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岡潔という人物を知り、彼の考えがあまりにも私の最近の考え方と似ていたので備忘録として

残す。

岡潔という人物の考えと自身の写真に対する取り組み方があまりにも似ていたので記す。


■運について

最近私と話した人には割と言っているが、私の写真技術で最も必要なものは「運」である。きっとこれに集約される。

では、技術というのなら研鑽を積むことでその技術を得ることができると思っている。どうやって?

そもそも、運とは何か。運とは、神の采配である。神の存在をまず信じる必要がある。それぞれの神を信じればいいと思う。神は、上位構造の何かだと認識している。そこの話は、これくらいにする。

ゲームで例えると、ゲージが溜まった状態だ。運ゲージを貯めることでラッキーが発動する。

もしくは、ポイントカードに例えてもいい。運ポイントを貯めると、ラッキーが発動する。

そして、ここ一番の時に運は発動する。その運がないと撮れない写真が撮れる。このパターンが本当に多いので運を鍛えることが自分の写真技術の向上につながると本気で思っている。

話を戻す。では、運を鍛えるとはどうやって?

私は、善行と思っている。徳を積むことである。それこそが、運を得る方法だと思う。

というわけで、それに気づいてからできる限り少しづつ善行を行い徳を積むようにしている。そして、運良く撮れた時には善行に感謝をするようにしている。最近そのおかげで写真がさらに上手くなったと思っている。

■感性を躊躇わない

そして、かねてより練習している「風景」写真だが、それについても言及する。風景写真を撮ることは練習の一環と捉えている。それは、「感性を躊躇わない」ための練習だ。

「良いと思った時に、カメラを構えてシャッターを切り現像する。」

この一連の作業は、武道における「型」に近いものだと思っている。常日頃これを繰り返すためには、当然カメラを持ち歩く必要があるし、常に良い写真が撮れるアンテナを張り巡らし続けることだと思っている。

風景写真を練習法として本格的に取り入れたのが多分2017年からだが、最近明らかに光と影を見る能力が培われているのがわかる。

では、感性とは何か。そう言われても、感性は感性だ。これまでの私には感性とは何かをピシャリとわかりやすく説明できる言葉を持ち合わせていなかった。しかし、今日(2021/08/18)YouTubeで岡潔という人物の書籍紹介動画を見たことで解決した。

■感性とは、情緒である。

岡潔と彼の著書の紹介動画

彼が数学とは「自らの情緒を外に表現する学問芸術である」と述べている。

これは、そのまま写真に置き換えれる

また、「人間の情緒こそが学問の中心である。情緒の中心こそ人間の表玄関である」と、情緒の重要性を説いている。

この説明から、私は「情緒とは、感性だ」と認識した。そのため、彼の言葉に共感を得ることが多くなった。

彼は、「情緒を鍛えるにはどうすればいいか?」の問いに、「直感を鍛え善行を繰り返すこと」と答えていた。

やはり、だ。私の考えは間違っていなかった。

別にこの岡潔の言葉の裏付けが必要ではないが、同じ考えの人間がいたというのはシンプルに嬉しいことだったので、noteにまとめた。

話逸れるが、

実は、私は近年初詣の一つとして宗像大社に行っていた。そこの高宮祭場にて高宮割符を毎回行っている。


高宮割符というお守りは、名前を書いて裏に願い事を書いて、半分に割り片方をお守りとして持って帰るものだ。私はそれに毎年「直感を信じる」と書いている。なぜそう書いたか理由はわからないし、それこそ「直感」だったのだが2018年の私はそう思ったのだろう。

その考えもここで岡潔の考えによって私の一連の考えは繋がっていく。

■純粋直感について

彼はかつての日本人には「純粋直感」なるものが備わっていたという。

それは、「自分にとっての正しさを貫くことができる力」だという。


ものすごく合点がいく。私に必要なものはやはり直感だったのだ。他人がどうだとかどうでもいい。自分にとって正しいかどうかだけが大事だと思っている。

岡潔は、今の日本にはこの純粋直感が欠落していると危惧しているが、今日の世界を見ると世界中から純粋直感が消えつつあると危惧できる。

そして、動画後半で純粋直感の鍛え方を示している。

それは、「善行を日常に取り入れること」だと。そして、善行とは「少しも打算の入らない行為」のことだと言っている。

ここで、全てが繋がった。

■他人の言葉を借りて得た結論

私の運を鍛えることは、つまりは「純粋直感」を鍛えることと同義であり、善行を行うことでそれは育まれる。

その善行とは「少しも打算の入らない行為」であり、善行を行うことで情緒が育まれる。

情緒とは、私のいうところの感性であるので、善行を行うことで感性が育まれる。

つまり、やはり善行を行うと感性も運も良くなり、私の写真技術が上がるのだ。

他人の言葉を持って自身の考えに辿り着くのは珍しいので、感動したのでここに備忘録を兼ねて記した。

おかげで運を鍛えるために神を信じる必要は無くなったが、個人的に神様はいると思うので私は引き続き神の存在を信じることにする。

せっかくなので知ってもらおうと思い、noteにまとめた。


最後に、感性を躊躇わないで撮ったここ数年の風景を載せておく。

(リサイズ)20210809風景-0041(福岡市、夕方)

(リサイズ)20210809風景-0084(福岡市、夕方)

(リサイズ)20171004風景-0042(新宮、昼、夕方)

(リサイズ)20171008風景-0040(押戸石)(あの丘で)

(リサイズ)20200611風景-016(福岡市、夕方、曇り空)

(リサイズ)20201101風景collage-01(crow kiss)

(リサイズ)20201114風景-001(天神北、朝)

(リサイズ)20210131風景-0030(筑紫野市、夜明け)(太陽と枯れたセイタカアワダチソウ)-02

(リサイズ)20210424風景-0023(佐賀市、夕日)

(リサイズ)20210506風景-0081(筑前町栗田、夜明け)(電柱)

(リサイズ)20210506風景-0096(あまぎ水の文化村)(たんぽぽと虹)

(リサイズ)20210620風景-0032(福岡市、夕日、鱗雲)

(リサイズ)20210602風景-032(福岡市、夕日)

(リサイズ)20210521風景-0030(福岡市、夕日)

(リサイズ)20190910-072(ブルックリン橋、早朝)


やはり、私の写真は当然に最高に美しい。

私にとって。

9/7~20にパークサイドギャラリーで個展をします。

■追記

写真展が始まりました。ご興味ある方、見に来てください。運が良いから撮れたものばかりです。ありがとうございます

note投稿用フライヤー-02


これは、私へのサポート機能です。 次の撮影、次の次の撮影のための資金として使わせていただきます。