人が集まり人が出ていく街 仙台~支店都市に生まれて~
個人的なことながら、実家の引越しのため仙台に帰省している。仙台で生まれ育ち、大学院卒業までを過ごした。しかし、かつての恩師や旧友がいつしか各地に散っており、仙台に戻っても会える人はもう多くない。一抹の寂しさを感じる。わたしの地元は、人が集っては出てゆく街だった。
支店都市と呼ばれる仙台は、メインストリートに大企業の支店がならぶ一方で、地元企業の体力は極めて弱い。仙台の企業で新卒者を毎年大規模に採用している会社は数えるほどしかない。
大学進学のため多くの若者が移り住むが、経済力が弱いため、卒業後の進路は地元に戻るか他所に出て行くかどちらかを選択することが多い。
出身大学では県内出身者が1割強、東北全県合わせても占有率は1/3程度である。仙台の魅力に後ろ髪をひかれる学生も多いが、ひとえに「就職」のため卒業とともに仙台を離れざるを得ない。そのため仙台は「腰かけ」と呼ばれていた。4年か6年のあいだ一時的に身を置いているだけで、いずれは出て行くはずの場所というニュアンスである。
また地元出身者であっても、親は他地域の出身だったり、大企業の社員で仙台に来た移住者であったりする。地元に対する地縁血縁がかならずしも強くない。親の世代で移り住み、子の世代で離れていくパターンが存在する。4年6年の腰かけの他に、1世代の腰かけもあるのだ。
高校生のころから、いつか進学や就職で地元を離れる可能性を意識しはじめた。地方出身の学生は地元か将来かで二者択一を迫られる場面がある。しかし、留学や就活を通して他地域の学生とも知り合うと、関東関西ではそもそも地元を離れなくても有名大学や大企業が周囲にあるので、出て行くことを夢にも思いつかない人もいると知った。
一生同じ地域で暮らしていけて、あるコミュニティに入ったら一生そこに留まれる人がいる。同じ「活躍」を求めているライバルのなかには地方出身者の抱えるジレンマや負い目のようなものを背負っていない人がいる。
しかし、自分も地元に愛着があるとは言いながら、就職先は関西だった。実家も仙台から引っ越そうとしている。仙台を腰かけとして使った友人たちを見送った自分もまた、腰かけの住人だった。
仙台を論じる際に、よく地方色の希薄さ、仙台らしさの欠如が挙がる。
しかし、考えてみれば、多地域の寄せ集めであり、都市化とともに人間関係が希薄化し、さらに商圏が他県にまで広がっている仙台は、単一の伝統や強固なアイデンティティや伝統でまとまることが難しい。仙台は東京の劣化コピーだとよく言われるが、地元からも、移住者からも、他地域からも愛される姿になろうとしたとき、無難な選択肢として東京のコピーをしてしまうのだろう。
仙台は人が集まりそして旅立つ。穏やかな気風の街だが、実際には流動的だ。人が集まり出て行く街だからこそ、多様な人々と出会うことができた。出身者としては、仙台の将来を考えるなら地域の伝統ばかりでなくその流動性もまた大切にし残してほしいと思う。
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