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抑鬱状態を脱する希望と勇気と主体性と

 「子供の自殺 6月に増加」(令和5年5月20日付産経新聞)という見出しの記事が目に留まりました。記事によれば、「小中高校生の自殺者は令和4年に514人と過去最高となった。月別で見ると、4月の31人に対し、5月は40人、6月は62人と2倍に増えている」と言います。
 また、鬱病などの精神疾患の低年齢化が指摘されていて、「警察庁と厚労省の統計(4年)によると、小中高生を含む19歳までの自殺者1006人のうち、鬱病が原因・動機とされたのは79人。学業不振(104人)や進路に関する悩み(84人)と並んで目立った」ということです。
 全体的な自殺者数の増加には新型コロナウイルス感染症の影響があるのかもしれませんが、6月に増えているところを見ると、最近はあまり耳にしなくなったような気のするいわゆる「五月病」もあるかもしれません。長年中等教育に携わってきたせいか、とにかく子供が絡む事件や事故には心が痛みます。とりわけ将来のある子供が自らの命を絶つなどという悲劇があっていいはずがなく、何のためにこの世に生を享けたのかと悲痛な思いがします。
 もう四半世紀ほども前のことになりますが、私自身、身近な友人を自殺で失ったことがあり、また、5年ほど前には知人が鬱病を患い、「時々自殺したくなる」と言っていた彼は実際自殺してしまいました。無力感にさいなまれましたが、人が人を救うことの困難さを痛感しました。
 最近は若者を中心に「新型(非定型)鬱病」が増えており、そのおかげで季節性の「五月病」が消え、抑鬱状態が通年になってきているそうです。従来の鬱病が、何をしていても持続的に気分が落ち込むのに対して、新型鬱病は、好きなことをしているときは問題なく、嫌なことをしていると激しい抑鬱症状が現れるということです。嫌な時だけ気分が悪くなり、それを他人の責任にするのが新型の特徴だと言われると、何だかワガママを病気のせいにしているようで腑に落ちないものがあります。とは言え、心の病の苦しみは本人にしか分かりませんし、他人としては、理解しようと努力はしても如何ともしがたいものがあります。
 新型鬱病の背景として専門家は、「親が非常に過干渉で、子供のころから無理してがんばってきたケースが多い。親にガミガミいわれて、親の不安感や葛藤をそのまま受け継いできたような感じです」と説明しますが、何でもかんでも家庭のせいにされては親も辛い。私には、インターネットやSNS等の普及によるコミュニケーションの変化がもたらした過度の対人ストレスや、将来への明るい展望がない得体のしれない不安に主な原因があるように思えます。これといった処方箋は見つかりませんが、人としてこの世に生を享けたことを感謝するとともに、希望が無ければ生きて行けない人間性の性(さが)を理解することが大切であるように思います。
 ギリシア神話に「パンドラの箱」という物語があります。粘土から人間を創ったプロメテウス(「先見の明を持つ者」の意)が天上から火を盗んで人間に与えたことを怒った最高神ゼウスが、その弟エピメテウス(「あとで考える者」の意)のもとに送り届けたのがパンドラ(「あらゆる贈り物」の意)という女です。ゼウスはその際、絶対に開けるなと厳命した一つの箱をパンドラに持たせていました。パンドラが好奇心からその箱を開けてしまったために、悪疫や盗み、貧困、欠乏、嫉妬といった人類の諸悪や不幸、災いが地上に広がりました。慌てて箱の蓋を閉じたら箱の底に「希望」だけが残った、という話です。
 「希望」は災いではないと思いますが、なぜ箱の中に入っていたのかの説明はありません。もっとも、「希望」があるために諦めることを知らず人間が苦痛を味わうのだとすれば、「希望」は災厄と言えなくもありません。それはともかく、希望さえあれば少々辛いことでも耐えられるように人間はできています。あそこまで行けば楽になるとか達成感が得られると思うからこそ、頑張れるのです。ゴールが見えず方向性も示されなければ、何をどう頑張っていいかもわからない。そんな状況では誰も努力などできません。しかし、ゴールは他人に決めてもらうものではありません。ゴールを自分で決めてこそ責任を持って継続的に取り組むことができるのです。そして人間には、ゴールを自分で決める自由があります。素晴らしいことだと思います。
 人間である以上心がふさぐことは誰にでもあります。しかし、心がふさぐ問題は、ほとんどの場合その問題をどう受け止めるかどう考えるかに原因があります。物事を悲観的に捉え、自信がなくなり、将来に明るい希望が持てずに心が沈むのが鬱なのですが、人間には、人間として生まれた以上自分の人生と真摯に向き合う義務と責任があるはずです。自分の人生について自分で考え、自分で決め、自分で行動し、自分で責任を取る。そうやって自分の人生を自分でつくっていくことが大切なのです。
 では心がふさいでいるときはどうすればよいのか。私の場合、自分の気持ちを人に聴いてもらう、紙に書き出す、別の角度から問題を考えてみる、というようなことをやっています。そして、やることを決めて行動に移すと不思議と物事は改善します。実際、行動することなしには何事も解決しません。行動することこそが大事なのです。くよくよ考えていてもはじまりません。心がふさいでいるときは、意識して、上を向いて歩き出すことが必要です。そして大切なのはその勇気を持つことなのです。

