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モンスター・イン・キャッツ・クロージング◆#5◆



「ニンジャ……?」
糸の切れたジョルリめいて、カガシは床にへたり込む。
「ニンジャ、ナンデ……?」
激しいニンジャ・リアリティ・ショックの発症は無い。脳の許容限界である。しかし、それを差し引いたとしても、目の前にニンジャがいるという事実ですら、今のカガシにとってはさほど重要ではなかった。
父の中からニンジャが出て来た。では、父はどうなった?理解したくないが、理解しなければいけない。理解しなければいけないのに、理解させまいと、脳が無理矢理思考を遮断してくる。頭の中が空回る。三徹明けの朝のように、ニューロンが働かない。
 まるでその様を嘲るように、コピーキャットと名乗ったニンジャはハギヲのデスクの上に跳び乗った。そして、アグラの姿勢を取ってカガシを見下ろした。メンポで隠れた口元に、邪悪な笑みが浮かんでいることを確信させる表情で。
「俺のウツス・ジツなんだけど、使うと肉体のスペックから何からコピー元と一緒になっちまうんだ。モータルの皮被ったらニンジャ身体能力は使えなくなっちまうってわけ」
 軽薄な口調で紡がれるコピーキャットの言葉に、カガシは何一つ反応出来ずにいる。コピーキャットは気にする様子も無い。寧ろカガシの様子を楽しんでいるようにさえ見えた。ニタニタと下品な笑顔を浮かべたまま、コピーキャットは話を続けた。
「オマケに死体にしか使えねえ。ニンジャは死んだら爆発四散しちまうから、つまりモータルにしか化けられねぇジツなのよ。」
「死体」
「初めはえらくしょっぱい能力だと思ったもんだ。けど、使い方によっちゃかなり便利なんだぜ」
「待って」
「コピー元の知識も頂けるから、俺みたいな元ゴロツキでもそれなりに会社経営したり出来るしな。戻ったら忘れちまうのが残念だが」
「待ってください……」
「ア?」
「父は、どこですか……」
 絞り出した声はあまりにも弱々しく、半ば裏返っていた。自分で訊いておきながら、カガシの心は「答えないでくれ」と祈っていた。気道の中いっぱいに石が詰まっているように、呼吸が上手くいかない。何も考えたくない。それでも、それなのに、訊かずにはいられなかった。訊かないわけには、いかなかった。
 コピーキャットはカガシの言葉に一瞬、呆けたような表情を浮かべ、それから「プッ」と、小さく笑った。軽い身のこなしで机から床へと下り、カガシの目の前に立つ。カガシは虚ろな目でコピーキャットを見上げた。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
 コピーキャットのキックを腹に受け、カガシの体が軽々と壁に叩きつけられる。ジツを解いたコピーキャットは非ニンジャなど一撃でネギトロに出来るだけの力を取り戻している。しかし、獲物を手の中で弄ぶ猫めいて、そのキックには明らかな手加減があった。
「俺の話をちゃんと聞いてたかよ?オイ、思ってたほど賢くないんだな?」
「グ……グワッ……」
 悶絶するカガシの頭に足を乗せ、コピーキャットはほくそ笑んだ。こんなに愉快な見世物は無いと言わんばかりに。そして厭らしく目を細め、喜色満面に、尊大に、はっきりと、カガシに告げた。
「ハギヲ・ヤノはテロに巻き込まれて死んだ。偶然居合わせた俺は、息苦しいシンジケートを抜けて面白おかしく暮らすために、その死体を使わせてもらった。オーケー?」
「ア……」
「けどキャットウォークのマヌケがしくじっちまったみたいでな。定期連絡がねえ。これ以上ヤノ社長として生活するのはリスキーだ」
