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【現代麻雀への道】27 リーチの源流

麻雀データバンクで見た衝撃の秘史

リーチの源流はどこにあるのだろう――。

私がこの問題にぶつかったのは、この連載を始める直前のことだった。

当時、私は麻雀の歴史について、何も知らないライターにすぎなかった。編集部から歴史というテーマを求められ、面識もなかった現監修の浅見さんにすがりつくような思いで電話したのだ。翌日には新幹線に乗り、愛知県の浅見さん宅へ向かった。

浅見さんの書庫は、麻雀博物館ができる前には、おそらく日本一の麻雀データバンクだった。そこで膨大な蔵書の一部を見ていたとき、衝撃的な事実を知ったのだ。

それをお伝えする前に、私が当時かろうじて知っていた基本知識を押さえておこう。

戦前のリーチはダブリーを意味した。日本に麻雀が伝わってから終戦まで、日本麻雀では現在のリーチは採用されていなかった。いや、リーチという役はあったが、それは1巡目のみかけられる現在のダブルリーチに相当するものだった。

戦争が終わって麻雀がふたたび盛んになると、その中で現行のリーチが広がり始める。それはダブルリーチと区別するため「途中リーチ」と呼ばれた。

途中リーチの普及にはイカサマ師たちが熱心だったという。リーチをかけようとして鳴き が減れば、それだけ積み込みしやすくなるからだ。

それでも急速に普及したことを考えると、手が定まったらいさぎよくリーチするシステムが日本人の好みに合っていたのだろう。

途中リーチは口コミで広がったため、鳴いてもリーチをかけられたり、途中で取り消すことができたり、乱雑な状態だった。

初めて明文化されたのは昭和28年。いわゆる報知ルールである。そして一発や裏ドラが普及するのは、さらに10年~20年たってのことだ。

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