賃は一定なので、入るときに一度切符を通せば充分だからである。日本でも都営バスなどは同じ仕組みになっている。

 反対に、RERの駅では出口にも改札が設けられている。なぜならメトロと違って、RERの運賃はゾーンに応じて変わるからだ。それゆえ、パリ市内(ゾーン1)専用切符を買ってドゴール空港駅(ゾーン5)で降りるような無法者の存在が当然想定される。だから乗客が正しい切符を持っているか、降車時に確認する必要があるのである。

* * *

 切符切符と言っているが、現代日本では紙の切符ではなくSuicaやPasmoを使う人の方が多いだろう。
 RATPにもSuica的なものがあり、Navigoと呼ばれる。

 しかしこのシステムが複雑で、微妙に使いにくいのだ。
 日本のSuicaのように「現金をチャージしておき、改札を出る度に運賃がそこから引かれていく」という単純至極なシステムが存在しやがらない。それが地味に面倒を生じさせる。

 Navigoには大きく分けて、①「Navigo Forfait系」および②「Navigo Easy系」と私が呼んでいるものに分類される。

 ①は要するに定期券であり、Navigo Annuel(年単位)、Navigo Mois(月単位)、Navigo Semaine(週単位)などがある。
 面倒なのは、Navigo MoisとNavigo Semaineの対象期間が「購入日から1か月/1週間」ではなく、「1日から月末/月曜から日曜」という暴力的にワイルドなものである点で、それを知らずに月半ば(週半ば)に買ってしまうと大損をこくということである。
 そして地味に高い。仕事や学校で毎日利用するのであればお得だが、二日おきくらいにしか公共交通機関を使わない大学院生にとっては、損益分岐点が微妙なところにある。

 ちなみに学生向けのNavigo Imaginaireというサービスもある。これはNavigo Annuelの学割でかなりお得なのだが、生憎対象年齢が26歳未満である。私は渡仏時ちょうど26歳だったので使えなかった。
 この件に限らず、ヨーロッパでの学割(若者割)は基本的に「26歳未満」をその境界線としている。だからちょうど26歳の時に渡欧すると、決まってぎりぎりのところで学割の恩恵に与ることができない日々を送ることとなる。
 30歳や40歳なら諦めもつくが、僅か1年の差というのは承服しがたいものがあり、損な気分になることうけおいだ。

 ②にはNavigo EasyやNavigo Libertéがあり、後者の支払い形式が口座引き落としである点を除いて違いはない。
 こちらは日本のSuicaにより近いが、しかし重要なのは、これはあくまで「回数券」でしかないということだ。つまり紙の回数券を買う代わりにデータを買っているというわけだ。
 だから「1000円分チャージ」というような操作はできず、あくまで「10枚分購入」に過ぎない。カードに残っている残高をコンビニなどの支払いに充てることもできない。

 そして一番面倒なのが、通常の仕方でNavigo Easyにチャージできる回数券はあくまでゾーン1内、つまりパリ市内に限られるという点である。
 だからRERに乗って、例えばLa Défenseなど「パリと言ってよいか微妙なラインの駅」に出かけると、果たしてそれはゾーン2に位置づけられており、Navigo Easyを改札にタッチしても出られないということが多々ある。

 その場合、「通常なら残り枚数から一枚分引くところを二枚分引く」というような処置を自動的に行ってくれるのなら楽なのだが、単純にエラーになって改札内に閉じ込められるのである。
 そして改札は単にブザーを鳴らすだけで、なぜエラーになったのかを教えてくれない。

 だからこちらで推測するほかないが、最初はなかなか上の原因に気付けない。残り枚数を使い切ってしまったかと思い、改札内の券売機にカードを挿入しても、果たして残高は潤沢である。
 改札のところで困っていると、そのうち親切な人がやって来て、自分と一緒に出れば良いよ!と言ってくれる。厚意に甘えて駅を脱出する。よくわからないが、とりあえず何とか解決はする。