 注意は一秒、後遺症が死ぬまで。ミヤモト・マサシの格言を口にしながら、コピーキャットは下卑た笑みを一層濃くする。足の下にあるカガシの顔に、どのような絶望の表情が浮かんでいるのかを想像しながら。
「あんたにバレたのはどうでも良いんだけど、まあ、良いタイミングだし。あんたを始末してバッくれさせてもらうぜ」
 アア、ちなみに。
呟きと共に、コピーキャットは唐突に、カガシの頭から足を下ろした。そしておもむろに社長の机に歩み寄る。やけに楽しげな足取りだった。父の死に思考を掻き乱されながらも、カガシの目は無意識のうちにその動きを追う。コピーキャットは机上のUNIXを掴むと、横たわるカガシに画面が見えるよう、床に置いた。黒い背景に、緑色の文字。表示されているのは今朝カガシが見漁っていた、IRCログの一部だ。

#TORITATE :COPYCAT@SOUKAI:今月は18日に徴収。量同じ。
#TORITATE :CATWALK@SOUKAI:ウシミツ・アワーまでに連絡重点
#TORITATE :HAGIWO@YANO:用意済み。四階物置に有り。

 今朝カガシが発見したものとよく似ている。だが、何かが違う。「わかるか?」と、コピーキャットが笑う。わからない。わかりたくない。そうする気力さえ残っていたならば、目を閉じて、耳を塞いでしまいたかった。
「このログは一年前。もっと昔のもある。あんたがこの会社に入る前から、社長はうちのボスにせっせと大トロ粉末を貢いでたんだよ。なのに、あんたには誠実であれだの何だの、それらしい綺麗事をご立派に並べ立てて!」
 あんたの親父は嘘吐きだ!
 コピーキャットの言葉は、無機質に、無慈悲に、真っ直ぐに、カガシの心を切り裂いた。カガシの瞳が大きく見開かれる。出来ることなら、否定したかった。父はそんな人間ではないと。カチグミと呼べるほどの豊かさが無くとも、誠実に、良くあろうと生きる、ソンケイすべき人間であると。なのに、舌が動かない。怒りを表明したいのに、胸の奥から溢れ出してくるのは虚しさばかりだ。
 カガシにとって、父を否定されることは、己を否定されることと等しい。そして、ハギヲが嘘吐きだというのなら、カガシもまた、己の人間性が偽りを抱えたものだという自覚がある。それを否定することは出来ない。
 父は自分を救ってくれた。彼が誠実であることを良しとしていたから、そのような人間であろうとした。彼が謙虚さを美徳としていたから、誰の目にもそう見えるよう振舞ってきた。彼を心からソンケイしていたから。
しかしそれは違うのだ。自分は怖かっただけ。彼がくれた居場所にかじりついていたかっただけ。あの思いをもう二度と味わいたくなくて、彼の世界から弾き出されるのが怖くて、だから、彼の理想の息子になろうとした。彼に見向きもされなくなったら、もう二度とこの世界に自分の居場所を見つけることなど出来ないと、そう思ったから。
 姿だけ父を装っていた、このコピーキャットと。矮小な人間性が露呈することに怯えながら、表面上だけはよく出来た人間であるように見せかけていた自分と。一体何が違うというのだろう。父が自分の自慢であるように、父の自慢の息子になりたかったのに、改めて見てみれば、自分の中身はからっぽだ。
「死にたい」
 ぽつりと、力無くカガシの唇から零れ落ちた言葉に、コピーキャットは息を飲む。濁った瞳。力の無い口元。虚無そのもののカガシの表情を凝視する。そして次の瞬間、心底おかしそうに、けたたましく哄笑した。ああそうだ!その顔が見たかった!と。愉快でたまらないと言わんばかりの笑顔に反して、その声は凝縮された悪意そのものだ。
「あんたには最初からムカついてた!その態度にもツラにも!僕は良く出来た息子ですって大好きなオトウサンにアッピールか?反吐が出るぜ猫被り野郎が!ずっと虫唾が走ってた!ずっと殺してやりたかったんだよ!」
