#自我短歌 一首コメントしてみた

こちらのツイートを見て、やりたいやりたい!となって企画した「自我短歌」。多くの方に投稿いただけてとても嬉しく思っています。
作中主体と本人はノットイコールの関係ではありますが、ときに短歌は自分のことを思っている以上に映し出すときがあります。
今回はそんな「自我」を全面に押し出した連作を皆様に作っていただきました。
以下、追える範囲(2024年2月18日現在投稿分)で自我短歌から一首選んで、簡単にコメントをしていきたいと思います。引用の際に間違えていたら申し訳ありません。代替テキストをつけてくれ。



えふぇさんの作品から

https://twitter.com/sonohi_1nichi/status/1758545098504077667?s=20

星のピノあった 星のピノあったって言える友達ができますように

日常の些細なよろこびは共有することで大きくなることがありますが、共有するためには他者が必要という根本的事実を教えてくれるような短歌です。友達ができますように、とあるので今はいない寂しさの中で星のピノだけが輝いているような印象を持ちました。自我。

峯ひろきさんの作品から

https://twitter.com/mine_tanka/status/1758643758831370438?s=20

詩の射程 駅のホームに立ち尽くす俺の希望を誰も知らない

かっこいい〜〜、が第一印象でした。詩の射程って、長いんでしょうか、短いんでしょうか。文は届く距離に限界があるように感じます。ここがSNSならまだしも、駅においては詩は無力とも言えるでしょう。ゆえに、立ち尽くす俺の希望を誰も知らない。しかし、「俺」には絶対的な希望がある。寂しさの中にも強い意志の感じる短歌でした。自我。

つしさんの作品から

https://twitter.com/kome_3go_taberu/status/1758729092189634968?s=20

西麻布 散歩の犬のオーラすらごく当然に僕より高貴

いますよね、気品の高い犬。ハイソな環境だと特に多く見かける印象です。西麻布(私、東京のことはよくわからないけど)ともなればそれはもう散歩する人もされている犬も高貴であることでしょう。そんな、人ではなく「犬」と自分を比較して劣っていると言ってしまう「僕」の哀愁が感じられる短歌でした。自我。

雨宮琴陽さんの作品から

https://twitter.com/cotofi_amamya/status/1758743368899973426?s=20

来世ではただ冷たい雨にだけ傷つけられる花になりたい

他の歌も”芯”のようなものが強く感じられて好きだったのですが、その中ではちょっと異色だったこちらの歌を選びました。来世、の話をしているので現世について何か思うところがあるのでしょう。そして、来世でなりたいのは「ただ冷たい雨にだけ傷つけられる花」。これは肯定的に解釈するなら雨以外傷つけるものがない、愛されている花だと思います。それになりたいということは、今の主体は傷つくことが多いのでしょうか。傷つきたくない、ではなく雨だけに傷つけられる花、になりたいという表現が良いと思いました。自我。

川合真生さんの作品から

https://twitter.com/gomapples/status/1758756495100113084?s=20

大きめの水たまりを見つけたら嬉しくなっちゃう人でありたい

かわいいですね、大きめの水たまりってテンション上がりますよね。そんな人でありたいというピュアな気持ちが表れていて良い歌だと思いました。ただの水たまりではないけれども、巨大な水たまりではなく、大きめの水たまりで喜べる、なんでしょう、庶民的感覚がとても好きでした。自我。

マミヤミレイさんの作品から

https://twitter.com/mami_yami_rei/status/1758815547750592679?s=20

昼過ぎに起きて昨日の米を食う生きてることの微々な償い

いや〜〜〜〜、わかってしまう自分がいることをお伝えした上で客観的に書いていきます。・朝起きられずに ・今日何かをする気にもなれない 主体が昨日の米を食っていることは、生存という前向きなイメージで捉えることもできるでしょうが、今回は微々な償いとありますので罪滅ぼしとして米を食っているようなイメージを持ちました。生きていく上では様々な罪を犯す人間が、それらを償うように生きていくことの矛盾のようなものを感じる短歌でした。自我。

菊智七星さんの作品から

https://twitter.com/kkc_sevenstar/status/1758825371586421019?s=20

傲慢に生きていこうね目に映る空の全てに虹光らせて

傲慢に生きていこうね、と二句切れで言い切っているところが「全て」な気がします。目に映る空の全てに虹光らせていくのは確かに傲慢かもしれないんですけど傲慢っていうより強欲な気もして、この時点で七つの大罪の2つをコレクションしている点も高評価。この心意気をぜひ忘れずに生きてほしいと思う短歌でした。自我。

