memo 面白い冗句(ジョーク)、面白くない冗句(ジョーク)

インシデント:『泥棒』

2022年6月15日、少し悲しい出来事があった。
コピー機で500円が詰まって反応しなくなったのでそのトラブル処理に当たっていたのだが、コインが詰まったお客さんにボソッと「泥棒」と呟かれたのだ。きっと当人も無意識だったのだろう。あるいは「冗句(ジョーク)」として言ったのかもしれない。
そのあとすぐにトラブルは解決してその対応は完了した。コピー機での用事を済ませてお客さんは揚々と帰っていった。だけれど、終わった後も私の頭のなかにはずっとあの一言が頭の中に残っていた。
沸き立つのは怒りだった。あるいは、失望か。別に見返りを期待していたわけではない。お礼が欲しかったわけでもない。いろんなお客さんがいるのだから多くは望まない。でも、つまらない言葉でこちらのやる気を奪わないで欲しかっただけだ。
私は「冗句(ジョーク)」を言われたのだ、と納得することにした。それからは自分なりの冗句(ジョーク)の定義について思考に耽った。


思索:『冗句(ジョーク)』

冗句とはなんなのだろう。
とりあえず、面白い発言のことを指すのだろう。
日常のすこし面白かった話や愉快な出来事、ユーモアだとかセンスが問われるやつだ。
冗句が上手な方はいるだけで場が盛り上がるし、友達にひとりはほしい。
きっと「冗句のプロ」の方は、お笑い芸人や漫談師、落語家となるのだろうな。


思考:『冗句(ジョーク)』を『悪口』の免罪符にする人々

いろいろな方々と関わっていると、『悪口』と『冗句』が同じだと思っている方が一定数いることに驚く。

常連の方のなかには75歳の老人(以下、「老人」と呼ぶ)が居る。

老人は非常に口が悪い。未婚でスタッフへのセクハラ発言、下ネタを繰り返す。常に政治のヘイトスピーチと他人の悪口。このお店のブラックリストにも載っていて、出入り禁止になっている店も多数ある。人目も憚らずにほかのスタッフの悪口も言う。きっと、私もいないところでは悪口を言われているのかもしれない。相手をしていて溜息がつきたくなる方だ。
老人の口癖は悪口を言った後に「冗談だ」「最近の若いやつは冗談も通じないのか」「(注意したら)天狗になってんだよ」「老人の言うことは聞くもんだ」だった。
(『冗句(ジョーク)』についてきちんと考えようと思ったのは、この老人の口癖の影響が大きい)

老人はある時若い女性スタッフと口論になった。彼のセクハラ発言がきっかけだった。
それから老人は私にひたすら彼女への悪口をぶちまけた。身体を論う言葉、「だから(彼女の好きな野球球団)は負けるんだ」などと彼女の好きなものの否定、「最近のやつらは馬鹿なやつが多い」などとレッテルの重ね貼り。

老人は孤独だった。トラブルを起こした店舗のスタッフである私に対してくらいしかそんな愚痴を吐ける相手がいない。老人には家人もおらず、友達もいない。その理由は、考えるまでもないことだ。

老人の過ちは、『悪口』しか冗談のレパートリーがなかったことだろう。

私が心に留めているツイートを見てほしい。

ずっと老人の愚痴を聞いてきた。彼は世界と他人を否定し、高圧的で自分が正しいと思い込んでいる。注意したスタッフはみんな怒鳴られた。
度が過ぎた発言は「冗談だ」の一言で収めようとしていた。
でも、彼の『冗句(ジョーク)』は高圧的で、悪口も多く、下ネタばかりで…言われた方は何も面白くなかった。

私は老人の話をよく聞いている。だけど、それは彼と話すのが楽しいからじゃない。お客さんだからだ。3年近く経つのに私はため息を吐きながら相手をして好きになれないでいる。ずっと、老人のことを哀れに思っている。

思えば、私は老人の好きなものを知らない。
愚痴ばかりで、彼の口からそんな話を聞いたことがなかったからだ。
下ネタや若い女の子は好きなのかもしれない。でも、それくらいしか推察できなかった。
それは、とても悲しいことに思えた。


教訓:『冗句(ジョーク)』を『悪口』の免罪符にしてはいけない

私にとって老人は反面教師だった。
彼の『冗句(ジョーク)』は高圧的で、悪口が多く、下ネタばかりだった。
私達が楽しそうだからその話をしているのではなく、それしかレパートリーがなかった。それ以外の話し方を知らなかった。
そして、老人が楽しそうにしている姿も見たことがなかった。

私が今朝「泥棒」と言われたのは、お客さんが普段からそういう『冗句(ジョーク)』をよく言っているのだろう。
私にとって「質の悪い冗句」でも、お客さんにとっては何気ない一言に過ぎない。
あの人も『悪口』と『冗句(ジョーク)』を混同してしまっているのかもしれない。
そんな人はいくらでも居る。

私はコミュニケーション能力が高いわけでも『冗句(ジョーク)』が上手なわけでもない。
だけど、最近『悪口』を言わなくなった。
『悪口』を『冗句(ジョーク)』のように言うようになると後悔すると知ったからだ。
それらふたつを混同すると、きっと人生がつまらなくなる。
『悪口』は不満や怒りが積み重なれば、簡単に吐き出すことのできる優秀なコンテンツだ。だからこそ『悪口』を言わないことは難しいけれど、そればっかりだと不満ばかりに目を向けて楽しいことが目に映らなくなる。

『冗句(ジョーク)』を『悪口』の免罪符にしてはいけない


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?