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映画『桜桃の味』ラストネタバレあり これは映画だよん

桜桃の味(1997年製作の映画) TA'M E GULIASS
上映日:1998年01月31日
製作国:イラン
上映時間:98分
監督 アッバス・キアロスタミ
脚本 アッバス・キアロスタミ
出演者 ホマユン・エルシャディ アブドルホセイン・バゲリ アフシン・バクタリ


ラストにびっっっくりしすぎてどうしていいやらわからず、書くのを忘れてました。。




まず、毎度毎度思うんですがイランの俳優さんってホント自然な演技をしますよね。


ナチュラルな演技とはまた違うんですが、ドキュメンタリーかと思わせるような自然な感じがある。
(↑説明下手っ!)


撮影オフのときの表情とはまた全然違うので、やっぱ演技はしてるんですよ(当たり前)。
演技の中での自然さ。


**


ほぼ車の中での会話劇。


話す相手が変わっていく。
話す内容は「⚫︎殺の幇助」。


⚫殺したい主人公の男の背景は全く説明されない。
⚫殺したい人、というアイコン的存在。


で、その幇助を頼まれる人たちは一様に「んなことできるかいっ!」というスタンス。
さて、どうなるでしょう、と。


**


緊張感もあるし単純に「どういうラストにするの?」という強い興味で観続けました。


終盤、ある事情を抱えた老人の登場により展開していくんですが、
そうすると主人公が「あ、やべホントに話が動き出しちゃった…」的な感じで動揺し始めるのが人間的でかわいらしい。


しかし尺的に映画はそろそろ終わる。
果たして…。


ラストネタバレは以下に。








​1997年の映画なのでこのラストは衝撃だったことでしょうね。

「さてどうなる??」ってとこで、、いきなり撮影風景っぽいオフショット的な映像にら切り替わってそのまま終わり。

これは映画だよ、と。

逆にいうとラストまで描いてしまうとそれこそ映画の中だけの話になってしまう。

そのまま死んでしまうのか、やはり生きることを選んだのかどちらかを描くしかなくて、 「そっちのラストを描いたのね」ということだけになってしまう。

撮影風景を映して「これは作り物です」と明確にして終わることで 逆に「あなたはどう思う?どうしたい?」とボールを渡されたような気になりました。

正直どっちのラストがいいかわかんない。

監督もそうだからこういうラストになったのかな。



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