【現代麻雀への道】38 リーチの父
何でもあり状態! リーチ導入の初期
こんな手牌がきたとする。
「ドラがアンコのチャンス手だけど役なし。こんなときにリーチは役立つよな」
たいていの人はこんなふうに思うだろう。しかし戦前の人々には、こんな発想など浮かぶはずもなかった。というのも、戦前にはドラがなかった。さらにリーチもなかった。それどころか1ハン縛りもなかった。
やっと戦後になってリーチやドラが流行り始める。しかし、きちんとしたルールがなく、かなり混乱した状況だった。
たとえばテンバイしてもいないのに、他の人を脅すためにリーチする者もいた。現在ではノーテンリーチは流局したところでチョンボになる。しかし当時はノーテン罰符もなかったから、「ツカンねえ、アガれなかったわ」といって伏せてしまえばバレることもなかった。
また、鳴いていてもリーチをかけられたり、リーチしていても取り消すことができたり、リーチの決まりは本当にバラバラだった。
こうした状況に終止符を打ったのが、リーチの父・天野大三だった。
昭和27年、天野はリーチを体系的にまとめた報知ルールを発表する。われわれが安心してリーチをかけられるのも、天野さんのおかげというわけである。
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