11月某日_4

 その日。
 火曜の夜、ジムで胸を鍛え終え、ショッピングモール地下のスーパーで夕食を買ってから帰る住んでいるマンションの二階から三階へと至る階段の踊り場に黒い容器に入ったカレーがあり、ご飯とルーがそれぞれ仕切られているそのご飯の上には小さな揚げ物が三つ並んでいた、大きさからするとカキフライではないかと思ったが、まったくキレイな状態というか、買ってきたそれをそのまま階段の踊り場にただ置いているという感じで、どれだけ時間は経っているのかはわからなかったけれど、毒物でも混入されていない限りは食べても差し支えないようにしか見えなかった、このマンション(アパートと言うべきかもしれない、でもその違いがわからない)に住んで十一か月になるが、二階から三階へと至る階段の踊り場にそうやって置いてある食べ物に遭遇したことはこれで三度目で、最初は越してきたばかりの一月、それから、毎晩眠れずに朝まで川で過ごしていたその帰りだったから、二月から五月のいつかだった、その時はカレーではなく、唐揚げと焼肉(生姜焼き?)でおかずとご飯は別々の容器に盛られていたから、おそらくチェーンの弁当屋で買ってきたものらしかった、カレーもそうなのかもしれない、やっぱりどちらも手の付けられていない、買ってきたそのままを置いているような状態だったけれど、一月も、二月から五月のいつかのときも、そうやって唐突な弁当に鉢合わせてだけど不可解に思わなかったのは、端的に自分の頭は狂っていたからで、なんだこれ、なんだよ、は?階段に弁当とか、ナメてんのかよ、どういう弁当なんだよ、は?え?は?ふざけんなよ、お前なあ、俺なんかなあ、弁当どころじゃねえんだよ、あんなことされてなあ、あんなこと言われてなあ、マジでなあ、もうなあ、死にてえんだよ、つうか死ぬんだよ、は?は?は?つうか、は?なんで俺が死ななきゃいけねえんだよ、は?は?お前が死ねよ?は?え?は?なに?なに?わかったよ、俺が死ねばいいんだろうが、言われなくてもわかってんだよ、なんだよ、マジなんなんだよ、つうか、なんの弁当なんだよ、弁当とかなんなんだよ、ナメてんじゃねえよ、ふざけんじゃねえよ、だからお前が死ねよ、は?は?は?と、憎悪と怒りと希死念慮がもわもわと沸き起こり、脳内が負の感情のごった煮にみたいな感じに、なんの罪もない弁当を見てもなってしまうくらいにヤバかったのだが、三度目の邂逅を果たした火曜の夜も不審に思うこともなく、負の感情のごった煮にもならず、二十秒くらいそれをじっと見つめてから三階に上がり、ずっと鍵をかけていない自分の部屋に入って、一人で暮らしているのに、ただいまー、と言うだけでなく、あ、まだ帰ってないのか、なんだ、まだか、そっかそっか、などと一人で本当にしゃべったりしてから、スーパーの袋とリュックを床に落とし、衣服を脱ぎ、ボクサーパンツ一枚になってマットレスに横たわってから、あの二階から三階に至る階段の踊り場で誰かは死んだのだろうか、と思った、それくらいしか、あんな場所に弁当を供える理由がわからないし、清掃や消防施設の点検を行う旨が告知される掲示板にも「弁当を置かないでください」などと注意喚起されることもなく、つまりはあそこに弁当を置くことは管理側に了解されているのではないか、この物件を探していた去年の十二月も頭はおかしかったし、内見だってこの一ヶ所しかしていず、ほとんど説明が理解できないような状態で申し込んでしまって、契約時にオール電化の物件だとわかってビビったくらいだったから、そこで人は死に、それゆえ、色々と供えられることがあるということだって、前もって聞かされていたのかもしれない、そう思って、服を着て、階段の踊り場を見に行ったら当たり前にカレーはそこにあって、もし、ここで亡くなった人がいることを伝えられており、でもそのことをまったく理解せずに毎日往復していただけでなく、二度も激昂しているそれはとても不謹慎というか、非道であるように思え、目を閉じ、手をあわせて、えー、あの、今年の一月に引っ越してきたフクダと申します、あの、ご挨拶が遅れてもうしわけありません、引っ越してきたころは狂っていましてですね、そのもう、本当に色々とご迷惑をおかけしまして……などと、弁解をした。

