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noteを始めて2か月経つので改めて自己紹介

noteを始めて、2か月弱が経過しました。
最初の自己紹介は何を書いて良いか分からないままだったので、ものすごく貧弱です。他の人もしばらくしてから自己紹介している記事を結構書いていたので、ずっと書きたいと思っていました。

ただ、他に書きたいことが多く、文章の書き方を色々と勉強していたら今日になってしまいました。

最近の趣味は下記のような感じです。基本的にはインドアとアウトドアが半々くらいです。

・体を動かすこと:筋トレ、ランニング(コロナ禍でジムに通えず・・・)
・本を読むこと:最近は事業開発系、経営者の書いた本、化学関係
・人と交流すること:色々な人と活動しています
・文章執筆:note、ブログ執筆がメイン

また、基本的な考えはこんな感じです。

・まずは行動
・人より先に動く、会議では人より先に意見を言う
・周りの人を幸せに
・どんな場面でも先頭に立つ

折角なので、これまで生きてきた中で印象に残っていることを書いておきます。

高校時代

埼玉のはずれの高校に通っていました。本当に不便なところでした。

当時はエアコンもついていないディーゼル車で一時間に一本以下しか走っていなかったです。また、駅についてからも学校まで5km以上あるので、毎日自転車です。

駅はもちろん無人駅です。駅前に駐輪場なんてなかったので、近くにある自転車屋さんにお願いして、自転車を置かせてもらっていました。また、学校にいくときも、途中は3km位まっすぐで、信号もなければ、街灯もないようなところでした。

そんな環境なので、自動車はあまり通らないので、気持よく自転車には乗れますし、夜でも月明かりでなんとかなります。

ただ、部活が終わって、いつもの電車にダッシュしていましたが、たまに乗り遅れるんです。そうなると、悲惨の一言。

空調も聞いていない無人駅で一人で1時間位待っていないといけないのです。夏の暑いときや、雨が降ってカッパが濡れてしまったときなど、色々とありました。

そんな環境ですが、高校時代は結構楽しかったですね。それほど勉強した記憶がないのですが、3年間クラスが一緒だったので、ずっと同じ仲間と楽しい時間を過ごしました。

唯一残念なのは、私が卒業してしばらくしてから、男子校が共学に変更になったことです。。。

大学時代

埼玉のはずれから都内へデビューしました。

理工学部の応用物理学科でした。なんとなく、高校時代に数学や物理が好きだったから選んだ学科ですが、それでも選択は間違っていなかったと思っています。

ただ、高校時代あまり勉強してこなかったので、入学直後はついていくのに必死でした。こいつらはなぜこんなに出来るのかって思っていました。まあ、卒業するときにはそれなりの成績にはなりましたが・・・

途中から一人暮らしを始めました。駅から20分位と不便なところでしたが、大学やバイト先に全て自転車で行けるところだったので、良かったです。

また、一人暮らしを始めたので本格的にアルバイトを探しました。やっぱり賄いがあるところが良かったので、池袋駅前のイタリアンレストランが新規オープンするということだったので、ここで働き始めました。

仕事はホールスタッフとお酒作りでした。全体的に女性のスタッフが多かったですが、なぜかお酒は男性が作るというルールがあったので、色々と重宝してもらいました。また、ホールスタッフで仕事をしていたので、人前でしゃべるということが苦手でなくなりました。

大学院博士前期課程

大学と同じところに進学しました。その頃は、研究室に朝から晩まで入り浸っていました。研究室は一学年で5人程度だったので、研究はもちろんですが、相当濃厚な時間を過ごしました。

当時やっていたのは、半導体微細加工技術を利用した光通信用のデバイスつくりでした。研究室が新しいところだったので、一から全て立ち上げるという経験をたくさんやっていました。

きっとこういった経験が今後の新規事業や研究を進める上で、すごく役立っていると思っています。

民間企業へ就職

大学院も2年間通っていたので、似たような研究を会社でもやりたいと思っていました。そんなときに成田空港の近くにある会社から声をかけてもらいました。

その時お世話になった、採用担当部長は入社後も色々と相談に乗ってもらったり、ありがたかったです。

最初は研究所で大学時代に近い内容で仕事をしていましたが、途中から信州大学との共同研究が始まりました。勤務地が千葉と長野という生活が2年位続きました。当時の自宅は埼玉だったので、両方とも通っていました。

長野は遠いと思う人もいますが、大宮から新幹線で1時間ですし、指定席で快適な通勤ライフだったので、実は結構良かったです。

そして、信州大でひっそりと博士号を取得してしまいました。そして、勢いそのままに大学へ・・・

国立大学へ就職

勢いで大学の教員になりました。

任期付きということと給料が下がるので結構悩みました。最後は家族との話の中で決めました。よく聞かれますが、給料は1割減位でした。

大学では、主に材料関係(半導体ナノ粒子、太陽電池、ディスプレイなど)をやっていました。元々、教育ということに興味があったので、学生たちを育てながら研究を進めるのは非常に面白かったです。

また、外部の企業から良く声をかけてもらいました。時にはそこは私の専門ではないですが・・・ということもありましたが、是非にと言われ、色々と手伝させてもらいました。

一度、なぜ声をかけてくれるのかをきいてみたのですが、「トークに情熱が感じられる」、「人として信頼できる」といったことを言われました。これも嬉しい限りです。見ている人はちゃんと見てくれているんですね。

そんな10年間を過ごしてきましたが、最後は人事委員会を開いて任期を延長するということを審議することもできないと言われたので、さくっとこんな大学は辞めてやろうと・・・

再び民間企業へ

まあ、色々あってもう一回民間企業でモノづくりを学ぼうと思い、最初の会社とは別の会社ですが、民間の世界に戻ってきました。

高校時代に化学に挫折した私ですが、なぜが化学メーカーに!

細かいところはずっと化学に携わてっきた人には負けますが、総合力で何とかやっています。最近は主に新事業開発系です。

一つでも会社に貢献できればと思って、日々奮闘中です。

コミュニティ活動

いくつか活動をしていますが、一番時間を割いているのはシンギラリティ・ラボです。下記のHPで見えるところだと、広報チームで記事執筆しています。

がっつり理系の私ですが、なぜか文章書きに目覚めています。後は、チーム運営やプロジェクト支援、学習支援アプリ開発プロジェクトなど広く携わっています。

最近はtwitterを始めました。もし繋がれる人がいましたら、宜しくお願いします。https://twitter.com/TakeshiFukuda16

雑記帳みたいになりましたが、これまでの生きてきた内容になります。引き続きnoteの連続投稿を続けていきますので、宜しくお願いします。

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