めーぷるしろっくさんの作品から

https://twitter.com/May_Rock_2096/status/1758829066432786840?s=20

軽率に試し読みしてほしいけど理解しようとしないでほしい

おわ〜〜〜〜、好きです。主体の、試し読みはわりと軽率にしてほしいけれど、それで結末を知った気になってほしくはない気持ち、が感じられます。まさしく自我とも言える歌でしょう。理解されたい人と、理解はされたくない人に分かれますよね、人類。理解、できないしな〜とも思う反面、寄り添ってほしい気持ちもわからなくはないのですが、この主体は理解「しよう」とすらしないでほしい、なのでそこに確かな意志が感じられます。自我。

サラダビートルさんの作品から

https://twitter.com/kyokousalad/status/1758845880118218800?s=20

僕の絶望はそんなに弱くない負けないでくれ僕の絶望

今回、絶望を詠う作品は少なかったですが、その中でも上手に描けているなと思った一首です。絶望していることを応援しているほど、主体が絶望に身を置いているという生き方が伝ってくる一首です。これが五七五七七で書かれている点も、据わりの良さに繋がっていると思います。短歌として収まりが良いことで絶望を応援するスローガンとしても気持ち良くなっています。自我。

神丘風さんの作品から

https://twitter.com/kmtrf4/status/1758849687598305674?s=20

性別がなかった頃の木登りのなんてひかりに満ちたてっぺん

過去を振り返って、過去が輝いて見えることは共感を得やすいと思いますが、このひかりはそれだけでないと感じました。性別がなかった頃、とありますので本当に幼少期の頃の話でしょう。今の性別に納得できていない主体がいたとしたら、性別がなかった頃というのはどれほど輝いて見えるでしょう。木登り、はどんな性別の人もしていいものですし、てっぺんは太陽に照らされてひかりに満ちているでしょう。そんなことを考えさせられる短歌でした。自我。

汐留ライスさんの作品から

https://twitter.com/RCodome/status/1758851877125623928?s=20

手のひらを太陽に透かさない午後ぼくらはたぶんまだ生きている

手のひらを太陽に、をモチーフにしながらシュレーディンガーの猫的な発想で詠まれている短歌になります。手のひらを太陽に透かして、生きていることを確認する歌を基に、透かさないから生きているかわからない(たぶんまだ生きている)という構造になっている点が面白いです。ぼくら、とあるので主体以外にも同じように生きている実感のない仲間がいるのでしょうか。自我。

なすれさんの作品から

https://twitter.com/Na_Wasure_So_/status/1758853960394584363?s=20

部屋中にペットボトルの死骸がいて ちょっと命があるやつもいる

飲み終えたペットボトルを「ペットボトルの死骸」と表現するところまでは私も詠んだことがありますが、少し残っているものを「ちょっと命があるやつもいる」と表現していることには思わず舌を巻いてしまいました。ゴミが捨てられない主体と、主体にももちろん命があって、もしかしたらちょっと命があるやつ」は主体も含んでいるのかもしれないと思うとより面白い歌だなと思います。自我。

りねんしつさんの作品から

https://twitter.com/CPq2c/status/1758911119463436376?s=20

音楽はなんの愛想もしないけどただそばにいる私が誰でも

音楽に関する連作の中の最後の一首。音楽はこちらから語り掛ければ返事をしてくれることはありますが、音楽から働きかけてくれることはないものです。人間が生み出しているものですからね。でも、そういう愛想はないけれども、いつでも、誰に対しても、等しくいてくれるものでもあります。主体が自分を見失ってるとしても、等しく。自我。

アサコルさんの作品から

https://twitter.com/rara_wcat_tanka/status/1758976961978974616?s=20

いつも死を感じていたい コンビニのおにぎりは死の集合体なり

コンビニのおにぎりが死の集合体という表現が良いですね。死んだ米と死んだ海苔で死んだ具材を包んだものがたくさん並んでいる光景は「死を感じる」にはもってこいの場所なのかもしれません。我々人間は何かの死を踏み台にして生きているということを痛感させられる一首です。自我。

