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仏日日和、ことはじめ

部屋を借りるにあたり、保証会社への審査申し込み書を書いていて、ふと手が止まってしまった。

『引っ越しの理由』の欄に、なんと書けばいいのかわからなかったからだ。

結婚して6年、2年スパンで3回引っ越しした。最初は夫となったうめの住んでいた名古屋に半年住んだ。東京暮らしが長かったこともあり、音楽をもっとやりたいよねとすぐに横浜に越した。そしてひとしきり遊んで、日本でも有数の辺境の地、つまりかなりの田舎で2年と少し暮らした。

その引っ越しのどれもが、「引っ越したいから引っ越した」のである。しかし、「また引っ越すよ」と人に言うと、必ず「なんで!?」「どうして!?」と聞かれてしまう。

わたしがかかわってきた人で、たしかに引っ越したいから引っ越してしまうような人はいないよなぁ。だって、みんな仕事もあるし、家族のこともあるだろう。そもそも、みんな引っ越して新しい環境に住むことが、そんなに好きではないという人が多いように思える。

わたしたちは真逆で、これまでのところ、根無し草もいいところだ。2年住めばずいぶん長いね、なんてことになる。がまんがないのである。ありがたいことに、うめもわたしも、ライターとして家で仕事をしているので、パソコンとWi-fiがあれば、とても貧乏ではあるものの飯は食えるのである。

飯が食えるということだけは、どうしても肝要だ。飯を食えなければいくら幸せでも死んでしまう。大人二人と、猫一匹(ブコ、雌)が生きていける食いぶちさえなんとかなれば、あとはなんとかなっていくだろう。うちにはこどももいないしね。

保証会社への申込書の『引っ越しの理由』欄には、とりあえずぼんやりと「仕事のため」と書いた。自由業なのに転勤と嘘は書きづらいものだ。あやふやで何も伝わってこないものの、「引っ越したいから」と書くより大人だと思って(ぐぐったら、「理由はとりあえず仕事関係にしておけ、さもなくば怪しまれる」と書いてあったので。)。収入が多ければ、どこにでも住めるだろうけど、わたしたちはいい歳をしていまだ低収入のため、家賃4万そこらでも、審査と言われれば緊張が走るのである……。

かくして審査は無事に終わり、わたしたちは仏日町に引っ越したのである。「ふっかちょう」というなんだか焼きたてのパンのような響きも、2DKという古い間取りも、南向きにふすまでおだやかにつながった6畳の和室と6畳の洋室が開けているのも、北向きのキッチンについている一人用サイズのベランダから、駐車場をはさんで電車がコトコト行くのが見えるのも、駐車場横の植え込み花壇が、いつもきれいに手入れされているのも、近くにおいしい団子屋があることも、西側に小道をはさんで流れる川に、いつでもたくさんの鯉や、カモが遊んでいるのも、川沿いにずっと桜並木が続くのも、何もかもが、今のところ気に入ってしまっている。

こうしてつれづれ書いているあいだにも、キッチンのベランダごしに、ごー、と電車が走り抜けていく。紅茶用のお湯がしゅーと湧き、湯気がタイルを湿らす。

築30年の古いマンションの古い生活のにおいが、わたしたちの新生活のにおいと混ざって、嗅いだことのないにおいになる。

これからいつまでここに住むかはわからないけれど、ここではじまる生活、おもに料理や散歩といった小さなできごとを記録していきたくて、書き始めてみたので、せっかくはじめたのだから、せめて仏日町にいるあいだくらいは細々続けていきたいと思う。

メモ:しらすが半額だったので、みじん切りにしたたくあんとごまでさっぱりお茶漬けにした(うめは白ごはん、わたしは豆腐)。後半、ほんのりと白ごま油を垂らしたのも、ほんのすこし、おいしい七味を足したのもよかった。おさかなひりょうずとじゃがいもを水分をややすくなめにほくほくと似た甘辛い煮物と一緒に。


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