コーヒーと短歌

気の合うコーヒー屋の店主がいるのだが、抽出の講座を始めようか迷っていた。
豆砕いてお湯かけりゃ出るよ!が基本的な話なので教えることじゃない、というのが彼の発想だ。
しかし「どうしてその抽出方法にたどり着いたんですか?」なんて聞かれようものなら何時間も化学の話をすることになるから初心者向けではなくなる、という難しいジレンマが発生していた。
彼のコーヒーは本当に美味しいのだが、人として、良い意味で尖っているのでおそらくコーヒー界隈(というものがあるのかはわからないが)からは遠巻きにされてしまうのだろう。

私はその話を短歌に置き換えて聞いていた。
短歌なんて(あえて「なんて」と言うが)五七五七七にしとけばいいんだよ、というのが私のスタンスである。その入口の広さで受け入れてくれるのが短歌の良さだとも思っている。その後、数作ったり本を読んだりしてより洗練されていけばいい、よって私が教えることはない。
とは思うのだが、稀に添削をしてほしいという依頼がある。そのときは、長々と国文法……助詞や助動詞の話をすることになる。

似ているな、と感じた。
ここから先は私個人の話だが、添削や作り方でお金を取るのはプロ歌人でなくても許されていいことだと思う。ただ、私がそれをやるのはよほどお金に困ったときだろうと思う。初心者を相手に自分がやっていることを稀釈して同じ話を人を変えて何度もするのは、単に向いてないと感じるからだ。それよりも私はより自分が良いと思える短歌を詠みたい。あくまでも指導者ではなくクリエイターとして、存在し続けたいと思う。短歌界隈からなんだあいつと思われていようとも、作品で黙らせたいと思う。

(こんなことばかり言ってるからいつまでも一人なんだよ)

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