真ん中さんの作品から

https://twitter.com/man_naka__/status/1758986163753570416?s=20

人生に正解はないと言われても僕はいいとこ部分点です。

正解がないものにも関わらず良くて部分点にしかなれない主体の自己肯定感の低さが感じられる一首。人生というもので満点を取れる人はいないと思うので、部分点が取れていれば御の字な気はしますが多分主体は全然だめだと感じているのではないでしょうか。それが「いいとこ」という言葉に詰め込まれているように感じました。もしかしたら部分点すらもらえないかもしれない可能性も考えていることでしょう。自我。

ZENMIさんの作品から

https://twitter.com/ZENMIN15/status/1758988885500289038?s=20

高速道路を跨ぐ陸橋にいつまでもいる渋滞見ている

高速道路で渋滞にはまっている人たちは、旅行だったり、どこかへ向かっている人。それに対して主体は陸橋から渋滞を見ている、動かない人になる構図が描かれています。その対比こそがこの短歌の要旨であり、主体のライフスタイルを表しているなと感じました。自我。

Siさんの作品から

https://twitter.com/si00097155/status/1759036101589950706?s=20

熱っぽく欠けたピースを求めども嵌めれば飽きるパズルの様な

パズルが未完成だと完成させたくなってしまうけれど、完成したパズルには興味がなくなる、主体の熱っぽさと飽きっぽさを感じる一首です。でもきっとすぐに次のパズルを見つけて、いつでも何かに熱っぽく生きていくのではないでしょうか。なんとなく、そんな気がしました。自我。

オオカミさんの作品から

https://twitter.com/wolf_rabbit_/status/1759071554653315184?s=20

個性だよ 誰も知らない詩を歌い題名も無く笑えることも

誰も知らない詩、は自作の詩のことかなと思いました。そして、題名も無く笑える、という表現は素敵ですね。笑うことに題名はおおよそついていないものだとは思いますが、題名も無く笑える、と書くことによって、とりとめもないちょっとした笑顔のことなのかなと読者に想像させることができます。それは間違いなく「個性」でしょう。自我。

四丸よんさんの作品から

https://twitter.com/404_404_40/status/1759082042200060068?s=20

写真を撮る前にパスタを食べちゃうしコアラのマーチの絵柄は見ない

食べちゃう、という食欲が全面に出ていてかわいらしいなと思いました。たしかに、食事を前にしてカメラを構えるという行動は動物的本能に反した行為な気がしてきます。コアラのマーチも主体には純粋に食べ物としてしか認識されていないのだろうということが伺えます。きっと、おっとっとも何の生き物か見ずに食べてしまうことでしょう。自我。

楠木かなさんの作品から

https://twitter.com/kana_kusunoki/status/1759082049762422793?s=20

真夜中の赤信号を渡れないわたしはいつまで委員長なの

この、ある種日本人的「お天道様が見てる」のような理由から「誰もいない真夜中の赤信号を渡れないで待ってしまう」ということはまま起こるかなと思うのですが、それを「わたしはいつまで委員長なの」という下の句が覆してくれます。この主体は自意識によって渡らないことを選んでいるのでしょう。それはかつて委員長だった経験から、模範でなければならないというしがらみ、しかしそのことにアイデンティティも見い出していたのではないかと思います。自我。

せっきをさんの作品から

https://twitter.com/sekkiwo01417/status/1759097062094942467?s=20

ギリギリで切り抜けた日々を切り取られちゃんとした人にされる人々

iiの音の連鎖が心地良いながらも内容はハッとさせられる一首。ギリギリできた、ということはボーダーラインしか見ていない人には見えないもので、余裕の人々と同等に「できた」ということにされてしまいます。ちゃんとした人にギリギリなってしまったがゆえ、苦労している人々は少なくないだろうなと思いました。自我。

花亭いをりさんの作品から

https://twitter.com/iori_hanatei/status/1759102560705851875?s=20

死にたいと詩になりたいは同じもの言葉の野へと消え去る孤独

詩を書きたい、ではなく、詩になりたい、はたしかに「死にたい」に近い感情だと思いました。今は孤独だけれども、死ぬことによって孤独という概念から解放される、そして詩になることで言語野へと帰化し、孤独から解放される、という仕組みでしょうか。脳の言語野のことを言葉の野と表現している点も素敵です。自我。

