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人生2度目の座禅を通じて思ったこと

先週の日曜日に、座禅の会に参加しました。
座禅は、人生で2度目です。

1度目は、大学受験の夏。
通っていた予備校のプログラムで参加しました。
あれから、だいぶ経っています。

東洋的なものがグローバルになっている

マインドフルネス瞑想とか、
セルフ・コンパッション(自分への慈悲)など、
東洋的なものが、グローバルで広がっていますが、
座禅もそのひとつです。

今回参加した座禅会は、臨済宗の禅寺でした。
臨済宗は武士を中心に広まったそうで、
いつ死ぬかわからない武士には、
気持ちを落ち着けるために、座禅が必要だったとか。

今の日本は平和ですが、
瞑想やヨガを習慣にしている人が増えています。
武士のような人が増えたのでしょうか?
外の敵より、目に見えない敵、自分自身と戦うこともありますね。

迷いとか、不安とか、
後悔とか、よくわからない自分とか、
分かりにくい敵は、退治の仕方も分かりにくいので、
厄介です。

「厄介だけど、これも人生の一部。」
と受け入れるのが、自分への思いやり(慈悲・コンパッション)です。

瞑想して「厄介なもの」に気づき、慈悲で受け入れる。

一緒に試みると、うまくいくではないか! と、
西洋社会では、良さを感じられたのではないかと思います。

上がるか去るかの社会(UP or OUT)


東洋では古くからある「瞑想」や「慈悲」が、
なぜ、今、西洋で広まっているのか? 
疑問もあります。

そこで思い出したのが、かつて働いた外資でのこと。
”UP or OUT" という言葉がありました。

UP つまり、上に上がる、昇進や成長。目標の数字は常に去年より上。  
or     もしくは、
OUT 退職して、別の場所で自分らしさを発揮する。

現職場での、現状維持やパフォーマンスダウンは 基本なしだよ。
UPか、OUTの 2択しかないからね。

と、言われたら迷います。苦しいです。

もうひとがんばりするか、活躍できる別の場を探すか。
どちらもシンドイし、どちらも不安。

そのようなストレスを軽減するために、
自分の心の中を整えるために、
マインドフルネス や セルフ・コンパッションが、受け入れられた。

外資系企業での経験から、私なりの答えを見つけました。

現状に留まるための瞑想や慈悲ではなく、
よりよい行動を起こすための瞑想や慈悲というところが、
レジリエンスです。

多様性があることでの心地よさ

今回、私が足を運んだ禅寺は、
住職以外、修行僧は全員外国人でした。
とてもユニークですが、行くまでは知りませんでした。

座禅の会の進行は、白人の男性。
日本語に詰まった時は、別の修行僧(外国人)がフォローします。
お堂の中は、数十人の日本人でぎっしり。
みなさん、耳を澄ませ、ちゃんと理解できています。

座禅の時、長い棒で肩をパーンと叩くのを、
“警策(きょうさく)”といいますが、
私が警策をお願いした僧侶は、アジア系の女性でした。

肩に棒が当たったところが、じんわりして、
ありがたい気分でした。
身体の中の悪いものが、追い出されたような感じもしました。

300年以上続く伝統のある禅寺でしたが、
そこには、ダイバーシティ(多様性)があり、
座禅会の方々とインクルージョン(包含・一体感)もある。
とても、心地よい時間でした。

10代で経験した座禅は、日本人の僧侶でした。
事前に、「警策は全員必須だからね」のように言われたせいか、
「痛いじゃないか!」と思いました。
受験生への励ましというより、上から目線を感じてしまい、
反発心が残りました。

ありがたいとは、思えなかった10代の自分との違いは?

歳を重ねたことで、見識が深まっただけではない気がします。
痛さは、若さ故の、無意識の反発もあったと思います。
今の若い方の気持ちが、分かったような気がしました。

座禅会では、ヨガに似たストレッチもありました。
禅はインドから伝わったものですから、
ルーツをたどっています。

僧侶のリードで身体を動かして、凝りがほぐれました。

滝行や、燃えた薪を素足で歩くのはカンベンですが、
ヨガ風ストレッチは問題ありません。
聞けば、これも、外国人僧侶の発案だとか。
ダイバーシティ効果です。

野鳥の鳴き声と雨の音だけの時間。
開け放たれた窓から見える庭の木々がきれい。
古い建物に染み付いた匂いにも癒される。

ありきたりですが、
「日本っていいな」と再発見。 そして、
「ダイバーシティ&インクルージョンもいい!」と再認識。

いろいろな経験をしたいものですね。

違いを受け入れると、面白くなる。
違いがあるから、面白い。
面白くなると、続けられる。
私を座禅会に誘ってくれた会社の役員さんは、
多忙な日々の中、日曜日の座禅を10年も続けています。

泥のないところに蓮の花なし

もうひとつ。
禅寺のスイレンを見て、レジリエンス的なことが思いうかびました。

「泥のないところに蓮の花なし」
(ティク・ナット・ハン師・禅僧で平和運動家)

今が、泥の中にいるような状態でも、
そこから、清らかな花を咲かせられる。

泥は、失敗や辛いこと。
蓮の花は、成功や幸福。

本来の「泥中の蓮」とは違う解釈ですが、 
レジリエンスは、Bounce Back Better です。
辛さを跳ね返して、きれいな花を咲かせたいと思います。

この禅寺に興味のある方は、
「曹源寺 岡山」で検索してください。

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