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おっぱいの語源

老若男女を問わず、多くの人が大好きなおっぱい。母親から受けたその愛情は、思春期を経てその豊かな膨らみに対する愛欲へと変貌を遂げる。

「ヒトにはなぜおっぱいがあるのか?」という疑問は、二足歩行に由来する「性的な対象としての胸の必要性(=繁殖のため)」という観点から一般的には説明されるが、日本においてなぜあの膨らみを「おっぱい」と呼ぶのか、その語源について議論が交わされることはあまり見られないように思える。

今回は、日本においていつからおっぱいは「おっぱい」と呼ばれ始めたのか、歴史的資料を引用しながら探ってみたい。

江戸時代に生まれたのか?

今日、最も有力とされているおっぱい(と呼ぶ)の起源は、江戸時代末期、幕末の1859年に、戯作者の柳亭種秀(柳亭種彦の弟子、笠亭仙果とも言う)が著した随筆『於路加於比』における記述である。さらに時代を遡った文献や外国語のイントネーションにその起源を求める説も散見されるが、一応この『於路加於比』に登場するおっぱいの記述が最も早く、そして歴史的にも記述の信憑性が高いと言われている。

では、具体的にどのような記述なのか。おっぱいの記述は『於路加於比』の下巻に一ヶ所だけ突然現れる。

「乳汁をおつぱいとは、をヽうまいの約りたる語なるべく…(以下略)」
 
 (国立国会図書館デジタルコレクション 国書刊行会編『新燕石十種』〈第1巻〉(1912年)より引用 ※明治末期~大正初期に編纂された史料集になります。今回は2次史料を用います)

この文章を細かく噛み砕いてみると、まず「乳汁」とは「母乳」のことであることが分かり、「母乳」を「おっぱい」とは...と続くことが読み取れる。後半の「約りたる」が一見難しいが、これは現代で言う「縮む」と同じであるから、「おおうまいの縮まった言葉で...」と解釈される。

つまり、「おっぱい」とは「おお美味い」が変化して生まれた言葉だというのである。ここでの「美味い」とは「母乳」のことである。今日でも「おっぱいを飲む」といった表現を用いるものの、「おっぱい」が「おお美味い」からきていることは意外であろう。

この「美味い」という感想が子供によるものなのか、この文献の記述からは確認することができないが、少なくとも、「おっぱい」がその形状等の視角的な情報に因って生まれたのではなく、形容詞等の単語のイントネーションが訛って生まれたのではないか、ということは想像に難くない。

この文献以外に「おっぱい」の起源とされる諸説についても、例えば「一杯」(=たくさん)に由来するとも言われており、元々別の言葉から徐々に変化して「おっぱい」になったと考えるのが自然と言えよう。

おっぱいは誰が生み出した?

注目に値するのは、このおっぱいの記述前後に、おっぱいと同じように、イントネーションから元々の単語の略語が複数紹介されていることである。「をヽうまいの約りたる」の「たる」は完了・存続の助動詞「たり」であろう。したがって、「おっぱいはおお美味いを縮めた言葉であるように...」と続くことが予想される。

つまり、この「おっぱい」は著者である柳亭種秀が生み出したのではなく、当時の江戸社会ですでに広く共有されていたのではないかという想像が膨らむ。とすると、「おお美味い」が「おっぱい」として変化して呼ばれるようになったのは、時間的にこれよりも前だったことが考察される。具体的にそれが江戸前期なのか、中期なのか、後期なのか、それとも江戸よりも前の時代なのか、確かめることはできない。

ただ、確実なのは、「おっぱい」を「おお美味い」と感じるその感性は、日本人のDNAに100年以上前から刻まれていたということである。その形状だけではなく、母から受けるその愛情をも含めた、極めて広義の「おっぱい」が『於路加於比』には描かれている。

日本人だけが呼ぶ「おっぱい」という語を、我々はもっと味わってみても良いのかもしれない。

真面目に不真面目なnoteを書きました。

(終)

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