 水曜日、目を覚まして鶏むね肉を茹でた、決まった時間に眠って、目覚めるという生活をもう一年以上送っていず、八時に目を覚まして、九時前に家を出るというのが理想と言えばそうだが、六時を少し過ぎたくらいだったのでずいぶん早く、しかし二時間くらいしか眠っていないのに目が冴えに冴えていた、茹でた鶏むね肉に醤油をぼびゃっとかけるそれを食べながら、考えていたのは見ていた夢の「売れない小説家ウルトラクイズ」で、夢とは言え、しかしバカだなあ、バカすぎるなあ、と呆れてしまうが、「売れない小説家ウルトラクイズ」の煽り文句はもちろん「ニューヨークへ行きたいかー!」ではなく、「五大文芸誌で連載をしたいかー!」で、そう叫んだのは芥川賞の選考委員でもある人だったけれど、会場はもちろん東京ドームとかではなく、どこかの学校の体育館で、それでも五大文芸誌で連載したい無数の売れない小説家(なのかどうかは本当はわからない)であふれていた、当たり前に五大文芸誌で連載したい俺はでも、五大文芸誌で連載したい売れない小説家たちの殺気立った雰囲気に気圧されてしまい、後ろのほうに小さく控えていたのだが、一問目は○×クイズだったと記憶しているのは、スーパーファミコンのウルトラクイズのゲームをやりこんでいたからで、確かにその通りだった第一問目は、「リアリティを追及するためならば、小説において、個人が完全に特定されうるように書くこともなんら問題はない、いや、むしろそう書くべきである、なぜならば、優れた芸術は時として個々人の権利や自由を凌駕するからだ、○か×か」というもので、れっきとした正解があるような、知識で乗り越えられるような問いではなく、小説家としての資質を、五大文芸誌で連載するにふさわしい書き手であるかどうかを確かめるための問いらしかった、○であれば左側に、×であれば右側にそれぞれわかれることになるその時、自分は×に移動したのは、倫理がどうとかそういうことではなく、単純にリアリティの追及とか、特定の個人を書くというそのことに関心がなかったにすぎないからだったが、無数の売れない小説家たちはほとんど真っ二つに割れたように見え、そこまで!という芥川賞の選考委員でもある人の合図のもと、いよいよ正解が発表されるかと思いきや、○と×に集った無数の売れない小説家は一列に並ばされ、それから一対一であっちむいてホイ!で戦いあい、さきに陣営が尽きたほうが敗退になるのだった、なんだそれ、とむなしくなりながら、自分の番がやってくるまで呆けていると、っていうか、フクダさんっすよねえ、と後ろにいたパンクスっぽい格好の男に声をかけられたので、まあ、いちおうそうっすね、と応じれば、うわ、ウケる、生フクダだ、うわ、とそれだけ言って、列から離れてしまったし、俺のどこにウケているのかはわからなかった、そんなことよりも○チームは異常に強く、×陣営はみるみるうちに人が少なくなり、やがて自分の番がやってくれば、相対したのは普通に売れている、大きな賞も二つ、三つ取っている小説家で、面識なんかもちろんないが、いや、あんた、普通に売れてるじゃないすか、とつい言ってしまえば、売れてたって連載は欲しいし、結局はこの世界も食うか食われるかだからね、ときっぱり言うその人に自分もあえなく敗れた。

