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フロイト「詩人と空想すること」:神経症論から見た創作

フロイト「詩人と空想すること」(SEⅨ,141-154;全9、227-240)“Creative Writers and Day-Dreaming”(1907e)
 Blum, P. H. (1995). The Clinical Value of Daydreams and a Note on Their Role
in Character Analysis. In Ethel Spector Person et al. (Ed.): On Freud’s
“Creative Writers and Day-Dreaming”, pp39-52, Yale University Press.
Emde, R. N. (1995). Fantasy and Beyond. A Current Developmental
Perspective on Freud's "Creative Writers and Day-dreaming". In Ethel
Spector Person et al. (Ed.): On Freud’s “Creative Writers and Day-Dreaming”,
pp133-163, Yale University Press.

フロイト「詩人と空想すること」(1907)は、「W.イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢」のように具体的な作品の吟味はせずに「詩人の活動」に関して理論的水準で考察しているが、講演という形式のためか、あまり込み入っていないスケッチとなっている。
「空想」の位置づけを巡るより本格的な整理は、1911年の「心的生起の二原理に関する定式」に見られる。そこでの空想は白昼夢のような産物を指しており、快原理のみに浸ることが許される、心の中の自然保護地区のような領域での活動である。ただ、それは「現実性の検証」を免除されてはいるが、創作は、専ら自分の快を目指せばよい単なる空想と違って、定型化した現実を解体-再構築して、何らかの意味でより高次の現実を他者に提示することに意義がありうる。それを考えると、創作の最終的な快はいわば苦い薬を包む糖衣であって、そこにどういう実質が盛り込まれているか、の方が重要だろう。
「心理小説」に即した指摘として、フロイトは「自己観察によって自らの自我をいくつかの部分自我Partial-Ichsに分裂させ、自らの心の生活の持つ様々な葛藤を、この分裂に応じて幾人かの主人公のうちに人格化して表す傾向」を挙げている。この「部分自我」は、後の自我分裂の先駆けのように見えるが、語句の検索をしても、フロイト全著作でここ一ヶ所にしかない。また、後の自我分裂は、去勢の現実を承認する自我vs.否認する自我、精神病的部分と非精神病的部分のように、機能の違いが明白である。だから、ここでの分裂は葛藤の擬人化に近い。
また、空想は「われわれの表象活動を規定している三つの時間的契機のあいだを漂い動く」とされている。その三つの契機とは、「当人の大きな欲望の一つを呼び覚ますことになった現在における何らかのきっかけ」・「欲望が成就されていたかつての――たいていは幼児期の――体験の想い出」そして「欲望が成就した姿としての未来のある状況を創り出す」ものである。この未来は、空想によって満たされようとしている。その結果、「過去と現在と未来が、一本の欲望の意図につながれたように並んでいる」。
この捉え方は、空想の源を捉えようとしているように見えるが、夢と比較すると、同じ構造をしていることが分かる。つまり、「現在におけるきっかけ」は「日中残渣」であり、「過去の体験の想い出」は潜在内容、そして欲望を成就した未来の空想は、夢で言えば「顕在内容」だろう。但し、夢が欲望の隠蔽偽装の方向にいわば力を入れているのに対して、空想は尤もらしく現実の方に近づけることに力を入れて、あまりにも荒唐無稽にならないようにしている。
逆に、幼児期の欲望は、派生物と見なされるさまざまなもの、神経症症状・夢・失錯行為・空想・・から遡られる。フロイトの1900年代は、神経症構造のバリエーションを追求した時期であり、そこで解明が期待される”創作の源”も、神経症構造に即したものにならざるをえない。
1900年前後のフロイトは、『夢解釈』(1900)を始めとして『日常生活の精神病理学』(1901)、『機知』(1905)と幾つもの単行本を著し、『性理論三篇』(1905)や症例報告も書いている。キノドスによれば、彼は机の上にそれぞれの原稿の山を作り、並行して書いていたという。
とは言っても、その現在ある姿は、ほとんどがいわば増改築を経たもので、元々は、それほど分厚くなかったものもある。『日常生活の精神病理学』は、その「解題」によれば、初出は雑誌に計80ページほどが二分冊で掲載されており、1904年にほぼ同じものが単行本化されている。この時は、全92ページである。それが、増補を重ねて132ページ(1907)、149ページ(1910)、198ページ(1912)、232ページ(1917)とどんどん増えていき、1919年には312ページまでなっているという。
そこで興味深いのは、岩波版の訳者であり解題の執筆者でもある高田氏の感想である。氏がすべての版を確認しているのかどうかは、ドイツ語版フロイト全集の一種であるTB版の解題を参照したとあるので不明だが、この20年の間にフロイトの理論的枠組みは大きく変わっていったのに、当該書に見られるのは、「まるでそういった苦闘とは別のところにいるかのように、特に新しい洞察が盛り込まれたわけでもない例をせっせと以前の著作の中に詰め込んでいく」フロイトの姿である。そこには新たな展開に基づいた別種の例もなければ、当初の解釈に対して新機軸のものが提起されることもない。
そのため、訳者は更に感想として、「どうやらフロイトは、自分の立場に何か大きな転換や変更があったとは考えていなかったらしい」、そして「心の成り立ちについて新たな理論的展望が開けてきても、それは『日常生活の精神病理学』で表明された基本的な見地に修正を迫るものではなく、むしろそういった見地を改めて確認するものであったらしい」と述べている。これには、”神経症に関しては”と限定すべきだろう。精神分析の課題そして難題はその外にあることが次第に明らかになっていった、と考える方が自然である。
そのパラダイムを端的に示した図は、「健忘の心的機制について」(1998)に見られる。