 新約聖書の「ヨハネによる福音書」第5章第2節-第9節に次のような話があります。

 エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。……(新共同訳)

 この話はキリストの奇跡のひとつですが、私には、「主体性に行動せよ」というキリストのメッセージのように思えます。つまり、自分で治りたい、という強い気持ちがなければ治るものも治らないということです。「病は気から」と言うように、気の持ちようによっては治る病気も治らない。それにしても、38年間も病に苦しんでいて、キリストから「良くなりたいか」と問われ、「はい、良くなりたいです」と答えるわけでもなく、「わたしを池の中に入れてくれる人がいない」から病が癒えないと答える人とは一体どんな人なのでしょう。自分のことであるにもかかわらずまるで他人事です。それだけ病が重く人に頼らざるを得ない状況だったのかもしれませんが、38年間も床に伏してただ助けを待つだけの生活を甘受していたのでしょうか。もっとも、真っ先に水に入れば病が癒えるという「希望」があったからこそ38年間耐えられたとは言えるかもしれません。
 ビジネス書の世界的ベストセラーである『7つの習慣』(キングベアー出版)の第1の習慣は「主体性を発揮する」というものでした。自ら進んでやろうと思わないことには何ごとも始まらないということなのでしょう。英語の原文は“Be Proactive”で、proactiveには「先のことを考えた、事前の対策を講じる」といった訳が辞書に載っています。しかし、これでは意味がわかりません。英英辞典を引くと、“controlling a situation by making things happen rather than waiting for things to happen and then reacting to them”と定義されています。「事が起こるのを待ってそのことに対応するというよりはむしろ事が起こるようにして状況をコントロールする」という意味です。自ら主体的に行動することによってのみ事態は好転するということです。
 7つの習慣の第2は「目的を持って始める」(Begin with the End in Mind)、第3は「重要事項を優先する」(Put First Things First)、第4は「Win-Winを考える」(Think Win/Win)、第5は「理解してから理解される」(Seek First to Understand, Then to Be Understood)、第6は「相乗効果を発揮する」(Synergize)、第7は「刃を研ぐ」(Sharpen the Saw)となっています。
 原題はThe 7 habits of highly effective people「非常に有能な人たちの7つの習慣」というもので、この7つが文字通り習慣として身に付けば人生において成功する可能性は高いと思います。とは言え、「言うは易く、行うは難し」です。なるほどと思って決意し実行に移したとしても長くは続かないのが大方の人間というものです。「継続は力なり」とはよく言ったものです。
 さて、7つの習慣を私なりに要約すれば、「心の中に人生のゴールを思い描き、そこから逆算して人生を設計し、大事なことから始め、敵をつくらず、自分から近づき、チーム力を結集する。そして学び続けること」となります。しかし、全ては、希望を持ち、自分のことは自分で決めることのできる主体性と一歩踏み出す勇気とから始まることを忘れてはなりません。

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