 まあ、そうか、文学の世界も食うか食われるかなのか、とぼやぼや思いながら、少しだけ小説を書き、身支度を整えて家を出る、階段の踊り場のカレーはなくなっていて、また少し手をあわせる、本当にここで誰かが死んでいるとか、そんなことはたぶんないだろうけれど、しばらく手をあわせようと半ば脅迫的に思う、そういう無意味な習慣が人生の埋まりようのない隙間にちょっとした風を吹かせる、別に風が吹いたってなんにもならないけれど、横断歩道を渡り、歩道橋を上り、歩道橋を降り、改札を抜け、ホームまではエスカレーターで、4号車1番に並んで電車に乗る、ベンチで朝マックをむさぼりながら缶チューハイのロング缶を飲んでいる人がいて、イケてるなあと思う、車中ではこの頃、ボイスメモで撮った自死した同じ名前の友達のライブを聴くことが多く、ご無沙汰しています、と毎回MCでそう言っていることに、なんとも言えず、たまらない気持ちになる、本当にずっと無沙汰が続いている、夢でも友達は全然現れることはない、電車を降りて坂道をくだっている最中に「坂道を駆け降りる夢から覚めて/瓶ビール飲んでる六時前」と死んだ友達は歌う、「涙の匂い」という曲のその部分だけは俺が書いた「プラネタリウム」という詞から持ってきたもので、そっちは曲にはなっていない、いま「プラネタリウム」の歌詞がiPhoneのメモに残っているかどうか調べたらあって、「歌はいつ金になるだろう/金にならなくてもいいや/家庭用プラネタリムを君に買ってあげる」みたいな内容だった、そうやって友達に詞をたくさん送り付け、ほとんどは曲にはならなかったが、曲になったものはすこぶるいい曲、名曲とはっきり言っていいと掛け値なしに思って、しかしまあ、なんだって死んじまったのかなあ、とそういう気持ちに戻ってくるそのとき、彼の音楽を聴きたかったという気持ちは当然ある、そして、そういう人は本当にたくさんいた、職場について、タイムカードを切り、出社、パソコンの電源を入れて、しかしどうしようもなく立ち上がるのが遅く、ログインパスワードを打ち込んでからもまたひどく時間がかかり、各アプリケーションを起動するまでもまた相当な時間を要し、そんな状態でインデザインだのフォトショップなど使っていて、明らかに効率は悪いのだけれど、そういうパソコンの在り様が自分の勤めている業界、組織そのものだし、給料も本当に安いから、こちらからすすんで買い替えを要求することもせず、すべて飲み込んで淡々と効率の悪いまま仕事をする、休憩中に本屋へ、豊崎由美『どうかしてました』を買う、明日、ひさしぶりにほんの少しだけ会う友人に渡そうと著書も探してみたがなかったので、そのかわりにと池谷和浩『フルトラッキング・プリンセサイザ』を買った、夢の影響か、文芸誌をいくつか少し立ち読む、ああ、そういう感じね、と思う、職場に戻って仕事の続き、退社してジムへ行き、肩を鍛える、小説も二十年とか書いていて、多少はモノになったと言っていいと思うのだが、筋トレも長く続ければ、いかにも筋トレをしている人の身体になれるのだろうか、スーパーには寄らず、セブンイレブンでたんぱく質がたしか19.9g摂取できるサラダを買って帰宅、踊り場にカレーはない、弁当もない、米を炊き、焼きウインナーと目玉焼きを拵え、丼飯にサバ缶を投入したそこに焼きウインナーと目玉焼きも載せて食べる、食後、ドラクエ3リメイクを、ボストロールを倒すところまでやってきたが、率直に言ってだいぶ飽きていて、小学校一年生のときにプレイしたオリジナル以来だから、当時は十分な理解のもとに楽しむことがきっとできず、だからリメイクに対して感動や感傷が立ち上がってくることもなくて、しかも様々なゲーム体験を経た今ではシステムやストーリーに今更グッとくることもないけれど、それでもドラクエである、ドラクエでしかないというその一点でプレイできるのだから、ドラクエはすごいと思う、なんだかんだドラクエが好きなのだ、日付が変わってもちろん眠れず、スーパーの帰りにいつも寄る不思議な人を多く見かける公園へ行ってベンチに腰掛ける、公園の四方はマンションで囲まれているのだが、そのどこかの部屋から、シネイ!シネイ!シネイ!と叫び声が断続的に上がっている、それにあわせて、シネイ、シネイ、と自分も口にするが、なんだかそういう今がとても危険であるように、取り返しのつかない憎悪に飲み込まれてしまう気がしてきて、テンションを大きく変えるべく、SUPERCAR「スリーアウトチェンジ」を最初から最後まで聴いた、19曲もある。

