我執を捨てたい。
捨てたら楽になるはずなのだ。
捨てることは無理である。それは解脱の状態だ。
凡夫は、しかし、我執からの影響を、少なくすることはできる。
我執と我執の対立は、いったん対立してしまうと、とどまるところを知らない。
なにひとつ、よい結果にならない。
我執を捨てる方法が、宗教なのだと思う。
わたしは無宗教だったが、今は、神さまと仏さまは信じている。
それは人間のなかの理性や、良心のことだとも思っている。
信じるしか無かったのだ。
人生を生きていくのが辛すぎて、気功や仏教を学び、藁にもすがる気持ちで実践するうちに、少しずつ生きるのが楽になってきて、少しずつ信じるようになった。
信じていると言っても、まだまだちゃんと信じることができていない。
なぜなら無知だからだ。
教えの学びと実践と、なによりも実感を伴わない信仰は無い。
仏教と言っても、数多の宗派や数多の教えがあり、まいにち増えている。
ひとの数だけ、宗派があるのではないかと思う。
私にとってブッダの言葉で最も大切な言葉が、色即是空である。
自分の感覚は、すべて空。
我執に関連がありそうなのだ。
自分の中に、我執もあるが、神さまも仏さまも在るのだと実感がある。
優しくしたいとか、傷つけられているのを見たくないとか。
そんな気持ちは、神さまや仏さまにとても近くて、自分の中のそんな気持ちを確かな思考と行動にしていくことが信仰ではないかと思っている。
そういう確かな思考と行動は、神さま仏さまへの供物なのじゃないかと思っている。
誰もなんの理由もなく、誰かに優しくしたりできないと思う。
理由も条件も無しに、優しいひとは、そう見えるだけで、理由はあるのだと思う。
自分の気分がいいからだ。
と思う。
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