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見せない“好き”の尊さ

こんなことぼくが言っても説得力がないかもしれないけど、誰にも見せない・教えない好きなことを持っているのは尊い。

「毎日いそいそとYouTubeに動画をアップしているお前がなに言ってるんだ」という声が聞こえてきそうだけど、常日頃から人に見せることばっかりやってるぼくが言うからこそ逆に真実味があるとは思わないだろうか?

誰もがSNSを利用するようになるにつれて、世の中からニッチが消えた。どんなに細やかな趣味や喜びでも探せば同志が見つかるし、つぶやけば共感してくれる人が見つかるようになった。

好きなことや趣味を発信するのはもちろん良いことだ。だけどひとたびそれを人の目に触れさせてしまうと、その先にある反応を期待せずにはいられない。

それどころかこちらが期待していようがいまいが、人は色々な賛や否の意見を飛ばしてくるもの。それらを全て丁寧にスルーするのは想像以上に難しい。

「私を見て欲しい」という人の欲求は想像以上に強く、人からの反応というのは麻薬的な中毒性がある。

元々は自己完結の中で喜びを見いだせていたはずの趣味が、人の目に触れ反応が返ってくるようになることで、自分ひとりでは喜びを見いだせなくなってしまう。

好きなことを発信している結果として人からの反応をポジティブに得ることは素晴らしいが、その手段と目的がすり替わってしまう危険性については常に注意を払っておきたい。

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こんな今だからこそ、誰にも見せない自分だけの趣味を持つというのは尊いことのように感じている。

ぼくもこれから新しい趣味となりそうなことを色々と試してみるつもりだ。何をやるかって?それはもちろん秘密。

今日の1枚

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例えば潮風を浴びながら海パンで海辺をツーリングするような大胆なことを、人には言わずに思いっきり楽しんでも良いかもしれない。例えばね。使ったカメラはLeica M6、フィルムは業務用100。

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