 その日。
 木曜日、今週は昨年末から今に至るまでやってくる、「変なメール」と自分が称している、最近では「〇〇さんはあなたが生きていることでとても苦しんでいます」、「〇〇さんの大切な人もまたあなたが生きていることでとても苦しんでいます」、「〇〇さんと〇〇さんの大切な人である××さんはつまびらかに言ってあなたの死を望んでいます」、「FUKUDAさんはどこまでバカなんですか」というような書き出し、あるいはそれだけがある文面は届いていなかったが、テレワークという名のほとんど休みだから九時過ぎに目を覚まし、鶏むね肉を茹でていると、「〇〇さんに文学的功績をあっという間に抜かれてどういう気持ちですか、もしかして気持ちいいですか?」というたったいま入力したままの文面が届いた、さんざん、仕事用ではなく、プライベートのアドレスのほうに送ってくれと言っているそれが、前回の日記でついにかなったかと思ったのに、またしても仕事用アドレスにやってきたそのことが、文面の内容よりもはるかにげんなりして、茹で終えた鶏むね肉を食べる気力がなく、そのまま一時間くらいむなしくなっていると、「終わった」と簡潔なメールが届いたのは友人からで、自分の住んでいる街で用事があるそれが済んでから、少しだけ会って話そうと約束していた、いま行く、と返事して身支度を整え、駅構内にあるチェーン店のコーヒー屋で対面し、昨日買った池谷和浩『フルトラッキング・プリンセサイザ』を渡す、小説をめちゃくちゃ読むが、日本文学はほとんど手にしない(海外文学はジャンル問わず精通している)という人で、でも、超面白いから、と推せば、じゃあすぐ読むわ、と言って、この日記を書いている金曜の朝、絶賛と言っていい文面が届いていて、とても嬉しい、四十分ほど、ほぼ世間話をして別れる、この日記がなかなかいいと言っていたので、じゃあ著書も買えと要求すれば、まあ、買わないかな、買わないね、とニヤけるそういうところがすこぶるいいと思う、その足でジムへ、腕を鍛える、観測している限り、そのジムでいちばん筋肉質の人が相変わらず常軌を逸している(としか思えない)重量で足を鍛えていて、さらにとんでもない人もきっとたくさんいるのだろうが、人間って、すごいんだなあ、と凡庸なことを思う、掛け値なしにかっこいい、家に帰って米を炊き、昨日の夕食とまったく同じように米を炊き、焼きウインナーと目玉焼きを拵え、どんぶり飯にサバ缶を投入したそこに焼きウインナーと目玉焼きをのせて食べる、放置していた鶏むね肉も食べる、スプラトゥーンに少し興じてのち、寝床で鶏むね肉を茹でている最中に届いたメールを見返し、「文学的功績」ってなんか字面すごいなと思って、文学的功績、ぶんがくてきこうせき、ブンガクテキコウセキ、と少しツボにはまって、顔がほころんでしまい、ひょっとしてこの人(個人か複数なのかはしらないが)はずっと自分を笑かせたり、励ましたりしている面も少なからずあったのではないか、と倒錯したように思う、死を望んでいる、みたないことを言ってくるときも、そういう形の叱咤なのではないか、どういう気持ちですか、もしかして気持ちいいですか?という言い回しも、なんだかちょっと面白いというか、気が利いているような感じがなぜかしてくる、文学的功績、まあ、そういうものは自分には確かに全然なく、それでも自分には自分の、自分にしかできない仕事があるよなあ、と思って、だけどそれが求められるものであるとも全然思えない、いつか、「文学的功績」があると自ら認められるような日が来るのだろうか、それはどうすれば果たされるのか、デカい賞をとったときか、「売れない小説家ウルトラクイズ」で優勝しなくても五大文芸誌で連載できるようになったときか、もう一冊くらい単行本が出るそのときか、つうか、だから、文学的功績ってなんだよ、と今度は徐々に苛つきながら、そのうちに眠る。

