道15

【現代麻雀への道】15 日本初の雀荘

雀荘は廃墟と化した街で生まれた

日本で最初の麻雀荘、それが今回のテーマである。

麻雀がじょじょに広がりはじめた大正3年、平山三郎が東京芝(しば)に開いた「南々倶楽部(なんなんくらぶ)」。これが第一号だとされている。

平山は明治26年の生まれ。21歳で第一次世界大戦に従軍して、遼東半島で麻雀を覚える。しかし帰国してからは、すっかり遠ざかっていた。

そんな彼が麻雀を思い出したのは関東大震災直後のこと。なかば廃墟と化した東京で思ったという。こんな時世にこそ、心を明るくする娯楽が必要だ。いま求められてるのは麻雀ではないか――。

翌年、平山は有料の麻雀教示所「南々俱楽部」を開店した。31歳のときだった。

じつはその6年も前に、麻生雀仙(あそうじゃんせん)なる人が赤坂に「雀仙会」(じゃんせんかい)を設けている。こちらを第一号とする説もあるのだが、これは仲間内での無料の麻雀ルームのようなものだった。

麻雀荘というからには、金を取って営業するのが本物だと考えるなら、日本初の麻雀荘は「南々倶楽部」ということになるだろう。

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