犬飯右幻さんの作品から

https://twitter.com/se1dy0lk/status/1759129330951803335?s=20

僕の死を羨んでくれよ君だけは安息香の匂いとともに

死にたがっている人々の同盟ってあると思うんですけど、その中の誰かが死んだときって、「羨ましい」と思うものなんですかね、わからないですが、「生きなきゃ」と思う人もおそらくいるとは思うので、その前提においての「君だけは」なのかもしれませんね。悲しむのではなく、羨んでほしい、という主体の切なる願いが感じられる一首です。自我。

大原史さんの作品から

https://twitter.com/Ayaohhara94922/status/1759129589497114716?s=20

うっすらと駄目とイイねを行き来して洗たく物はまだ湿ってた

上の句の解釈が色々できるなと思うのですが、なんとなくお昼寝している状態を想像しました。起きることについて、駄目(まだ寝ていたい)とイイね(起きて活動したい)を揺蕩っている、そんな情景が浮かびました。下の句では起き上がって洗濯物を取り込みにいくんですがまだ湿ってて、時間の経過がそれほど進んでいないことが感じられます。自我。

羽 牟さんの作品から

https://twitter.com/utauomochi/status/1759130064082657750?s=20

春なんてくすりみたいなもんだよね幸福になるし人は狂うし

間違いないですね。言うまでもないですがこの「くすり」は危険ドラッグを指していると思います。幸せになれる薬、なんて言い方もしますが、冬を乗り越えて人は春になるとその日差しに幸福感を得てしまうものだと思います。それに、春になると変質者が増えるという統計があった気がしますが、ソースがなくても浮き足立った人々は狂っているように見えると思います。春なんてくすりみたいなもんだよね、とは言い得て妙です。冬季うつ病の人には良い意味の薬にもなりますし…… 自我。

河原こいしさんの作品から

https://twitter.com/_little_word_/status/1759133113194844569?s=20

あたたかくしめった風に思い出すあの子は舌をしまえなかった

一読するだけで、犬の話だとわかるのがお上手だと思いました。あたたかくしめった風が吹いていても「あの子」は舌をしまえなかったのでしょう。思い出しているあたり、犬は亡くなってしまっているのかなと思うのですが、愛くるしい犬の姿が思い起こされます。自我。

花瀬果林さんの作品から

https://twitter.com/rnc_ssk_/status/1759136577043976454?s=20

埼玉のような人だと言われたい すべてがちょうどいい距離感で

肯定的に埼玉が使われている貴重なシーンな気がしますが、関東圏にお住まいの方はわかるのではないでしょうか。池袋、新宿、上野、と言った東京の主要なところにもアクセスがよく、でも緑も豊かで川越なんかもあったりして、家賃も高騰していなくて……みたいな「ちょうどいい距離感」を「埼玉のような人だと言われたい」に集約させているのが上手いなと思いました。自我。

沙霧 悠さんの作品から

https://twitter.com/SagiriYu_/status/1759140867250786763?s=20

こいのぼりのポールをよじのぼってた自由なあの頃に戻ろうぜ

あれのぼるの難しそうですがのぼっちゃいけないわけではないですもんね、ポールがあったらのぼる人もいるでしょう。でもそれは「あの頃」じゃないとできなかった行為……おそらく幼少期のことだと思いますが、あの頃は持っていた自由さをいまは失くしてしまった主体のでも本当は自由に生きたいんだという意志が感じ取れる一首です。自我。

夏野ネコさんの作品から

https://twitter.com/natsuneko2000/status/1759149253996548116?s=20

アンダスタン、缶を開ければどこにでも置けるたとえば爆弾なども

Understand(理解する)を分解すると「下に」「立つ」となります。(語源的には「下に」ではなく「間に立つ」→近くにいる→理解するのような派生をしたと考えられているようですが)、そのダブルミーニングとして、初句のアンダスタンは置かれているのかなと思いました。最後に出てくる「爆弾」は自分自身のことを指しているのかなあと考えます。蓋を開けてみれば爆弾のような自分だけれども、近くに立っているよという意味で捉えました。自我。

