2017年の短歌の連作を手直ししてみた

こんにちは、ふーかです。
私が短歌をインターネットの海に流し始めたのは2017年頃なのですが、そのとき使ってたアカウントは一応消さずに放置してあって、どんなの詠んでたかなと見に行ったら初めて編んだ連作が出てきました!
ということでそれを振り返りつつ2024年の私として添削してみようかなと思った次第です。
連作↓

乗り換えをスマートにした端末と少し寂しく見える路線図
恐らくは駅でなければ生まれない諍いでまた仕事が増える
困ったら泣けと赤子に言われてる気がした駅の下りホームで
江ノ島に行ける列車で帰路につくそういえばまだ行けてないまま
「死ぬな」とは優しさなのか厳しさか出来て間もないホームドア開く
今日もまた同じ電車で帰るけど帰れる場所があるだけいいか

ふ、ふーん、悪くないじゃん……(本音)
とはいえあどけなさも残っているのでテコ入れしていくわよ。

テコ入れ

乗り換えをスマートにした端末と少し寂しく見える路線図
→スマホによって切符売り場の路線図が見られなくなったよねという歌。
 →スマート、端末、でスマホということを示唆できている点は良い。しかしスマホの中で路線図は変わらず見られている(と思う)のと、見られているスマホ、見られていない路線図を並列しているのに見られていない方に「見える」を使ってるからそのあたりを変えてみたい。
△液晶を見て乗り換える人を見る切符売り場のでかい路線図
→二重構造にしてみたかったんだけどシンプルな方がよさそう。というか切符売り場の(でかい)路線図って言えばそれだけで寂しそうに感じるかも。そしたらそれ活かして他変えよう。
○卒業の子を母親は見送ってきっぷ売り場の路線図に朝

※推敲してる間に歌意が変わるのはよくあること。

恐らくは駅でなければ生まれない諍いでまた仕事が増える
→作中主体は駅員さんということがわかる歌。
 →なんていうか連作におけるこの歌の存在意義がそれしかないのでもう少し意味を持たせたいわね。
○おじいさんどこまでですかと青年はまだ新しい制服で問う

困ったら泣けと赤子に言われてる気がした駅の下りホームで
→気付きの短歌。
 →駅の、下り、ホーム、は被りすぎだと思う。歌意は活かしたいところ。定型にするためにこの語順にしたのだろうけどちょっと違和感。倒置する必要もない。
○遅延する1番線と泣きわめく赤子 そうだね、僕も泣きたい

ここまでだけで若人とおじいさんと赤子が出てきていて賑やかね。

江ノ島に行ける列車で帰路につくそういえばまだ行けてないまま
→小田急線だった……
 →小田急線だと一首目が成り立たないので江ノ島は変える。駅員さんの歌というよりは乗客の歌に感じるので目線を揃える。列車なのか電車なのか統一する。(最後の歌)
○温泉へ行ける列車を走らせて終わらない時間外労働

「死ぬな」とは優しさなのか厳しさか出来て間もないホームドア開く
→視点が私なんだよな。死ねないことは救いなのか、ここでも死ねないという絶望なのかを書いた歌。
 →なのか、は文字数合わせだなと思うので変えたい。「死ぬな」もちょっと強すぎるように思う。
○申し訳ないがここでは死なないで 出来立てのホームドアが閉まる

今日もまた同じ電車で帰るけど帰れる場所があるだけいいか
→見たまんま
 →一番初心者感がある。どうにかしないと。別に活かしたい部分もないので大改修するぞ。
○帰路 君のおやすみに既読をつけてミュートメッセージのおやすみを

結果

といった具合でテコ入れしてみました。改めて連作として見てみましょう。

ちょっと時間の流れが早すぎるのでもう何首か足して朝からおやすみまでの時間を緩やかにしたいですが、とりあえずテコ入れはできたかなと。こんなに大きく変えるのは他人の歌ではできないので楽しかったです。

ご覧いただきありがとうございました!

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