 歩道橋の真ん中で車のまるで通っていない道路で殴りあっている全裸の男たちを見下ろしていると、背中を叩かれ、振り向けば、花農家だった祖父母が扱っていたような鎌を振り下ろすように構えたやはり全裸の男がいて、死ぬ前になにか言い残したいことはあるか、と問われる、死ぬ前に、要するに殺される前に、言い残したいことなんて、言いたいことなんて、殺されたくないです、殺さないでください、とそれ以外にないだろうと思ったが、その男の胸にある火傷が自分の胸にあるそれとそっくりで、何十年経っても鏡で見れば気持ち悪いなあ、変だなあ、と新鮮な不快感を必ず覚えるその時の気持ちになって、もう殺されるのだからどうでもいいやと思いつつ、火傷、気持ち悪くないすか、と聞けば、なにを言ってんの、これは俺の誇りだよ、と言って鎌を振り下ろされる、俺の火傷は両親の残酷な振る舞いによる結果だが、そっくりであるというだけで、全裸の男の由来はそういうものではないらしかった、目覚めて18時過ぎ、身支度を整えて住んでいる街のコーヒーチェーンへ、ホットティーを飲みつつ、日記を書いてのち、年末までに書かなければならない短い小説を少し書く、いま、というか、しばらく小説家として書きたいことは倫理的に「悪」と断定されるだろうけれど、俺はいい意味でどこまでもスケールが小さいから、マジで取るに足らない、超個人的悪を書ける気がしていて、それが自分の文体(とかいうのも恥ずかしいが)であれば、結構、面白いような予感は勝手にある、倫理的に悪である小説は別に珍しくもなんでもなく、覚悟がなければ容易く書けると思うけれど、俺にはその覚悟がなかなか難しく、だからこそ取るに足らない悪にしかなりようがないことも自覚している、とにかく長い小説を書きたい、長い小説を求められたい、コーヒー屋を出て、住んでいる街の新しい居酒屋へ、来店は三回目、なにがはいっているのかわからない特製サワー、レモンサワーを二杯ずつ、肉豆腐、穴子天ぷら、豆腐の上に蒸した鶏肉とパクチーが載っているその上に辛味ソースがかかっているものを食べる、客層はだいぶ若そうだが、BGMが絶妙に古いのがよくて、賑わいに紛れてうっすら聞こえてくるZIGGY「GLORIA」、PRINCESS PRINCESS「M」などに耳を傾けていた、カラオケに行きたくなる、毎週金曜日はカラオケスナックで朝まで歌っていた数年間があった、テレビに映っているのは以前来たときと同じ中井貴一が出ている医療系ドラマで、やっぱり前と同じように中井貴一が不気味な笑みをずっと浮かべていた、バーコード決済で会計を済ませ、マクドナルドでグラコロを買おうか一瞬悩んだものの、かなり人が並んでいるのでやめ、セブンイレブンのフィッシュバーガーを買い、今日も今日とて公園へ、ベンチに腰掛けてむさぼり食う、朝のメールをしつこく見返し、「○○さんに文学的功績を」と書いているのだから、つまりは自分にも、「FUKUDAさん」にも、いちおう文学的功績というものがないわけでもないと思ってくれているのだろうか、だって、ないものは抜かれようがない、そうか、俺にも文学的功績なるものがあるのか、そうかそうかそうか、と上辺だけ思って、いやねえよ、そんなものは、ねえよ、とむなしく、切なくなって、歪んだ煙を見つめながら、あてにならない明日を占えば、いつもよりは少しマシなはず、泣き出しそうな空の下でも、とGLORIAを口ずさむ、スキップで公園を駆け抜けていく人がいた、あー、スキップで公園を駆け抜けていった、と思ったら帰ってきて、その人はそうやって公園を三往復した、麗しいなあと思う、どんな小説でも勝てない麗しさだ、と泣きそうになる、二時くらいまでぼんやりして家に帰る、「文学的功績」と大書して壁に貼ろうか、となかなか本気に、そう思った。


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