逆噴射プラクティス私的覚書き①

『パルプ小説の冒頭400文字』を連日投稿する逆噴射プラクティス。
それはニンジャのドージョーを思い起こさせる。

センセイが言う。
「今から一ヶ月間、毎日わしにアンブッシュを仕掛けよ。遠慮はいらぬ」

門下のニンジャはあの手この手で奇襲する。長いカラテ・セッションでもなければ、単調な木人拳トレーニングでもない。死闘の初手を繰り返すプラクティスである。

眼高手低カラテ

 逆噴射プラクティスは眼高手低の構えを打ち砕く。眼高手低カラテの肝は腰の重さだ。自ら書いた文章への自己評価の低さと理想のギャップエネルギーによって生まれる内的重さ。そして他人の評価への、そこはかとない不安が生む外的な重さ。その二重の重さが文字通り重重しい構えを作り出す。

 逆噴射プラクティスはその真逆を行き、二つの重さを取り除く。不動の構えを続けるだけではアンブッシュできない。書き手は胡乱な題材までも……いやむしろ、ある者は胡乱さこそを求めて、未追求だった可能性の連撃を叩き込む。これは眼高手低カラテに囚われて進むことができなくなったニュービーのトレーニングとしても非常に効果的であるのだ。

 「優れた文章」の「長い物語」を「完結」させねばならないという思い込みを打ち壊し、まずは兎に角書くこと、書き始めること、アイデアを出し試すことの重要性を再考させてくれる。また、『ニンジャスレイヤー』という実験的で、ジャンル越境的な作品が背後にあるという文脈が、想像の枷を外してくれる。私が持つ小説のイデア――国語の教科書に乗っている小説、あるいは一大ジャンルの王道を行く小説のイメージ――を白紙に戻し、どんなアイデアで書いても良いんだと思い出させてくれる。ブレインストーミング効果にも近い。胡乱胡乱した末にさらにもう一周胡乱胡乱するような胡乱さを追求したくなる、そんな効用もある。

 唐突ですが、眠くなったので今日はここまでです。

 冒頭で読者を引き込むこと、ネタ出し練習、書くことの習慣づけ、それから冒頭は冒頭でも400字に限ったプラクティスの場合に特徴づけられる叙述の速度や文体、作劇論的戦略も考えてみたい。ホットココアが美味しい季節です。コブチャもおいしい……( ˘ω˘ )💤

【多分続く】

#逆噴射プラクティス #逆噴射小説大賞 #小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?