異界神話体系(4)

第4話 遍在神エンノイア

1-1
至高の唯一神には始まりもなく終わりもない。時間を超越しているが故に。
彼は大きくもなく小さくもない。実在に縛られない故に。
彼以前には何もなく、彼以後にも何もない。
彼は不変不動の永遠であり、万物そのものであるが故に。
彼以外の存在は全て彼に劣る存在である。
彼以外、彼を知ることはできず、見ることはできず、彼の声を聞くこともできない。
彼以外、彼に名をつけることはできず、彼の考えをはかることもできない。

彼は彼自身について考える者である。彼以外、何もないのだから。
彼は鏡を見るように、彼について考える。彼は自己思惟する者である。

彼は無を二つに分けた。光り、軽く、善いものと、暗く、重く、悪しきものに。
光は昇り、闇は沈んだ。その二つの中間に、混ざったもの、すなわち混沌が生まれた。

彼は彼の一部を切り取って、バルヴェロとビュトスを創った。
バルヴェロには天の光を、ビュトスに深淵の闇を与えた。

天地の開闢後、至高の彼を知覚したものはない。
始めの二神さえ、彼らが父を見ることはない。

1-2
バルヴェロとビュトスは混沌に大地を置き、互いの領域の境界とした。
ビュトスは深淵の水を汲んでバルヴェロに贈った。地の表に雲と海が現れた。
バルヴェロは天の炎を取ってビュトスに贈った。地の裏で硫黄が燃えた。

天の炎はあまりに強く、ビュトスの四肢を焦がした。
彼は深く沈んで長い間、水に身を浸すほか無くなかった。
彼は [原典6字欠損] 。

ローレンシア神学庁編(101), 聖典教説, 統括局活版部, pp3-4


「こんにちは、受付の遍在神エンノイアです。お気軽にノイアとお呼びください」
 半透明の女性が言った。
 唖然とする“僕”の頭をアカネが本で殴打した。
「『神権世界の釈義 基礎編』第2巻17章じゃ、ボケ」

 異端審問所はローレンシアの首都からやや離れた海沿いにある。鉄道に揺られて2時間ほどの旅程。首都付近は神意が鉄道を許す数少ない地区である。朝食は食堂車でとった。統括局の経費で済むからと、3人揃って丸角水牛豚のカツレツに、食後の糖蜜入り紅茶までつけた。チャノキは案外、どこにでも生えているらしい。
 一面の穀倉地帯を抜け、森に入り、また視界が開けると、そこはもう海岸線である。異端審問所は岬にある。一見すると赤煉瓦づくりの要塞だが、豪奢な神殿も内包している。荒波が崖にぶつかる岬では遺体の処理がすこぶる容易だ。藁と薪で火刑に処せられた者、炮烙で死んだ者、煮えたぎった油をかけられた者、どんな死に方であれ、渦巻く海に投げ込めば、二度と浮かび上がってこない。
 機関車は審問所前の駅に止まる。そこから2分ほど歩くと巨大な鉄門の向こう、中央エントランスにたどり着く。

「アカネ・サイジョウ様、どうぞお気になさらず。統括局書院の分霊が、この方の資料を精査済みです」
 エーは先に、審問の担当官に会いに行った。召喚された者はこの先、保護側の担当者1名――今回の場合は統括局員西条茜――と、審問所側の監視官1名と共に控室で待機となる。外部との連絡は禁止され、判決、閉廷までは実質的な軟禁状態である。
「それでは私の一部が……」エンノイアが2柱に別れた。
「監視官としてご案内いたします」
 薄暗く長い廊下を行く。どの窓にも鉄格子が嵌っている。ここは異教という犯罪を裁き、罰するための場、疑わしきが不利になる拷問の場である。要所要所に立つ衛兵らは、巨大な釣り針のようなカギ棒を持っている。先端には返しがついていた。
「私、遍在神エンノイアは最大880万と88体の分霊に別れます。バルバティカ大陸全土、全国家に遍在し、一部は古テティス海、およびパン=サラサ外海上にも存在します。神とはいえ下級ですので、さしたることはできません。極小さな分霊は様々な機械の核となっています。叡智のソピアが母です」
 大階段に着く。地下の方からは遠いうめきと微かな血の匂いが流れてくるが、幸い、2階に先導される。法廷前エントランスは雑多な人々で溢れかえっていた。豪奢な絨毯。天秤を持つ神の彫像。審判を描いた巨大な絵画。雑談と議論の声。
「例の男の傍聴目当てか。整理券、もう無くなっとる」
 アカネの顔見知りも何人かいたようで、何度か軽く手を振っていた。世紀の異端、救世主、偽預言者、奇跡……。人波からそんな言葉が聞こえた。エントランスの端から狭い通路を通り、衛兵詰所でチェックを受け、鉄格子の扉を抜けて、また長い廊下を歩く。突き当りにある控室に入った。そこは小さな部屋で、入り口とは別に、もうひとつドアがある。あとは椅子が二脚。暗い室内に、天窓から陽光が差している。殺風景だった。
「開廷まで46分です。どうぞお座りください。ここまで規定上の問題な」唐突にエンノイアが消えた。
「あんた、座って両手後ろに回してな、縛るから」アカネが言った。
「ノイアに過負荷がかかってんのか知らんけど、監視官がおらんちゅうのは色々都合が悪い。うちが衛兵呼んでくるさかい、大人しゅうしててな。規定では被告人は法廷に喚ばれるまで、もうここを出られへん。かと言って、拘束も誰の監視も無しでは無実の証明はでけへん。よって縛る」
 彼女は自分のベルトを抜いて、背もたれの後ろで彼の両腕をきつく締め上げた。そして彼の膝の上に鞄を乗せた。
「1ミリも動かんとってな。煎餅入っとるから落としたら割れるで」
 そう言って彼女は廊下へ出ていった。
 本当に殺風景な部屋だな、と彼は思った。
「同様に、この世界も殺風景じゃないかな」疲れた声が言った。
 部屋の隅、もう1脚の椅子に男が座っていた。30過ぎだろうか。しかし髪には白いものが混じっている。
「神々の意志は墓石よりも重い。そんなものを背負って生きる人々の世は暗い。全くもって理不尽だとは思わないかな、異邦人君?」

[第5話 デルデケアスの説話]に続く


#逆噴射プラクティス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?