ロサンゼルス旅行記 -水のかたまりを求めて-
海が見たい。
夏が近づくに連れて、その気持ちがまるで寄せては返す波のように、押し寄せては引いていく。日々あくせくと仕事をしている中で、静かに波立つその気持ちがふっと現れたかと思えばさぁーっと消えていく。それでも時間が経つに従ってぼくのこころとからだが海を求めているという事実が緩やかに、されど確かに積み上がっていくのを感じた。
その昔読んだ村上春樹さんのエッセイにこんな言葉があった。
ぼくはこの言葉にこくりと頷く。忙しく過ぎていく毎日を通して「渇き」というものがじわじわと自分の中で広がっていく。その渇きを「たくさんの水」によって潤したい。時としてそんな衝動が抑えきれなくなる。
ぼくにとって必要な「たくさんの水」は、プールに溜められた水でもなく、湖のそれでもなく、海だった。それがなぜ海なのかと問われても自分でもよく分からない。けれど海こそが自分に必要なだけの潤いをもたらしてくれる。そのことについては確信めいたものがあった。
今回はロサンゼルスの美しいビーチを巡る旅。「ロサンゼルスには素敵なビーチがいくつもある」と耳にしてからどこかで訪れなくてはと思っていた。そしてそのタイミングがやってきた。2024年6月末のことだ。
ぼくがこの旅に課したルールは二つ。一つはたくさんの海(つまり水のかたまり)を見ること。二つ目はただひたすら南に行くことだ。Manhattan Beachのあたりから始まりLaguna Beachまで辿る旅。ハリウッドやビバリーヒルズといったロサンゼルス名物には目もくれず、ただただ海岸に沿って南へと進む。
今振り返って言えるのは、こんなにじっくりと癒された旅はそうない、ということ。写真を交えて振り返るので一緒に楽しんでいただければ嬉しい限りです。
El Segundo Beach (エル・サグンド・ビーチ)
朝起きてホテルを出る。ビーチを散歩する前に腹ごしらえでもしようと思いホテルの近くのカフェまで歩く。「OFFSET COFFEE」という名前のカフェ。なんとも今のくたびれた気持ちにピッタリだなとしんみりと思う。そして同時にせっかくの休みなんだから仕事のことはひとまず忘れてじっくりこの旅を楽しもうと静かに決意する。
店内にはレディオヘッドの曲が流れていた。『In Rainbows』というアルバムに入っている『Faust Arp』という曲だ。アコースティックなサウンドとトム・ヨークの祈りのような歌声がこころにに沁みる。ぼくはアイスコーヒーとアボカド・トーストを頼んで外のテーブルで朝ごはんを取ることにした。
飲みかけのアイス・コーヒーを片手にカフェを出た。最初に向かったのはエル・サグンド・ビーチ。今回の旅で最も北に位置するこのビーチをスタート地点にすることにした。
この日は嘘みたいな晴天で、雲一つない青空が広がっていた。浜辺にはちらほらと人がいるだけ。パラソルの下ですずむ女性たち。波打ち際で寝っ転がりながら静かに海を見ている男性たち。
やわらかくて気持ちいい風がそっと吹く。波は穏やかでもはや止まっているかのよう。その静かな海はまるでラムネ色のゼリーに見える。スプーンでさっとすくってしまいたい。
水平線上には大きな貨物船がぼやけて映る。ひょっとして幽霊船なんじゃないかと思う。いや、思わないか。
ぼんやりと海を眺めていると目の前をたったったっと中年の男が走り過ぎていった。短パンとランニングシューズだけを纏っているだけ。上半身は裸だった。褐色の肌に流れる汗が太陽の光に反射して光っていた。
この男の後をたどってビーチをそのまま南へと歩くことにした。歩けば歩くほどほとんど人はいなくなった。まるで世界にぼくとこの半裸の男しかいないかのように感じた。海、ビーチ、そしてこの上裸の男だけを視界に捉えながら次の目的地へと進む。
Manhattan Beach (マンハッタン・ビーチ)
見えてきた。波打ち際であそぶ人々の姿が。
マンハッタン・ビーチにいる人はみんな水着を着ていた。夏休みなのだろうか。その多くはまだ幼いボーイズ・アンド・ガールズだった。
サーフボードを抱えながら静かに砂浜を歩く男の子たち。打ち寄せる小さな波が来るたびにジャンプして飛び越えようとする女の子たち。それぞれのかたちでこの夏をじっくりと楽しんでいる。
砂浜を歩きながらぼくの頭にはビーチ・ボーイズの歌が流れていた。曲は「サーフィン U.S.A」だったらばっちりなのにどういうわけか「God Only Knows (神のみぞ知る)」の切なくて美しいメロディーが鳴っていた。
