ヒーローズジャーニー第2章開幕
読者の皆々様。
どうやら新たな旅が始まったようです。
前回の、ヒーローズジャーニー第1章 -真実のつながりを求めて編- (いま命名)もなかなかにスペクタクルでしたが、今回は更にパワーアップして、一層壮大で刺激的な旅路になりそうです。
名付けて、ヒーローズジャーニー第2章 -護れる力を求めて編- 。 そのうち書籍化できそう。笑
なんのこっちゃという方は是非、こちらのマガジンをご覧ください。私の内的な旅のレポートです。やる側は大変でしたが、読む側は割と面白いかもよ。
さて。先日記事に書いたLGBTQ+への差別発言から、傷が開いた感がある。
毎度毎度この手のことには怒っているが、今回はその深さ、自分への響き方が違う気がする。
ということに、数日経ってじわじわ気が付いてきた。
まず、強く持続的な怒り。
そして無気力、脱力感。
身体がこわばり、集中力が散漫になり、寝付きと寝起きが悪くなり睡眠が浅くなる。
あと、自信がなくなる…うーん、ちょっと違うな、足元が揺らぐ感じ。
自信がなくなるわけではない、でも、足元の不安定さ、脅かされる環境に置かれていることを改めて自覚して、不安になる感じ。
それらが、大きく、深く、長く響いている。
これ覚えがあるなぁ、と考えながら書いていて、さっき、っていうか今思った。
これ。アクセスバースをしている理由の記事にも書いた、
『私は大切な人に対して何もできない』『守りたい人を守れない』『自分は無力だ』
それに直面した時の、あの苦しくて苦い、色のない嵐みたいな感覚だ。
愛する人が傷つくことを見ているだけしかできない無力感。
大切な人を守りたいのに守れない絶望感。
大切な人を傷つけるもの、守ってくれないものたち、そして守れない自分への怒り。
これらを生々しく、深く感じているのはもしかして、
私が『愛するもの、大切にするものを護りたい、護れるだけの力がほしい』と願ったからなんじゃないか。
願いに開かれつつあるから、痛みを鮮やかに感じているのではないか。
書いてみて違和感はない。多分そうなんだと思う。
だって、自分に縁遠すぎるもの、例えば今からプロ野球選手になれないことについて、私は痛みを感じない。
自分がそこに行けると願うから、今そこにいない現在が、悔しかったり苦しかったりする。
願いが深いから、こんなに私は痛んでるんだ。
そして、問われている感じもある。
『お前は本当に無力なのか?10年前、5年前、3年前と比べて、お前は力をつけて来たんじゃないのか?』
自分の力に気づけ、開かれろ、もっと使えと言われている気がする。
だって、本当に無力なのかと問われると、そんなことないと思ってる。
多分本当は『自分には力がある』と、私は知っている。
おー、さすが満月&月食!
解放のパワーも借りて、気づきに辿り着けた感じがする。
ただ、ここまで来れたけど、今回の件は、前回の願いに比べてちょっと手間取っている。
前回は自分の感覚感情の話だったからシンプルやったけど、今回の願いは社会や他者も含まれたものだから、複雑さレベルが抜群に上がってる。
多分前よりずっと、道のりは遠い。
とはいえ、旅はいつも一歩の積み重ねだ。
どーせ諦められないんだし、まずは行きましょうや。
よし、基本に立ち返ろう。
恐れや反応からではなく、願いに立つには、いま私は何ができる?
まずは、真実の願いを見つけて掴まねば。
これを見失ってたから、ここ数日ぐるぐるしているんだろう。
前回学んだセオリーでは、
1.真実の願いを見つけること(自分なりのスローガンみたいに言語化できるとベスト)
2.恐れではなく願いから選択し続け、その結果を受け取り続けること
だったはず。
前回は『愛を受け取る自分になりたい』『真実のつながりの中で生きたい』という強い願いを、絶えず確認しながら進んだ。
地図を見て、方角が合っているか何度も確認するように。
旅には明確な行き先と、方角の確認が必要だ。あと、「君ならいける」と信じて応援し、共に歩んでくれる仲間。
未知の歩みだから、道筋はトライアンドエラーになるかもだけど、行き先と方角さえ合っていればいけるはず。
前回行けたし。今回も行ける、きっと。
なので、願いを改めて確認していきたい。
さて、この件での願いは?
先ほど出て来た痛みは、
『私は大切な人に対して何もできない』
『守りたい人を守れない』
『自分は無力だ』
だった。これらを裏返すと、
『大切な人を助けられる、力になれる、幸せに貢献できる私でいたい』
『護りたい人を護れる自分でいたい』
『私には力がある、ということに確信を持ちたい』『どんな力があるか明らかにしたい』
そのほかに出て来たものとして
『あの時いてほしかった大人になりたい』
『いてほしかった大人の仲間と一緒に、より良い世界の夢を見たい』
そして。
『もうこれ以上、無力感を味わうことなく、痛みを嘆く大切な人、痛みに苦しむ愛する人に、手を差し伸べられるようになりたいのだ』
これ書いた時に思わず涙が滲んだから、きっとこれが真実だ。
私の大切な人は、家族、友人、様々に学びを共にして来た仲間たち、そしてその人たちの大切な人たち。
私の護りたい人は、自分らしく生きることを奪われている人。
特に女性やこども若者、セクシュアルマイノリティを始めとした、弱者にさせられている人。
『大切な、護りたい人の痛みに、手を差し伸べられるようになりたい』
よし、決まった。
これからは、ここから選ぶ。
手を差し伸べられるようになるために、知るべきこと、身につけるべきことは何か。
この選択は、恐れからではなく、ありたい私に立った選択か。
それらを問いながら進む。
あああー、見つけてしまったー。多分こっからいろいろ来るぞー。早速ビビってんぞー。笑
仲間を募り、仲間に頼り、師に学び、休みながら、少しずつでもいいから諦めずに進むのだ。どうせ諦められないし。
私なら大丈夫。今までだって、そうして来たんだから。あー待って、でもこわいわ、めっちゃこわい。本気の願いだから本気でこわい。笑
前から自分自身めちゃくちゃパワーアップしてるとはいえ、こわい!!!
お願いだ皆!!今回も一人じゃ行けない、頼むから助けてーーー!!!
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