感性を躊躇わないために
以前にも書いたかもしれないが、感性は年々目減りする。
感性は、おそらく刺激によって育まれる。長く生きると色々なことに慣れる。慣れると安定するが、刺激は減る。
きっと、それは私には良い事ではない。故に、今の人生には納得している。
感性を躊躇ってはいけない。いいと思ったらシャッターを押すべきた。様々な事象の微細な変化に気づいてシャッターを押す行為をすることで、どんどん感度は上がり、様々な事象に予測と行動ができると思う。
それには、風景写真がうってつけなので練習としてよく撮るようにしている。
意味もへったくれもない。
綺麗だから撮るし、綺麗と感じるために撮るし、新たに綺麗と感じるものが増えるために撮るのだ。
撮れた喜びよりも、撮り逃した後悔の方が大きい時が多々ある。この日の夕日もそうだった。直前まで編集作業をしていた。昼下がりに空をみて雲がかかっていたから夕日はないだろうとたかを括った。
作業を終えて19:15に店を出ると、真っ赤な夕焼けがそら一面に広がっていた。急いで移動して、撮った。これが良い写真かどうかはわからないが、とりあえず撮れたので心の平静は保てた。危なかった。
これは、2021/5/25の話。
この後準備をして岐阜へ向かう。
岐阜城と皆既月食を撮るためだ。また別の投稿で書くことにする。
8追記9
たまたまおすすめに上がって作業用に音声だけ垂れ流していたら、共感できることが多くかったのでこちらにリンクを貼っておく。
13:15からのくだり
初めて見るものが減っていくことで撮るものに困る現象。
見たことないものにのみ刺激を求めると、常に新しいものを外に向けて求める。それは、拡がる宇宙だ。第3部だ。
それも良いが、自分の身の回りに刺激は隠れているのだと知る感性があれば、わざわざ海外へ行く必要はない。それは、内なる宇宙だ。第4部だ。
さらに重要なのが
15:21からの「常にフレッシュな感覚を維持する秘訣」について語っていることだ。これは、私が提言していることと同じ意味だ。
だから、私はカメラを常に持ち歩くし気づいたものは極力撮るようにする。そうでないといけないからだ。私から写真をのぞいたら何も残らないくらいに写真で生きていく覚悟なのだ。
世界は、広い。同じような考えの人がやはりいるんだなと思って少し嬉しくなった。この人の写真をいつか見てみようと思う。
そうだ、意味なんてないのだ。撮るのだ、撮らずにはいられないのだから。
先日の唐津にて
これは、私へのサポート機能です。 次の撮影、次の次の撮影のための資金として使わせていただきます。