見出し画像

なぜ生命力が弱るのか?の考察

前の記事に何気なく付けたタイトル、「生命力が弱っている」という字面を見たときに、おやっと思った。

うん、確かに生命力が弱っているという表現がぴったりだ。

最近の俺の胃腸は消化に対して意欲を見せないので、ここ1ヶ月ほど何かを食べても胃に漬物石入ってるんかって感じで重くて、ものを食べるのが苦痛になってきた。

なんていうか、体から生きる気を感じない。
「なんでも食って消化吸収してエネルギーにしてやんよ!」みたいなの全然ない。隙あらば省エネしようとする。やめなさいよ。

寝ても寝た気にならないし、長時間寝ても早寝してみても変わらない。朝日と共にため息が出る。残念である。

自律神経の不調とか、まぁおなじみの「原因不明」ってやつ。
ということは、心や精神でなんか引っ掛かってるってことだよな。

過去の数々の自分の不調を顧みると、ほぼほぼなんらかの感情や欲求を抑圧してる、我慢してるってことなんだと思う。
特に胃の不調なんてめっちゃ象徴的やんね。
「未消化」ってことでしょ?

じゃあ、何を???

多分、感情だ。

どんな感情?と思うと…多分「怒り」だ。
最近チラッと浮上してきてたんだよな、なんとなく気づいてた。

俺は自分の個人的な(?)怒りに極めて気付きづらい。
今のところ、リアルタイムで気づくのはほぼ無理。
怒りを悲しみと取り違えたり(というか差し替える感じ)、体の不良と取り違えたりしやすい。
そして何週間も、時には何年も経ってから「あの時、もしかして怒ってた…?」って思ったりする。(この時点でさえ曖昧)

まるで、怒っていることから必死で全力で目を逸らしているみたいだ。
そうしないととんでもないことが起こると言わんばかりに。

ただ、怒りも、出しやすい怒りはある。

例えば俺は女性や子どもやセクマイ始めマイノリティの権利が脅かされたり、権力や力のある人の無自覚な暴言などに激しく怒る。

でも、例えば家族親戚や友人やパートナーといった、親密で個人的な関係の中で嫌な目にあったとして、そういう時の怒りって本当に抑圧してる。

最近、どうにもその辺がザワついている感じがするのだ。

でも、何に誰になぜ怒ってるか、ごちゃごちゃモヤモヤしててよくわからないし、怒り方がわからないし、もうとうに過ぎ去ったことに関してそんな今更…みたいな気持ちもある。
あ、でも今リアルタイムでモヤってるからこれは過去でなくて今のことだな。

思えば、怒りってちゃんと扱ったことなかったなぁ。
傷つきからの悲しみ痛みはだいぶ取り組んできたんだけど、怒りとなると、「????」ってなっちゃう。

怒りをホールドしてもらうのも、かなり大変だろうしって思うから相談したり愚痴ったりするのも遠慮しちゃうとこもある。
だって、話すうちに感情的になってしまうかもしれない。目の前で人が恐い顔で怒鳴ったり手足を振り回したりでかい音立てたりしたら、自分に対しての怒りじゃなくてもこわいでしょ…とか思っちゃう。
これは、過去に自分が怒る人を見て感じたことでもあるし、自分が実際に言われたことでもある。

安全で、でもちゃんと効果的な怒りの出し方ってあるのだろうか。

怒りにちゃんと繋がれたら、なんとなくだけど、情熱とかパワーとか、そういう強いエネルギーもちゃんと扱えるようになる気がする。
父性的というか、公正で、ダメなものはダメだとはっきり言えて、大切なものを守れて、行動したり表現したりしてエネルギーを形にできる力。

今の自分は、力を抑圧して内から身を焼いているようだ。
だから生命力が弱るんだ。
力をちゃんと解放して使えてなくて、抑えることにエネルギー全振りしてるから。

怒りにつながること。
怒りを、エネルギーに昇華すること。

早めにその手立てを見つけたい。
俺の胃が壊れる前に。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?