 そんなものだ、万事が。

* * *

 Navigo Easyは比較的最近できたものであり、従来のチケット・システムを保ったまま切符のペーパーレス化を進める意図をそのコンセプトとしている。

 実際、筆者の渡仏時にもまだ紙の切符を使っている人は多く、メトロやRERの改札周辺の床にはいつも使用済の切符が散乱し、最終レース終了後の大井競馬場もかくやという眺望を覗かせていた。

 Navigo Easyはこうした状況への対処を目論んで作られたカードであるが、あまり普及しているとは言い難い。

 筆者は主にNavigo Easyを使っていたのだが、周囲にこれを使っている人はあまりいなかった。
 いちばん多かったのが、何らかのタイミングで腹を括ってNavigo Moisなどを購入した人々である。学生の友人たちはこぞってNavigo Imaginaireを購入し、私の嫉妬と羨望を呼んでいた。
 また紙切符派の人も少なからずいたと記憶している。

 そしてその他に無視できない勢力として存在するのが「無賃乗車ガチ勢」である。
 切符を「あえて、買わない」という新しいライフスタイルを提示している諸氏のことだ。現代の鉄道旅客業界におけるミニマリスト集団と言ってもよいだろう。

 実際、パリでメトロを利用する際には、自動改札の仕切りを悠々と跳び越えていく無法者のダイナミズムに圧倒されること頻りである。

 改札の仕切りは、日本のそれとは違い、遊園地の出入口によくある「回転アーム式ゲート」状である。跳び越えそこなうとなかなかの怪我をしそうな形をしているが、そこは気合で越えていく。
 改札の両脇をしかと掴み、跳躍の勢いを腕力で補助しつつ下半身を浮かせ、一瞬のうちにゲートの向こう側へと己の身体全体を運搬する。跳び箱の要領だ。これだけでもかなりの運動である。
 そして着地の際にかなり大きな音が生じることは避けえないので、周囲の乗客に対して確実に無法者ムーブが露見するが、そんなことは日常茶飯事なので、皆が無視を決め込む。

 そう、それほどまでにこの無賃乗車ガチ勢は一定数存在し、鉄道乗客界隈において相応のプレゼンスを有しているのである。
 自動改札を跳び越えるのはある程度大変であるが、メトロであれば前述のごとく改札は入口にしかないので、入ってしまえばこちらのものだ。
 時折、どう頑張っても跳び越えることが不可能な「大人の背丈ほどの高さの仕切り」が、主要各駅を中心として設けられているが、それに対しては「優しそうな人に頼んで一緒に入れてもらう」という作戦によって突破可能である。三人に一人くらいは頼みに応じてくれるだろう。

 日本にいる時には気づかなかったが、考えてみれば自動改札のあの程度の仕切り、大人であれば優に跨ぐことが可能である。
 改札をこっそり跳び越えていくというこのアイディア、一度くらいは皆の脳裏をよぎったことがあるだろう。しかしその際、「大人のすることではない」と思い直し、斯様な考えを抱いた自分の幼稚さを恥じはしなかっただろうか。
 だが安心してほしい。少なくともパリでは、それを実行しているいい大人が何人もいるのだ。

* * *

 むろん鉄道会社側も無賃乗車ガチ勢の動向は十二分に認知しており、きちんと対策をとっている。

 それが検札官による抜き打ちチェックだ。

 日本のドライバーたちの間で言われる「ネズミ捕り」と同じ要領である。
 駅の改札周辺では時折ランダムに検札官が乗客たちの行く手を阻み、「きちんと改札を通した切符」を持っているか否か、厳しいチェックの目を向ける。
 そして果たして切符を持っていないことが判明すると、晴れて罰金35€のお支払いが決定する。

 パリ市内での公共交通機関共通券(Ticket t+)が一枚あたり2.1€(回数券だともっと安い)なので、実に約17倍だ。日本における標準レート「元の運賃の3倍」とは桁が違う。