Freud度忘れ

図示は、なぜかSignorelliが忘れられ、代わりにBotticelliとBoltraffioが思い浮かべられたかについての解読である。ここには、検閲・妥協・(岩波訳語で)縮合・遷移といった機制が満載である。分析の作業は、基底にある「抑圧された思考」を明らかにする謎解きとされる限り、必然的に中編小説に似てくる。幼なじみのツォーエが忘れられ、二千年前のポンペイのグラディーヴァが登場するのも、同じ構図である。

フロイトの神経症論時代を区切る1911年論文「心的生起の二原理に関する定式」が狙うのは、『心理学草案』そして『夢解釈』以来の「心的装置」の構造と機能が、どのようなものとしてどう生まれたかを解明することである。二つの原理、快原理と現実原理は、心という主観的・主体的なものと客観的・現実的なものとの、折り合いの付け方を示している。しかしそれらは、心自体の生起を説くものではない。現実原理に飛躍する場面では、心的装置はあたかもそれ自体が主体であるかのように、「外界の現実を表象すること、および現実の変革を目指すことを決断しなくてはならなかった」とされる。心の誕生については、結局のところ神話的次元に託さざるをえない。それは『トーテムとタブー』(1913)へと続く。

ブラムおよびエムディの論文は、初期の"On Freud's‥”シリーズから採られている。つまり1990年代の知見に留まっており、それぞれの仕方で古色蒼然としている。
ブラム「白昼夢の臨床的価値とその性格分析における役割についての覚書」は、フロイトの上記論文を含む「空想」概念の解説と、自験例からなる。解説は必然的に、前期フロイトが中心となる。しかし事例は、虐待と倒錯的展開を含み、それらのツールで理解できる範囲を超えていると思われる。
エムディ「空想と彼岸。フロイト『詩人と空想すること』についての近年の発達論的見地」は、フロイトが狭く限定した「空想」を、現代の実証研究に基づいて”アップデート”しようとしている。マーラーの観察研究の時代に較べて、スターンやエムディの仕事は遥かに実証的とされているが、その分、前者は”空想的”で、後者は精神分析自体というよりその実証的な検証のように見える。

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