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ベトナムのバイクタクシーから学んだこと

あれは2012年のことだった。ぼくはその当時大学4年生。就職活動に失敗し人生というものについてそれなりに真剣に考えていた時期だ。ぼくは大学を半年間休学し、ベトナムはホーチミンへと渡った。海外インターンをするためだ。ことの顛末についてはその昔以下の記事に書いたのでそちらに譲るとしよう。それはそうとホーチミンで経験したことで思い出深いものが一つある。それはバイクタクシーだ。

ホーチミンはベトナムの中心地の一つ。しばらくホーチミンには行っていないから今どんな様子かは分からないけれど、当時のホーチミンは"あるもの"で溢れていた。そう、それはバイクだ。

街を見渡せばバイクの山。道路には車の数の何倍ものバイクがぶんぶんと走り回っていた。その多くが小型のスクーターのようなもので、人々はそれを使って通勤したり通学したりしていた。ちょっとお買い物をしたり友達と会ったりするためにもバイクで外出をするのがお決まりといった様子だった。まだベトナムの社会が発展段階だったということだろう。車社会ならぬバイク社会だったというわけだ。

ぼくはその当時スマートフォン用のアプリを開発するホーチミンのスタートアップでインターンをしていた。大学生だったぼくは大した仕事をしていたわけではないけれど、簡単に言うと通訳みたいな仕事を任されていた。日本向けに出すアプリの日本語を直したり社員に日本語を教えたりといった仕事だ。小さいビルのひとフロアに30人ぐらいのベトナム人が鮨詰めになり、デスクトップパソコンと睨めっこしながら仕事をしている。そんな感じの職場だった。

ぼくが泊まっていた安アパートから職場まではちょっと距離があった。その通勤で使っていたのがバイクタクシーというものだった。

バイクタクシーはなかなか粋なのだ。アパートの前には土ぼこりが舞う汚いロータリーのような広場があった。毎朝その広場に何人か渋いベトナム人のあんちゃんがバイクにまたがって待機している。「乗ってくか?小僧」みたいな声をかけてくる。「おう、乗ってくぜ」と応じた後、「行き先は?」と聞かれるのでオフィスの場所を伝える。「じゃあいくらな」みたいなやり取りをした後にお金を払う。「おれの背中に捕まりな」という声に応じて狭い後部座席にまたがる。そしてブゥーン!と音を鳴らしたかと思ったら風を切って職場まで走ってくれるのだった。オフィスの前でおろされると「あばよ」と一言しれっと声をかけられる。そしてバイクタクシーは風を切りながら疾走して街の中へと去っていく。そんな具合だ。

最初はいつも同じあんちゃんのバイクに乗っていた。おんなじ値段で。

でもあることに気付いたのだった。

いつも通りお金の交渉をしていると横から大きい声で別のあんちゃんが叫んできた。「9ドンで乗せてやるよ!」と。

目の前で10ドン (ドンはベトナムの紙幣だった、たしか) を提示していたあんちゃんは微妙な面持ちを浮かべた。こちらとしてはもちろん安い方がいいので他のあんちゃんの方に行こうと背を向ける。

するとぼくの背中に向かってそのあんちゃんはこう叫ぶのだった。「わ、わかった、、、じゃあ8ドンで!」

ぼくは振り返ってニッコリ笑った。安くなったのはもちろん嬉しかったけど、「なるほどそういうことか」と膝を打ったからだ。

ぼくはそれからというものバイクタクシーとの交渉のやり方を覚えた。安アパートを出るといつも通り4-5人のあんちゃんが待っている。そこであえて大きい声で値段を交渉するのだ。わざとらしいぐらいに。すると大体横から「○ドン!」と叫び声が聞こえてくる。これはシメたものだ。

そして一度下げた価格は簡単に元には戻らないということも分かった。「9ドンな」と言われたら「え、昨日は8ドンで乗ったけど」と言うとあんちゃんも返す言葉が見つからない。向こうも理解したのか、それからというものあんちゃんたちもアグレッシブに値段を下げることについては慎重になった。

またあんまりハードに値段を交渉するとあんちゃんがとても渋い表情をこちらに見せてくることも分かった。値段交渉が度を越すと、あんちゃんたちは安アパートから出てくる他の学生の方を向くようになってしまったからだ。「そうか、ぼくには競合(Competitor)がいたんだな」と気付くのだった。


とても小さい話かもしれない。でもぼくはこのバイクタクシーというもので交渉ということの基本を学んだ -----  気がする。相見積もりのような考え方も学ぶことができたし、どうやって価格のマッチングが行われるかもなんとなく分かった。価格の底値なんかも事前に見極めるようにもなった。安アパートの前の汚いロータリーがぼくには市場(マーケット)に見えていたと言っても過言ではない。

あれはとても貴重な体験だった。そしてこの体験を思い出してつくづく思う。「どんなことからも学ぶことってあるんだよな」と。

学ぶ教材のクオエリティーは大事だ。でもそれと同じくらい (なんならそれ以上に) 学ぶ側が"学習能力”をフル回転することって重要ですよね。そんな話でした。

みんなお疲れ様の一杯を楽しんでおった

今日はそんなところですね。シアトルのダウンタウンにあるバーでビールを飲みながら。これから地元ミュージシャンによるジャズのライブに行ってきます。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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