 実際、パリを含めヨーロッパの都市ではこのように「できなくはないが、見つかったら罰金」という法的処置がとられているケースが多々見受けられる。

 例えば、フランス以外の国の駅やフランス国内でも長距離鉄道(TGVなど)の駅では、そもそも自動改札ゲート自体が存在しないことも少なくない。
 では無賃乗車し放題ではないかと思われるかもしれないが、改札の代わりに「切符打刻機composteur」というものがある。乗車前にこの機械に切符を通していないことが検札官の目に明かされれば、有無を言わさずに罰金徴収である。
 つまり、「打刻済みの切符を持っていなくても電車に乗れはするものの、その代わりに高額の罰金を要求される」という仕組みで秩序が保たれているのである。

 もう一つ例を挙げれば、最近日本でも「個人の判断に拠る」ことになったマスク着用だが、パリの公共交通機関では長らくマスク着用が義務付けられていた。
 つまりマスクを付けずに駅構内にいたりバスに乗っていたりするのを発見されると、問答無用で罰金徴収と相成る。その額は驚異の135€である。

 だからマスク着用義務違反の罰金制度が存在していた際には皆その義務を遵守していた。お金を払いたくはないからである。
 反対に、義務が緩和されて罰金制度がなくなるや否や、その日から大多数の人間がマスクを外した。お金を払う恐れがなくなったからである。

 このように、フランスやヨーロッパにおいて日常生活の中での法機能を支える大きな柱が「罰金」である。法令遵守の意識ではない。ぜぜっこだ。
 法はあくまで暴力を前提として初めて成り立つのだということを、ヨーロッパの生活はまざまざと見せつけてくれる。法を守らない者に与えられる暴力は、金銭という形を通じてあからさまに示される。この罰金が明示的な脅しとなって初めて、人は法を守るようになるのだ。

* * *

 では無賃乗車ガチ勢のならず者たちは、目先の利得に溺れ、後に罰金という形で手ひどい制裁を甘受せねばならない愚かな連中と言えるだろうか。

 実は、このことはそう単純ではない。

  先述したNavigo定期券の1ヵ月あたりの値段は84.1€である。それに比べて、無賃乗車に対する罰金は1回あたり35€だ。
 ということは、「検挙されるのが月に2回までなら罰金をとられた方がお得」なのだ[1]

 検札官はいつもいるわけではなく、私の感覚では、2週間に1度くらいの頻度でしか姿を現さない。
 ひと月を4週間と考えれば、単純計算で検挙されるのは月2回で済むはずである。
 そうなれば一番得するのはNavigo ForfaitやEasyの所持者ではなく、無賃乗車ガチ勢であるはずだ。

  もちろん、これはあくまで計算上の理屈であり、運が悪ければ、月に4度も5度も検挙され、大損をこく羽目に陥るだろう。
 しかし無賃乗車を極めていくと、いつ・どのタイミングで検札官が出現するか、読めるようになる。周りの人の動きを見て、「これは改札周辺でネズミ捕りをやっているぞ」と推察し、ホームで待機するという兵法も習得していく(実際にそうやってやり過ごそうとしている方々を多く見かけた)。
 上手くやって検挙されずに過ごせれば、1ヵ月で80€以上を丸儲けだ。これは決して端金ではない。

  無賃乗車ガチ勢はリスクを背負いながら、己の直感と身体感覚を信じ、わずかな利得の可能性に賭けんとする。電車移動という退屈な都市生活の一コマをスリル溢れる大博打に変え、都市に張り巡らされた鉄道網全体を巨大なカジノにしてしまう。現代社会を駆け抜けるギャンブラーどもなのだ。

  あるいは、単にキセルとも言う。

[1]ただし、改札を飛び越えている瞬間を現行犯で捕らえられると60€の罰金が科せられる。それでも月に1度までならNavigo Moisより得であるが。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。

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