俯瞰学の技法:歴史学による俯瞰

 俯瞰学の技法の一つとして、歴史による俯瞰がある。時系列による俯瞰は統計数字を長期間俯瞰するが、歴史による俯瞰は年表的な事象のまさに歴史としての俯瞰から「今」を理解するメッセージを抽出する。

「現代」が作られた時代
 現在を深く認識し、今後を透視するためには歴史学による俯瞰が必要である。旧くなってしまったが編集工学研究所の「情報の歴史」は政治、社会、科学、文化、芸術を歴史学的に俯瞰することが出来る好書である。NHKのドキュメンタリ―番組「映像の世紀」、「オリバーストーンが語るもう一つのアメリカ史」、「伝説の晩餐会にようこそ」は「現代」の歴史的俯瞰の素晴らしい資料で、ユーチューブで見ることが出来る。
では現在の地政学的な状況、国際経済、社会構造を理解するために 「現代」が作られた時代を歴史学的に俯瞰してみよう。
 19世紀の終わりは、ヨーロッパでは重商主義の強国が資源と市場を奪い合う帝国主義の時代であった。産業革命で先行した英国に対し、新興勢力のドイツが国力をつけこれに割り込んで行った。
一方新世界のアメリカも国力をつけていた。1900年にはすでにアメリカは工業生産では英国を凌駕しており、ドイツも英国には及ばないもののそれに近い工業生産をしていた。人口でもアメリカは英国をはるかに超え、ドイツも人口では英国を超えていた。
 そして地政学的な視点で見ると、先に述べたようにヨーロッパの強国は資源と市場を求めて激しく競争していた。アメリカもこれに加わりスペインと米西戦争を戦い、キューバ、プエルトリコ、グアムを獲得し加えてフィリピンも植民地とした。ドイツは英国、フランス、ロシアに割り込みアフリカの分割にも加わった。ドイツは強引な行動を取り次第に英仏と対立することになる。そしてヨーロッパ列強の産業強国と軍事強国という帝国主義の競争は第一次世界大戦に突入することになった。そして人類史上最悪の結果となった。
 日本は1902年に日英同盟を結びロシアと対峙することになった。この年清朝が倒れ中華民国が成立したが「現代」についていく体制ではなかった。 日本は1904年に日露戦争に踏み出し、この帝国主義の競争の中に入っていった。この時ロシアの兵站を担ったシベリア鉄道は1902年に開通していた。ヨーロッパとアジアは鉄道で結ばれたのだ。その為か、奉天会戦以降は戦況は膠着した。
 第一次世界大戦の終結で巨大な帝国が四つ崩壊した。敗戦したドイツではベルリン革命が起こり、ドイツ帝国はわずか45年で終焉した。同じく敗戦国であるオーストリア・ハンガリー帝国は解体し消滅した。 1917年にはロシア革命が起こりロマノフ王朝は終焉した。そしてかつては北アフリカから中東、バルカン半島、黒海南岸を領有したオスマン帝国も解体し終焉した。この結果、多くの国々が独立したが地政学的には均衡がとれたわけだけではなく、むしろ不安定な状態になっていった。とりわけ、英国、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領分割のサイクス・ピコ秘密協定は今日の中東混乱の基層である。
 第一次世界大戦の終戦処理のヴェルサイユ条約は従前のスキームを踏襲し、敗戦国に過酷な賠償を請求することにし、結果としてドイツでナチスの台頭を作り出すことになった。理想主義者のアメリカのウィルソン大統領は、ヨーロッパ戦線に加わる決意をしたが悲惨な世界大戦の結果を見て、戦争ではなく話し合いで国際問題を解決すべく国際連盟という国際機関の創立を提案したが、国内の内向的な政治勢力の反対に会い自らは参加することがなく、彼の理想は実現できなかった。
 そして1929年に世界大恐慌が始まり世界情勢は混沌とした状態になり、第二次世界大戦の勃発へと国際情勢は流れた。日本も国内の悲惨な経済状況を打破するために資源と市場を求めて満州事変を起こし、第二次世界大戦へと進み、1945年に悲劇的な結末を迎えることになる。
 この時代に形成された地政学的な「現代」はすでに存在しない。しかしこの時代に形成された「現代」は「現在」の基層となっているので歴史学による俯瞰として構造を認識しておく必要がある。

