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「アシカ」といえばもちろん「ア歯科」

本文

アシカといえばもちろん「ア歯科」である。

この一文だけ読んで「くっだらねぇ」と屁をこきながらつぶやき、ブラウザバックしてしまうような気の早い人のもとには、私の家の庭で待機しているアシカソルジャー兵士軍団部隊がやってきて、銃を持っているから発砲してくるのかと思いきや、「アシカまんじゅう」「アシカこけし」「アシカ肉」などのお土産の押し売りを始めるので、ブラウザバックするのはちょっと待っていただきたい。というのも、「ア歯科」という歯科が本当にあるのだ。ね、喜ばしいでしょう。「ア歯科という歯科が本当にあるんだ!ウオーーーーーーー!!!!」と、歓喜の声を上げたくなるでしょう。まあお待ちなさい。ここは心の中でガッツポーズをするにとどめ、落ち着いて冷静にあわてず騒がず静かに「アシカまんじゅう」を食べながら、のびのびとゆっくりとおもむろになめらかに記事を読んでいってくださいね。

ア歯科を最初に見たのは、まだ母のおなかから出てきたばかりで、元気よく産声をあげているころ…たしか、幼稚園の年中さんか年長さんのころだ。幼稚園から家に帰るバスの車窓から見えたのだった。成長段階と年齢が一致していないのではないか、と指摘する気の早い人の後ろには、すでにアシカソルジャーたちが立っている。それはいいとして、私は成長速度は人並みなのだが、4歳のときに生まれるのであり、0~3歳はまだ子宮の中、あるいはこの世にいない状態なのだ。どうしてそんなことになっているのか、という声が聞かれるが、詳しいことは私にもわからない。「この世にいーなーい、おなかのなーか、生まれたばっかーり、あーかーちゃん、1歳、2歳…」の手遊びを小学生時代にやりすぎたことが関係しているのかもしれない。まあ、私は文系で数学には疎いので、詳しいことはアザラシスカラー博士ドクター教授学会の方々による解説記事にまわすとしよう。

それで、ア歯科を最初に見たとき、私はまず、見間違いかと思った。どう見間違えたのかは忘れたが、たぶん、当時は家の近所に47軒ほどあったアシカの肉を販売する肉屋の仲間ではないかと思ったのだ。しかし、もう一度見ると、たしかに「ア歯科」と書いてあるのである。いやあでも、やはりアシカ肉屋ではないのか。こんなふざけた名前の歯科があっていいのか。しかし明日もう一度見てみてもやはり「ア歯科」だ。うーん。やはり歯科であることを認めざるを得ないか…いやまだだ、まだここで負けるわけにはいかない。がんばれ、俺!と4歳の不可説少年は心の中でコブラのポーズをした。帰りのバスでもう一度見ても「ア歯科」。その次の日も「ア歯科」。そのまた次の日も「ア歯科」。そのまた次の日も…と繰り返していくうちに、いつの間にか幼稚園を卒園しなければならない時期が来ていた。結局、歯科なのかアシカ肉屋なのかは、在園中にはわからなかった。アシカ肉屋の数は急速に増え続けていたので、ア歯科が歯科であるということはますます信じがたくなっていったが、やはりどうみても歯科と書いてあるのだった。

そして卒園式の日…といっても、私には苦痛の日だった。というのも、入場するときに背筋を伸ばしてお上品な歩き方をさせられるのだが、「右手と同時に左足を出し、つぎは右足を同時に左手を出して進み、これを繰り返す」という動作が当時の私には難解すぎてうまくできず、式の直前くらいまで練習させられていたのである。小学校や中学校でも卒業式の練習というのはあり、こちらも大嫌いで「苦手な科目」に挙げるほどだったが、卒園式ではみんなでやる練習に加えて私だけ居残り残業練習をさせられていたのだから、ワケが違うのだ。まったく、なんでこんな洋式の兵隊みたいなことをせにゃあいかんのじゃ、なにが開化じゃ文明じゃ、と子供心に思い、心の中で三日月のポーズをしたものだった。

