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教師の心得、仏様の教え、教え子は宝物

 以前、ある保護者から、「先生はどんなことを言われたら一番うれしいですか?」と訊かれたことがあります。ちょっと考えて私は、「先生のおかげで…、と言われたらやはりうれしいですね」と答えました。自分がしたことで他人(ひと)が喜んでくれたらこれほどうれしいことはありません。ただし、「おかげで」と言われても、実際に行動したのはその人本人であって、私が何かをしてあげたわけではありません。本人の努力が報われただけのことにしか過ぎません。実際、何かをしてあげることはできず、自らに降りかかる問題の答えは自分で見つけなければなりません。「自分がしてあげた」などと恩に着せるのは以ての外ですし、私たち教師にできるのは、生徒を見守り励ますぐらいのことです。
 私が女子校に勤めていた頃のことです。いつもとは様子が違って表情が暗いなと感じた生徒がいたので、「どうかしたのか?悩みでもあるの?」と声をかけました。本人が否定したので、「そうか」と言ってその場は終わりましたが、後日、その生徒がうれしそうに駆け寄って来て、「先生、解決しました。ありがとうございました」と感謝の言葉を述べたのです。「そうか、よかったなあ」と返事はしたものの、私には何が何だか事情はさっぱり分かりません。でもそれでいいのです。本人が自分の力で解決したのですから。それよりも私自身が、見守っていることを相手に伝える大切さを彼女から学んだのですから、感謝するのは私の方です。
 また、今度は男子校ですが、高校3年生になった生徒たちを、故あって私が急に担任することになったときのことです。6年一貫教育の学校で、高3になって担任が替わったのですから生徒も不安ですし、私も生徒のことが分かりません。そこで私は最初のLHR(ロングホームルーム)の時間にサッカーをすることにしました。男の子ですから体を動かすのは大好きですし、生徒たちはとても喜んでくれました。その後一人一人と面談を重ねていったのですが、ある生徒との面談のとき私は、「君はサッカーがうまいねぇ」と褒めたのです。その生徒はびっくりしたような感じで、「先生、何で知ってるんですか?」と質問してきました。LHRの時間にサッカーをしているのを見ていてそう思ったと伝えると、彼は実にうれしそうに、「先生、実は秘密なんですけど、僕、サッカーを習ってるんです」と、何と秘密まで打ち明けてくれました。その後の会話は覚えていませんが、彼の実にうれしそうな顔の表情は今でも鮮明に覚えています。このとき私はちょっとしたことでも心から褒めることの重要性を学びました。
 プライドが高くしっかりした自分というものを持っている生徒に対してはそのプライドをくすぐってやることが効果的です。担任の言うことなんか聞かないといった態度が垣間見える生徒に、「君は他人から何や彼やと言われるのは好きじゃないだろうし、自分のことは自分でちゃんとやっていける生徒だと先生は思っている。だから君に関しては特に何も言わない。それでいいね?」と言うと、「はい」というひと言が返ってきました。実際、その生徒は大学進学後もよく勉強し、今では東京で弁護士として活躍し、最近「業務拡大に伴い、事務所を移転しました」といううれしい知らせが届きました。たまたまうまくいったに過ぎないことではありますが、承認することの大切さを今更ながらに実感している次第です。
 さてここで、大村はま『新編 教えるということ』(ちくま学芸文庫)に載っている教員なら必ず知っていて欲しいお話を紹介します。

 仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、 からからと男は引いていってしまった。

 男は仏様の手助けを知りません。自分の努力で難局を乗り切ったと思っている男の喜びと自信は彼の成功体験となり、その後の容易ならぬ事態の出来に際しても逃げることなく果敢にチャレンジすることでしょう。それが生きる力です。人知れずそうーっと手を差し伸べて相手が自分の足で歩いて行くようにすること、これが教育の本質です。
 私たちはこの仏様に限らず、知らず知らずのうちに様々な恩を受けて生活しています。国の恩や親の恩は言うまでもなく、恩人という言葉があるようにお互いに助け合って生活しています。したがって、恩を受けた方としては感謝の心を忘れず、礼を尽くすことが大切です。しかしながら、私が尊敬していた先輩は、「受けた恩は感謝して忘れろ」と言っていました。「なるほど」と思いました。何かをしてやった方は、それを恩に着せるようなことはせず、相手が囚われなく自分の人生を歩めるようにしてやることが大切なのです。
 私は自分の教え子たちのことを宝物だと思っています。彼ら彼女らが社会人として活躍している姿を遠くから眺めていられる幸せをつくづく感じています。正に至福のときです。感謝せずにはいられません。

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