 コピーキャットの喚き声を聞きながら、カガシは無抵抗を示すように目を閉じた。何もかも終わりにしてくれるというのなら、それでいい。さっさと殺せばいい。父だけを見て生きてきたのに、既にその父は居ない。もしもサンズ・リバーで父に会うことが出来たなら、こんな人間になってしまったことを謝ろう。そんなことを考えながら、カガシはじっと、コピーキャットのカイシャクを待った。
 
 ――それは数秒だったか、それとも一瞬だったのか。
離れた場所から響いたガラスの割れる音に、カガシは反射的に瞼を持ち上げた。社長室の窓ガラスが破壊され、夜風がカーテンを揺らしている。目の前に立っていた筈のコピーキャットは、居ない。代わりに、傍に佇む静かな気配がある。
「アイサツ前に逃げるとは」
「……アキベ=サン……」
 グレーのスーツに品の良い立ち姿。そして、その目元を覆うサイバーサングラス。最初に出会った時と何も変わらない、カガシの見知った、アキベ・ソノエだ。つい今の今までこの世の全てがどうでもよくなっていたというのに、カガシはアキベが此処へ来てくれたことを、どこか嬉しく思っていた。アキベは静かに、カガシに向き直る。
「死にたい、と仰っていましたが、カガシ=サン。それはとても勿体無いことです」
 アキベは身を屈め、横たわったカガシの顔を、その目を覗き込んだ。カガシもアキベの瞳を見た。不思議な青色の瞳は、やはり優しく、力強く、カガシを、この人を無条件に信じたいという気持ちにさせた。枯れ果てていた気力が身体の中を巡る。あんなに重鈍だったニューロンが加速していく。冷たい水で洗い流されたかのように、頭の中がクリアになる。
「コピーキャット=サンを殺しなさい」
 その内容とは不釣り合いな静かな口調で、アキベはカガシに命じた。
「ハイ」
 カガシの意思とは関係なく、唇から言葉が吐き出される。だが、何ら不快ではない。いっそ清々しいほどだ。やり遂げられる。その確信がある。起こした身体は驚くほどの軽さだった。カガシは立ち上がると、大きく助走をつけて割れた窓から跳躍する。四階の高さから。カガシの足は何の問題も無く隣のビルの壁を蹴り、次の足場へと跳んだ。
ネオン看板からビル壁へ、ビル壁から電線の上へ。何もかも、忘れてしまえるくらいに気持ちが良かった。死にたいと思ったことなど、自分の矮小さなど、もうどうでもいい。いつの間にか顔を覆っていた鉄のメンポも、身体を包んでいたダークオレンジのニンジャ装束のことも、どうでもいい。
 実際、自分が人間ではないものになってしまったことには、とっくに気付いていた。父の皮を被ったコピーキャットに、暴行を受けるようになった最初の頃だ。父の望む真っ当な人間として生きるため、こんな力は無いものとして扱おうとした。人間ではないものになって、父に拒絶されるのが怖かった。しかし、全てが間違いだった。父は既に、どこにもいなかったのだから。
「そうだ、私は」
 きっと最初から「こういうもの」だったのだ。人間としての私の心は既に、あの腐臭に満ちたタタミ六枚分の部屋の中で、この世界から消滅していたのだ。人間の世界で、人間を装って真っ当に生きていける筈など無かった。
だって、そうでなかったら、人外の怪物となった自分をこんなに清々しく受け入れられる筈が無い。自分がいくら精神的に追い詰められていたからといって、何かに破壊衝動をぶつけずにはいられなかったからといって、そしてその力を手にしていたからといって、夜な夜な放火を繰り返したりなど、する筈が無い。真人間になるのを諦めきれなかった結果、放火犯罪者に成り下がるなど、こんな喜劇があるだろうか。
