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【教育】10年代から感じ始めた大学生の変化

 90年代の終わりごろ、『分数ができない大学生』(1999年)という本が話題になったという。
 大学生の学力低下と無関心はゼロ年代の若者論のクリシェであり、事実このころに大学生だったわたしも新聞や教育現場で同様の議論をよく耳にした。しかし、10年代の半ばから大学教育の現場で学生を肯定する意見がちらほら聞こえるようになった。
 「今どきの学生は予習復習とバイトで忙しいらしい」「こちらが指定していないのに、レポートのテーマがSDGsや、政治や、ジェンダーなんですよ」云々。

1.大学の授業相互参観で感じた学生の変化

 同様の変化を、筆者は以前の在籍校でFDの一環として行われた授業相互参観で感じたことがある。外国語の授業を他の教員が参観し、授業の工夫や問題点について議論するという趣旨だった。参加を通して、先生方の熱心な取り組みとともに、学生の変化を感じた。 
 たとえば、1年生向けのスペイン語の授業は、ネイティブの先生が全てスペイン語で講義し、単語や文法を解説し学生に練習問題を解かせていた。さらに留学生のTAと会話する時間が設けられていた。学生は、まだ習い始めて間もないスペイン語を聞き取って応答し、学期末にはスペイン語圏の国を紹介するプレゼンに取り組むという。ちなみに、その授業の学生の専攻はスペイン語とは関係がないという。
 英語、中国語、韓国語の授業も見学したが、会話練習や発表などのアクティブラーニングに学生はまじめに取り組んでいた。
 自分自身が授業を受けた時代はどうだったろうか。まず欠席者が多く、教室には空席が目立った。受動的に講義を聴き、ペア練習や宿題も義務感で嫌々やっていたのではないかと思う。時代の変化を感じた。

2.大学生協の統計から見る変化

 学生の変化は統計からも裏付けられる。
 全国大学生活協同組合連合会による「第58回学生生活実態調査」によれば、”大学生の勉強時間はコロナ禍のもと増加した。「予習復習などの1日の「大学の勉強時間」は62.2分と19年より14.0分増加」「就職に関することや関心事など「大学以外の勉強時間」も31.1分と19年より6.4分増加
 また、「大学生活で現在最も重点を置いていること」については、「勉学や研究」が最多の30.3%であり、1990年から10%程度上昇した。コロナ禍の終わりにより3%ほど減少しているが、それでも18年以降は継続して3割を超えている。コロナ禍による行動制限以前に、学生の行動は変化していた。

3.学生の意識や関心の多様化

 かつて、「学力低下と意欲の欠如」は大学教員が集まったときのおなじみの話題だった。ゼロ年代にはいわゆる難関大学であっても、専攻に関係のない授業の出席率や意欲は低く、教員同士であればこの話題に対する意見は一致しやすかった。
 ところが今では、教員同士の意見は簡単に一致をみないだろう。旧来のように学生の無関心に悩み、問題点を指摘する教員がいる一方で、学生の熱心さを評価し、達成度を見る教員がいる。 
 変化が進んでいるとはいえ、全員が熱心な学生ではない。
 授業に対する姿勢は校風や専門によっても異なる。
 課外活動で自己実現を果たしている学生もいる。
 学生全体をさして、「学生は~~」のように一言ではくくれない状況になっている。日本全国の大学生は約260万人。その260万人の中から、無気力、怠惰、無知な学生を見つけることは今でも可能である。しかし、そこから短絡的に「やはり学生はダメだ!」という結論を導いてよいのだろうか。
 「意欲的・活動的」な学生と、「無気力・怠惰」な学生の間にさまざまなパターンが存在する。学生の価値観や生き方、性格は多様である。
 この傾向は今後も続くのだろうか。先にあげた大学生協の統計でも、コロナ禍の終わりにより、学生生活の重点を「趣味」に置く比率が高まったと指摘する。熱心な学生は学業のみならず、キャリア設計や社会活動に対して関心を示し、旧来型の教育の枠組みでは高い評価を得にくいかもしれない。
 いずれにしても、学生は一様にくくれる存在ではなくなったことは確かだろう。

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