見出し画像

忘れられないずるい男

「ゆかり、地震大丈夫だった?」

深夜に震度6の揺れを経験した翌朝。親しい友人たちからの連絡にまざって、ヤツからのメッセージがあった。



私たちが別れてからもう7年経った。独身の私に対し、ヤツは早々と結婚をした。それにもかかわらず、いまだに年に数回連絡が入る。

私自身はもう特別な好意を抱いていない。ヤツもそうだろう。

連絡の内容はさまざま。天変地異の心配、共通の友人の結婚、私が暮らす街の近くに旅行に来たこと。取るに足りないことばかりだ。

返事をしないといけない義務はない。相手はもう既婚者だし、奥さんが知ったら良い気持ちはしないだろう。いくら今は何の感情もないとはいえ、一度は結婚を考えた仲だ。


なのに、どうしてだろう。私はいつも当たり前のように自然に連絡を返してしまう。

ーーーこういうとこ、お互い相変わらずだよね。

と、心の中で苦笑いしながら。



ヤツは誰にでも好かれたくて、誰にも嫌われたくない。線引きしない。だから大好きだったし、だから大嫌いだった。私は常に受け身で、ヤツから与えられる気持ちを飲み干す。

「死ぬかとおもったけど、生きてるよ。」

「そっか、よかった。何かあったらどうしようかと思って心配した。眠れなかったんじゃない?」

「ほんと眠たい。もっかい寝るね。心配してくれてありがと。」

たったそれだけ。意味があるのかもよくわからないこんなやりとりが年に数回。もう7年も続いている。



別れてから私も付き合った人がいたし、その人との将来を考えたりもした。ただ、いくら前向きに考えてみても、いつもあと一歩を踏み出せなかった。ヤツからの連絡が来るたびに気付かされてしまうのだ。こんなに自然でいられて、安心感のある存在は無いと。




そういえば、ヤツは結婚が決まった時にも電話をかけてきた。マリッジブルーだったのか、自慢したかったのか。無神経にもほどがある。

そして、その電話の最後にヤツは「ゆかりは俺にとって家族も同然だから」と言った。「これから俺たちの人生はどんどん分岐していく一方だけど、いつでも健康で幸せで、無邪気で自由なままでいられるように祈ってるわ」とも言った。

いらないお世話だ。その時の私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。

もうたいして好きでもない、だけど特別な存在であるヤツ。口に出すことがいちいち私の感情と同じだったからだ。

それと同時に、新たに大事にするものを持っているヤツと、持っていない自分の立ち位置があまりにも明白だったからだ。正直、一抹のさみしさがあった。嘘はつけない。



あれから私は変わったんだろうか。どんな経験をしても、心の奥底にはあの電話の時の気持ちがこびりついている気がしてならない。


ーーーそろそろ解放してよ。

もう全く好きという感情は残っていないのに、連絡が来るたびにそう思ってしまう。これは何という気持ちなのだろうか。



私がもうあの頃の私ではないように、ヤツももうあの頃のヤツではない。それは間違いない事実だ。

きっと。今どこかで出会ったとしても、私たちは恋に落ちないだろう。自転車に二人乗りして、汗だくでふらふらと坂を登るだけの時間を全力で楽しんでいた、あの青春は蜃気楼の向こうだ。

きっと。私に人生をともにする人が出来たら、ヤツの連絡に返事をすることは無くなるだろう。私は自分の周りにいるすべての人に気持ちをばら撒けるほど、器用なタイプではない。




友人や恋人は自分の鏡だとよく言うが、やはりずるい男の相手はずるい女なのだ。

私は友人に戻ったような顔をして、さわやかな思い出と自分を思いやってくれる安心感という蜜を吸い続けている。自分の幸せを期限にして。罪悪感を感じない程度の歪な関係を解消するつもりもない。被害者面して良いところを味わっている。


ーーー連絡してくるのはヤツだから。


私が幸せを手にするまで、もうしばらくこのまま。
忘れられないずるい男でいて。


そう願いながら、これから恋人になるかもしれない男とデートする。ずるい男を選ばないように。そう言い聞かせながら、目を利かせながら。心の底からずるくない男も、心の底からずるくない女も、そんなものは全て幻想なのだと理解しながら。


そして、来世もまた人間だったら、心の底から愛した人と何の問題もなく、素直に一生一緒にいられるようにと祈りながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?