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はちどりのひとしずくを今日も

多様な生き方や家族観を描いた『逃げるは恥だが役に立つ』の主人公カップルであるガッキーと源さんが、リアル夫婦になったことを全国の人たちが喜び祝った翌日。

とある多様な性を祝うイベントに登壇し、私が学生の頃から世の状況がさほど変わっていないことへの悔しさを吐露して散々語ってきた翌日。


これですよ。


* * * * *

【続報】◾︎上記の反対署名に、1日で3万筆以上集まったそう。私のマジョリティの友人たちも署名してくれたと次々報告があった。
※本記事執筆時で6.5万人を超えていた。すごい。


◾︎こちらは、どの議員が具体的に何を言ったか、事実が書かれている良記事。
こういう発言を参照しながら、次の選挙の投票先考えたい。

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今日1日怒り散らかしたりうじうじしたりぐったりしたり菓子パン暴食したことと、SNSで連帯のメッセージをたくさんもらったことでだいぶ元気になったけど、朝とか、ニュースを知った昨晩は強烈な無力感を感じて虚無になっていた。
虚ろな目で虚空を眺めてしまったわ。

砂漠に水を撒くような思いで10年くらい、我々は変じゃないんだ、皆自分らしくていいんだ、抑圧や差別されていい人はひとりだっていないんだって叫び続けてきて。
その前夜にも登壇した翌日に、これだよ。

私の10年吹っ飛ばすんじゃない。
私の10年どころじゃない、何百年単位で先人たちが進めてきたレインボープライドの歩みを、平気で吹き飛ばすんじゃない。

ほんっとうに腹がたつ。

今回、ことさら怒った。腹の底からむちゃくちゃ怒った。
怒りだけじゃなくて、無力感や徒労感、敗北感に孤独感、切望する願いが叶わない痛みをわんさか感じて、本当に疲れた。


もうさぁ、何回こんなことあったらいいんだ。

育ってきた時代や国や、個人の価値観とか感覚とかでさ、どうしても気持ちの面で受け入れられないとかは、LGBTに限らずそれぞれいろんな考えがあるかもしれないさ。私もきっとある。

そうじゃなくて、ある属性Aの人と、属性Bの人を、その属性ゆえに扱いを変えることを差別というわけで。
公然と「差別するな」って話なわけで。

そして発言者の言葉に透けて見える、自分個人の「なんか嫌」「なんかキモい」みたいな感覚を、生物学やら道徳やらを持ち出して、いかにも真っ当なこと言ってます風に粉飾する心根の卑しさ、無責任さにブチ切れている。
本気で生物学や道徳に向き合ってる人にも申し訳ないやろ、全方位に失礼かよ。自分の無知や差別心をそれっぽく誤魔化すようなダサい真似すんなよ。

そして、これまでLGBTフレンドリーだってワイワイしてた自治体や企業や作品のSNSアカウントが本件でほぼほぼ沈黙していて、コンテンツ扱いされてる感を一層感じた。

にんげんの話やぞ。

我々は金儲けのネタでも、人の耳目を集める集客道具でも、ええことやってます風にブランディングする道具でもない。
生きて生活してる、人間だ。

こんなニュースに人生で何度目かに触れ、普段講演とか活動してる私でさえ、ぐったりして昨晩は風呂にも入れなかった。
朝起きてもどんよりと暗い気持ちで、今日はほぼ仕事にならなかった。

差別ってこういうことなんだよ。
人の生活に、人生に、心に、薄くも濃くも陰を落とすことだ。
人の命の時間が奪われることだ。

今回特に落ち込んだのは、自分が傷ついたからじゃない。
あ、いやそれも0じゃないけど(差別や加害に慣れることなんてない)、自分が今まで講演に行った先で、硬い表情でそっと私を訪ねて来た中高生や、講演後に匿名でメールを送ってきてカミングアウトしてくれた大学生や、感想文で何度も書き直した消しゴムの跡の上に書かれた震える文字や、zoomの講演中にDMで個別に届いた質問や、相談を聞いてきた沢山の当事者の声を思って、胸が潰れそうに痛かった。

君たちはどんな気持ちで、あの話を目にしたんだろう。
昨夜は眠れただろうか。食事はできただろうか。

私はもう十分大人の年齢で、本当に幸運なことにほぼオープンにして暮らしていて、セクマイの友人もたくさんいて、セクマイでなくても連帯してくれる友人もたくさんいるから、今回の発言を受けても、発言が明確に完璧に間違っていて許されないものだと分かっている。
間違いを確信できるだけの知識も、受容されてきた経験も、豊かで安全な居場所と人間関係も手元にある。

でも、そうじゃない人、特に小中高生くらいの若い人たちはどうだろう。

未だ着たくもない制服を着て呼ばれたくない戸籍名で暮らしたり、自分の性的指向について息を吐くように嘘をついて自分を守ったり、自分の性のあり方にただ一人で悩んで誰にも言えないような人が、この発言を知ったら?
この発言に賛同するようなSNSのコメントを見たり、ニュースで流れた話に親や兄弟が同調したり、どうでも良さそうに流している姿を目にしたら?

胸の奥の奥が凍りつくみたいな、静かに自分の魂が削られるみたいな、微かに死に近づいていくみたいな、恐れや諦めや無力感を感じてしまうかもしれない。
もう何十回目かの、何百回目かの、そんな気持ちを。


今回の件で、「命の灯が揺らめく」と、言った人がいた。

そうなんだよ。脅かされるって、命の灯が揺らぐくらいのショックだ。


あああ、変化を諦めたくない。そして絶対諦めたりなんかしない。
でも正直、ほんっとうに辛い。

様々な媒体に一斉に流れるニュースが、怪獣の光線みたいに人の心を軒並み壊していく中で、日々私がしている講演や支援なんて、吹けば飛ぶような小さなものなのだと痛感する。

心底切望して、絞り出すみたいに大切に伝えている「自分らしくていいよ」のメッセージが、いとも簡単に消し去られていくことが、悔しくて、腹立たしくて、やりきれなくて、痛い。

それでも語り続けることを、意味がないとは思わない。
それでも、辛いもんは辛い。

大切に作ってきた砂の城が波にさらわれるみたいに、掬った水が指の隙間からこぼれ落ちていくみたいに、「今すぐ止められない」「見ていることしかできない」という痛みが本当に本当に辛い。
自分の非力さに、忸怩たる思いになる。

でも、これだけ痛い裏の願いは、本当に本当に、深い。


もう私は、性別を理由にしてこの世を去ってしまう人を見送りたくないんだ。
社会に友人を殺されたくないんだ。

「20歳になるまでに死ぬと思ってた」って、笑いながら話す友人の言葉をもう聞きたくないんだ。
君にも、誰にも、そんな思いさせたくないんだ。


私たちは生きていていいんだ。

幸せでいていいんだ。

好きな人とずっと一緒にいていいんだ。

自分のありたい姿でいていいんだ。絶対に。


にんげんを、雑に扱うな。


これからも、守るために怒る。守るために動く。
それがたとえ、砂漠に水を撒くことでも。
はちどりのひとしずくであったとしても。

信じるものに、願うものに立って私は選ぶ。
それがプライドだ。


そして、祈る。

頼むよ、どうか生きていてくれ。大人になるって、楽しいからさ。

どうか皆が守られますように。
多様な性の子達に、安らぎがありますように。

私は君たちの誰もが、安心して大人になれる世の中をつくりたいんだ。




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