 今こそ私は、私という人格を正しく理解した。私は自分に居場所を与えてくれる人間さえ居ればいいのだ。今だって、アキベ=サンに自分の役割を与えられて、こんなに心が安らいでいる。シンプルなことだった。痛快だ。今までの人生は、何だったというのか。
 脳裏に一瞬だけ、父の顔が浮かぶ。
 ゴメンナサイ、父さん。私は、人にすらなれなかった。
 メンポの下で、ほんの少し、呆れたように笑った。視界は涙の膜で僅かにぼやけているが、大丈夫だ。コピーキャットの背は、しっかりと見えている。装束の縫い目すら数えてしまえそうなほど、よく見える。
脚に力を込め、強くビルの壁面を蹴る。みるみる距離が縮まる。このまま、幾らでも加速出来る。疑いも無くそう思った。
気配に振り返ったコピーキャットが驚愕の表情を浮かべる。カガシは、否、ダークオレンジのニンジャは、最後の足場であるネオン看板を砕け散るほどに蹴り、弾丸めいて直線的に、コピーキャット目掛けて跳躍した。
「イイイヤアアァーッ!」
跳躍の勢いを乗せ、コピーキャットの顔面に渾身の拳を叩き込む。
「グワーッ!」
コピーキャットの身体はそのまま、キリモミ回転しながら人気の無い路地裏に叩き付けられた。次の足場を考慮せずに跳んだダークオレンジのニンジャも、アスファルトを砕きながらその付近へ落下し、地面に転がる。
 身体を突き動かしていた高揚感が失せ、ゼンめいた静寂が胸の中を満たしている。出来た。やり遂げられた。こみ上げる安堵に身を任せるように、地面に横たわったまま、ダークオレンジのニンジャはゆっくりと、全身の力を抜く。コピーキャットがよろよろと立ち上がるのを視界の端に捉えても、何も気にならなかった。気にする必要が無いことも、理解していた。
「き、貴様……何……アバッ、アバーッ!?」
 立ち上がりダークオレンジのニンジャに歩み寄ろうとしたコピーキャットの全身が、突如炎に包まれた。火柱となったそれはそのまま松明めいて燃え上がり、やがて人型の炭となって崩れ、爆発四散を遂げた。
「サヨナラ!」
 ダークオレンジのニンジャはそれを見届けると、コピーキャットの爆発四散痕の上へ……正確には、爆発四散痕付近にあった電柱の上に佇む人影へ、視線を移した。
「お見事です」
 アキベと名乗っていたグレーのスーツの男は軽やかに地面に降り立つと、横たわるダークオレンジのニンジャにオジギする。
「ドーモ、ビホルダーです」
「ドーモ、ビホルダー=サン」
 身体を起こすのも億劫だったため、シツレイを承知で地面に寝たままのアイサツを返す。自分も名乗り返すべきかと思ったが、自分の名がわからなかったので、やめた。カガシ・ヤノは、もういない。アキベ、否、ビホルダーは特に咎めることもせず、ダークオレンジのニンジャの傍に歩み寄る。
「……初対面なのに、あっさり貴方に心を許せた理由がわかりました。同族だったのですね」
「そうですか」
ビホルダーは僅かに身を屈めると、ダークオレンジのニンジャの目の前に、己の右手を差し出した。
「ソウカイニンジャになりませんか」
 経緯の説明などはされないらしい。確かに、知っても仕方の無いことかもしれないが。ストレート過ぎる誘い文句に苦笑が漏れる。
「……そこになら、私の居場所があるのでしょうか」
「ええ、あなたが仕事の出来る人間である限りは」
ああ、それはいい。ダークオレンジのニンジャは満足げに微笑んだ。誠実さだとか、謙虚さだとかを求められるよりはずっとわかりやすいし、やりやすい。要求に応えることにかけては、それなりに自信があるのだ。私は。
いつの間にか手を覆っていたグローブをゆっくりと外し、ダークオレンジのニンジャは、差し出されたビホルダーの手を取った。
きっと上手くやれるだろうと、静かな希望を持って。




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