 そして産業革命の視点で俯瞰すると。19世紀末から20世紀初頭にかけて、現在も存続するグローバル企業が続々と設立されている。
ドイツでは19世紀の後半から20世紀に至る間に、電機のシーメンス、化学染料のヘキスト、アスピリンのバイエルそして化学のBASFなどが設立された。鉄鋼と兵器のクルップはこれに以前に設立されている。自動車のダイムラーとベンツもこの時代に設立された。1871年に成立したドイツ帝国の日の出の勢いが感じられる。
 アメリカではこの時期GE 、ダウケミカル、 AT&Tが設立されている。火薬製造のデュポンはもっと以前に設立されている。そして20世紀に入るとUSスチール、フォード、 GMが設立されている。ボーイングもこの時代の設立である。現在に至る西欧中心の世界経済、産業の形成時期である。
 日本の明治維新は1868年でドイツ帝国の成立より実は先んじている。そしてアメリカそしてヨーロッパの先進国に追いつくために、 1871年に明治政府はアメリカとヨーロッパを視察する107名の岩倉使節団を派遣している。そして欧米に必死で追いつく近代化政策を進める。1896年には八幡製鉄所の設立、そして日本勧業銀行、山一証券も設立された。明治政府の危機感と志が感じられる。「坂の上の雲の時代」である。この「現代」の産業が作られた時代に日本は間に合ったのだ。なんという歴史的な幸運だろう。だから今の日本がある。西郷隆盛の征韓論?全く時代を俯瞰できていなかったということである。

 この時代のイノベーションも目を見張るものがある。 20世紀の初頭は、ライト兄弟の飛行機、アンモニア合成法、アインシュタインの相対性理論、フォード大量生産システム、真空管の発明、そして豊田佐吉は自動織機を発明し自動車へと繋げていく。
医学ではコッホが結核菌を発見し、北里柴三郎がペスト菌を発見し、志賀潔が赤痢菌を発見している。フランスのパスツール研究所を中心に細菌学が発達して近代医学が花開いた。
 以上を俯瞰学として認識すれば、まさに現代の産業の基盤はこの時代に築かれたといえる。鉄鋼業、自動車産業、化学産業、航空機産業、通信産業が経済成長を牽引し、社会を変えていった。驚くことに、多くの企業が成長を重ね、今現在もグローバルな大企業として存在している。しかし今後の成長を牽引する企業ではない。今、成長を牽引するのはサイバー空間に事業を展開する企業である。
 この俯瞰でわかることは、日本はこの欧米列強の産業革命に間に合ったという幸運である。だから今の日本がある。この明治維新の歴史的な重要性はもっと日本人が認識してよいと思うが。
 ただし以上はあくまで私個人の歴史的俯瞰であって、各位にはそれぞれの歴史学的な俯瞰があると思う。
 1945年以降「新しい現代」が形成されることになる。次回へ

歴史年表
1868 明治維新
1871 ドイツ帝国成立
         岩倉使節団が米国、ヨーロッパを視察 107名
1898 米西戦争 キューバ、プエリリコ、グアムを獲得
         第二次ボーア戦争
1902 日英同盟
         シベリア鉄道開通
1904 日露戦争
1912 中華民国成立
1914 第一次世界大戦勃発
1916 サイクスピコ協定 オスマントルコ領分割
1917 ロシア革命
1918 第一次大戦終結
        ベルリン革命 ドイツ帝国終焉
        オーストリア・ハンガリー帝国終焉
        オスマン帝国解体
1929 世界大恐慌始まる
         ナチス台頭
1931 満州事変
1939 第二次世界大戦勃発

産業と技術の歴史
1847 シーメンス社設立 電信機
1863 ヘキスト社設立 染料
         バイエル社設立 アスピリン
1864 BASF社設立
1882 コッホ結核菌発見
1890 豊田佐吉自動織機発明
1992 GE設立
1894 北里柴三郎ペスト菌発見
1896 八幡製鉄設立
1897 ダウ・ケミカル設立
         志賀潔赤痢菌発見
1900 AT&T設立
         マルコーニ大西洋横断通信
1901 USスチール設立
         ロックフェラー石油を独占的
1903 ライト兄弟飛行機初飛行
         フォード社設立
         真空管の発明
1905 アインシュタインの相対性理論
1907 アンモニア合成法の開発
1908 T型フォード発売  
         GM設立
1909 フォード大量生産システム
1910 自動交換機の発明
         日立製作所設立
1911 IBM設立
1939 HP設立



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