「さあ、今日は皆のハレブタイだから、行っておいで」とおばちゃん先生は言った。謎の語彙を含む激励に困惑しつつ、列に並んだ私とクラスの皆は体育館へ行進していった。…と、何かがおかしい。おかしいといっても、体育館に椅子が並べられていて、ステージには園長先生がしゃべる用の机とマイクがあって、後方に保護者がいるのは、卒園式の日だからだとさすがにわかっている。しかしそれ以外に、園庭の方から、なにやら不思議なにおいがただよってくるのである。毎年6月くらいに謎に配られる「甘茶」とも違うし、体育の先生のどぎつい体臭(注・このエッセイには事実と異なる内容が含まれる場合があります)や、バスの運転手のおっさんがつけている香水の、麝香とピーマンと金華ハムを混ぜたようなにおい(注・同上)とも違う。あまりかいだことのない、けれど明確に不快なにおいが、かすかに薫ってくるのだ。窓のカーテンはすべて閉められていたので、においの正体は分からなかった。

しかし今はそれどころではない。なんてったってハレブタイというなんだかすごそうな卒園式なのだ。私はにおいなど気にせず、練習したことを思い出しながら、背筋を伸ばし胸を張って精一杯卒園式に臨んだ(注・同上)。式が終わり、教室で何かをし(よく覚えていないが、多分、護摩行とかだろう)、母と合流し、さあ帰ろう、となる。2000年代にもなっていまだに靴箱の上に黒電話が置かれているこの玄関を通るのももう最後か…と、子供心にしみじみと感じ、心の中でゴクラクチョウのポーズをとろうとした矢先のことだった。

「イラッシャアセエエエエエエエ!!!」というけたたましい声と、園長先生の悲鳴が、園庭のほうからきこえてくるのだ。
そして、卒園式のときにかいだ謎のにおいが、より明確にただよい、私の鼻腔にドロップキックをかましてきた。これ、アシカ肉のにおいだ!
私は怖くてそっちの方を向くことができず、足早に立ち去り、親の車に乗り込んだのだが、そこからも地獄だった。なんと家の近所がすべてアシカ肉屋になっているではないか。もともと87軒ほどあったが、それよりもさらに増えて、もはや普通の民家は一軒も見当たらないまでになっていた。
当然わが家の玄関にも「アシカ肉の不可説」という看板がかけられており、庭にはアシカ肉が山積みされていた。そして車から降りた瞬間に私たち家族の元に駆け寄ってくる、銃を持ったアシカたち…
「イラッシャアセエエエエエエ!!!!お土産イカガスカアアアアアア!!!!」

「ヒエー!」私は驚きのあまり、心の中でではなく、実際に三日月のポーズをとってしまった。するとアシカたちは押し売りをやめ、ひときわ体が大きくふとっていて、どどめ色のニット帽をかぶった、いかにもリーダーと言った感じのアシカが、「この町の建物はすべてアシカ肉屋になった。看板にアシカと書いてあるのだからアシカ以外は入ってはいけないよ。さあ、帰った帰った!」といい、私の肩に超音速爆極チョップをかましてきた。全身の骨を折った私は、足をひきずりながらスキップで元・我が家から逃げ出した。
しかし私は知っていた。まだアシカ肉屋になっていない建物があることを。ひとつは、アシカの侵入を防ぐ特殊なシールドを家の周りに張り巡らせているディフェンス守谷さんの家。そして、その息子のガード守護田さんの家。さらにあともうひとつ、まだ中身はアシカ肉屋になっていない建物があるのだ。

まとめ

4歳くらいのとき、幼稚園バスの車窓から「ア歯科」という看板を見かけてびっくりした。見間違いかと思った。

注釈

このエッセイには事実とは異なる内容が含まれる場合がありますが、「ア歯科」という歯科は実在します。

お知らせ

この記事は書いている途中で変な方向に行ってしまい、結果として私自身納得がいかないものになってしまいました。よって、後日、途中まで同じ文章のアナザーストーリーを公開するまたは公開しない予定です。


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