ぼくはエメラルドグリーンの海を見ながら、そして心地よい波の音を聞きながら歩く。南へ。
Hermosa Beach (ハモザ・ビーチ)
ビーチに沿って歩く。ぼくは砂浜の横に敷かれた散歩道を歩く。
ひゅんひゅん風を切りながら自転車が横を通り過ぎていく。
ハモザビーチにはひっそりと浜辺ですずむ大人の姿が多くあった。その中で一人、白い麦わら帽子に白いワンピースを着た女性がいた。波打ち際を悠々と静かな足取りで歩いていく。
その姿はこの世のものとは思えない美しさだった。思わずぼーっと立ちすくんで目で追いかける。その現実離れした光景を見て疑う。この女性が幽霊なのか、それともぼくが幽霊なのか。「あれ、ひょっとしておれ死んでる?」と考えがよぎる。
「ざばーん」と波の音が聞こえた。あれ、足元が冷たい。ふと下を向くとスニーカーと半ズボンが海水でぐっしょり濡れている。ぼーっとしている間に思いっきり波を浴びたようだ。
あほだ。自分のまぬけな姿にあきれる。でもこころの奥で「おれ生きててよかった」とひそかに喜びを噛みしめる。気を取り直して歩く。さらに南へ。
しばらく歩く。なんだか喉が乾いてきた。
ここで一休みしよう。ぼくは海辺のレストランに足を運んだ。
お店は空いていた。がらんとした店内で何人かのお客さんがバーに座っている。じっと遠くの海を見つめている人もいれば、小さな声でひそひそと話している人もいる。
キンキンに冷えたお水が飲みたい。そしてキンキンに冷えたビールも飲みたい。ぼくはIPA (インディアン・ペール・エール) を頼んだ。ゴクリと一口飲む。柑橘系のスッキリしたビールは乾いた喉をじわっと潤した。
BGMにはマルーン5の「This love」が流れていた。サーバーの金髪の若い女の子が音楽に合わせて口ずさんでる。のんびりした雰囲気を味わいながらグラスを傾ける。ふぅーっと息を吐く。
今日はあともう少しだけ散歩しよう。
Redondo Beach (ルドンド・ビーチ)
着いた。この日最後にたどり着いたのがルドンド・ビーチ。
ここはどちらかというと海水浴場ではなく、のんびりとした港町といった感じ。ヨットやボートがぷかぷかと浮いている。人々はレストランでシーフードを美味しそうに食べたり、バーでお酒を飲んだりしている。
ゆっくりと時間が流れていく。ぶらぶらと散歩しながらぼんやりときれいな海を眺める。そろそろ夕暮れの時間だった。
どこかから切ないメロディーが聞こえてきた。柱のてっぺんに括り付けられたおんぼろのスピーカーに耳をそばだてる。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの「スカー・ティッシュ」だ。シンプルで乾いたギターのフレーズに、暖かくされどぶっきらぼうな歌声が絡みつく。カリフォルニアで夕暮れ時にこの曲を聴かせるのはずるすぎる。いつもよりしんみりした気分にさせるじゃないか。
港町をぶらぶらと歩いていると広場で小さな人だかりが見えた。のぞいてみると、おじさんが大道芸のようなものをやっている。
広場のまんなかで老人の男が巨大なシャボン玉を飛ばしている。細長い棒を両手に持ち、その間に結いつけられた紐に用意した液体につけたかと思ったら、ふぁっと空に振り上げてシャボン玉を飛ばす。
その老人は恍惚とした表情を浮かべていた。こどもが初めてシャボン玉を見るかのように驚きと喜びに満ちた表情で。まるで自分自身がはじめてその巨大なシャボン玉を見るかのように。
ぼくはその老人を見ないわけにはいかなった。
しばらくぼーっとその姿を見ていた。
夕暮れの太陽の光に反射してキラキラと虹色に光るシャボン玉はどこまでも美しかった。
ひとり旅とはこころの洗濯だ。
たまには目的もなくぶらぶらと歩くのもいいじゃないか。旅は「結論」じゃなく「途中」の大切さをぼくに諭す。いろいろあるけど、まあ道中を楽しんでいこうじゃないか。そんな気にさせてくれる。
水のかたまりはじんわりと深くぼくのこころを癒す。からだも潤いで満たされていくのを感じる。
そしてまた歩き出す。
今日はそんなところですね。ここまで読んでくださりありがとうございました。今回の記事が少しでも気に入っていただけたらスキしていただけると嬉しいです。
ロサンゼルスの美しいビーチを巡る旅は続きます。次回もお楽しみに。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!