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人の死なない話をしようを他人事みたいに読む①

前書き

人の死なない話をしよう(以下のなないと呼ぶ)は、発売から2年半経っているので自分の本にもかかわらずだいぶ存在が遠くなっていたりします。
ところで有名な歌人さんが歌集副読本を出しているのを見て、そういう手もあるのか~と思い、じゃあ他人のフリして自分の短歌を評するのもいいかなという発想で書いてみることにしました。もう詠んだときのことなんて覚えてないですしね。のなない履修済みの方もそうでない方も面白がってもらえたらうれしいです。

短歌評

面接の椅子がめちゃくちゃふかふかでそういう罠だと思って座る

以下全部「人の死なない話をしよう」より

見開きとしては1ページ目の1首目に、あえて字余りの、かつとても口語の歌を置いていることに作為的なものを感じた。作者は、この歌集では「なんでもありなのだ」という意思表明をしたのではないだろうか。
でもこの歌、ふかふかであることは座ったタイミングでわかることなので、見るからにふかふかであった場合を除いては時系列的な矛盾を孕んでいるような気もする。見るからにふかふかな椅子もあるから絶対おかしいわけではないけれど。
今の私が詠むなら、も書いてみようかしら。
・めちゃくちゃにふかふかな椅子に座らされ志望動機を聞かれています

もし俺が売られるときはこのへんに「あったか~い」と記してほしい

つめた~いよりは遥かにあったか~いと書いてほしいと私も思う。「このへん」がどのへんなのかは読み手次第だが、みなさんはどのように想像しただろうか。もし俺が売られるときは、という人権を無視した仮定に対し、自動販売機をモチーフとしたささやかな願いで済ませている主体からはちょっとした厭世観も感じられるが、それでも「あったか~い」は譲れないのだという部分がユーモアのある一首。
・人身が売買された別れ際バイバイをするあたたかな人

人生はちょっとやさしい双六でポトフ食べたら3マス戻る

3マスも戻らさせられることはポトフの提供で打ち消せることだろうか。つまり本当に「ちょっとだけやさしい」ということなのかもしれない。裏を返せば、だいぶ厳しい双六とも言えるのではないだろうか。でもその、厳しさの中にあるやさしさに着眼してちょっとやさしいと表現する作中主体は、人生というものをまだ諦めていないようなそんな気もする。「やさしさ」と「ポトフ」の取り合わせは調和が取れていて良いように感じた。でもその後が1マス進む、ではなく3マス(も!)戻る、なところがある意味笠原楓奏の短歌たらしめているのかもしれない。
・「シチュー食べ2回休み」のマスがあるやさしさに満ちた人生ゲーム

今回はこんなところで終わりにしたいと思います。
次があるかはわかりませんが一応①としたので②があったらいいね……

歌集はこちらから買えます、まだの方はぜひ。ぜひ。


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