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巨人の肩の上に立つぼくら

※このnoteは以前定期購読マガジンにて掲載していた内容を、一部改変して再投稿したものです。

SNSを見ていると、たまに初心者の小さな間違いをやたらと手厳しく批判したり、コソコソと身内同士であげつらっている知識人を見かける。

彼らは発言を見る限り知識こそ広く深く、言っている内容もしごく正論なことが多い。こういう人はどの領域にも必ずいるものだ。

間違っていることは事実なので、その間違いを訂正してあげればそれで良いはず。

ただそういう人たちは初心者を蔑むことで、相対的に自分の立ち位置を高めようとするだけ。せっかく得た知識を、自己肯定感を満たすためにしか使えていない。これはとても残念なことだと思う。

巨人の肩

あなたが誇っているその知識の多くは、自分の力で見つけ出し得たものだろうか。先人が未知という荒道を苦労の末切り拓いて手に入れたものを拝借しているに過ぎないはずだ。

かつて先人が踏みしめた道は、いまでは綺麗に整備されて、ぼくらは当たり前のように超特急でその道を通り抜けている。

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ぼくらは疑問を検索窓に投げ込むだけで、0.49秒で77,100,000件もの知識にアクセスできるのだ。

アイザック・ニュートンは「あなたが彼方を見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです」という言葉を残したと言われている。ぼくらが彼方を見渡せるのは、大きな巨人の肩の上に立っているに過ぎないのだ。

そうやって巨人の肩の上に立たせてもらっている以上、ぼくらはその巨人を受け継いだ時よりもさらに高くする責任があるはず。ぼくらに続く世代が今よりももっと良い環境を享受できるよう、文化を健全な姿で保って発展させることだ。

冒頭で述べたような知識人の振る舞いは、ぼくらの足元にいる巨人にはどう映るだろうか。

足元を見てみよう

と、ここまで他人ごとのように書いてしまったが、決して自分も“あちら側”に行かないとは限らない。

自分が趣味の範囲で楽しむことなら、そういう人たちに対して「初心者に不寛容な人たちだな」と見過ごすことができるかもしれない。

でも自分がこれまで何年も努力を積み上げてきた領域だとしたら?浅い知識でやってきた初心者を同じように見過ごすことができるだろうか。

「初心者に不寛容な人」というのは、自分が本気でその領域に取り組んでいる人と、趣味程度の感覚で入ってきた人が交わることで生まれるのではないかと思う。

自分が本気で取り組んでいて、その領域に対する知識も深いという自負があるときほど、初心者の間違いには寛容にならないといけない。

他人のミスを指摘したくなったら足元を見てみよう。きっとあなたの足元にも見えるはず、大きな大きな巨人が。

今日の1枚

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父の肩に乗せられた少年も、いつかは誰かを肩に乗せるようになる。使ったカメラはNikon F100、フィルムは業務用100。

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