りんかさんの作品から

https://twitter.com/love_kei_ina/status/1759154230823424051?s=20

この先も彩ってゆく人生を(これが私よ)星へと誓う

彩られるのではなく、彩ってゆく、という主体の気持ちが出ていて良いお歌です。この先も人生を彩ってゆくことを星へと誓う描写の中に「(これが私よ)」というとどめのフレーズが挿入されています。それがあなたならもうなにも言うまい、好きに生きてくれ、と星も言うことでしょう。自我。

Kirinoさんの作品から

https://twitter.com/kirino_blue/status/1759195336059539759?s=20

パスワード入る渾名は脆弱なくせに今でもしっかり呪う

パスワードに渾名を入れると脆弱なだけでなく、渾名ってほぼ他人が決めるし他人に呼ばれるので何かしらの思い出を伴うものだと思うのです。それを入力するたびに、何かを思い出すような「呪い」を主体は感じているのかなと思いました。自我。

てとさんの作品から

https://twitter.com/teto_starlight/status/1759197099458167193?s=20

狂いたいか救われたいか分からず人のふりして愛をしてみる

いいですね、だいぶ剥き出しの自我という感じがします。狂いたいし、救われたいんじゃないかなと個人的には感じてしまうところではあります。人のふりして愛をしてみた結果が知りたいですね、何を得て、何を失ったのでしょうか。自我。

さんちゃんさんの作品から

https://twitter.com/X6Efv/status/1759197171751231497?s=20

ハイチュウを分けあうことで確かめるわたしと君のひと日の終わり

一日の終わりを確かめる術は色々ありますが、ハイチュウを分けあうことで確かめるというのは今までになかった視点だなと思いました。普通に一つずつ食べているのか、一粒を半分こしているのか、想像が広がります。ハイチュウでなくてはならない理由はなんなのか、気になってしまいますね。自我。

ウ🌈さんの作品から

https://twitter.com/SJUqJtPcdLoNj40/status/1759199804054487412?s=20

とりあえず輪の中に収まれはする細めのピザにもなれないわたし

細めのピザはどんな輪にも収まれる存在ですね、確かに。きっと大きめに切ってしまったがゆえ、収まれる輪が限られてしまっているのでしょう。わたし、のそういった人の輪に混ざることが苦手な様子をピザで形容しているのが面白い一首です。自我。

しまさんの作品から

https://twitter.com/shima_071/status/1759201940762935306?s=20

ある程度クラスメイトの反応を参考にして打たれる注射

集団の予防接種などの光景でしょうか。主体はノーリアクションを貫けるけれど、何もリアクションしないのは浮くかなと思って「クラスメイトの反応を参考に」して何かしらはリアクションをするのでしょう。周りに合わせられるとも言えるし、合わせすぎてしまうとも取れる風景ですね。「ある程度」だから完全コピーはしないあたりにも主体の自意識が感じられます。自我。

▶️ねねさんの作品から

https://twitter.com/nenemew2/status/1759212571671069073?s=20

感情を三十一におさめても前向きになることなんてない

短歌を詠む人は往々にして光と影に区分される傾向にありますが、この主体は前向きになることなんてない、と言い切っているので完全に影側の歌人と言うことになると思います。感情をおさめる、という言い方をしているので、感情がおそらくとても大きいのではないかなと思いました。三十一音くらいの感情をそっと詠んであげると前向きになることもあるかな、なんて気もします。自我。

昨さんの作品から

https://twitter.com/_11261128/status/1759215583932133836?s=20

昔から折り紙が下手 ガタガタの鶴が群れからまたはぐれてる

折った鶴が千羽鶴に入れてもらえなかったような光景を想像しました。そしてその光景に主体は自分を重ねているのかなとも思います。昔から(今に至るまで)ずっと、なんでしょうね。群れに混ざることが良いことかは考え方次第ですが、「また」はぐれてるということは主体は混ざりたいと思っているのかなと感じました。自我。

好乃智紀さんの作品から

https://twitter.com/yoshino_tomoki/status/1759221237379895792?s=20

運命にフルスイングで殴られてそれでも君と話がしたい

運命にフルスイングで殴られた、というのを「失恋」かなと思って読みました。それも気持ちいいほどの、救いようのない失恋。それでもなお君への思いは拭えず話がしたいと思うのは、無理もないことではないでしょうか。自我。

T・G・ヤンデルセンさんの作品から

https://twitter.com/TGyandersen/status/1759221825886933023?s=20

ポケットの中で電池を握りしめ明るい人になろうとしてる

明るい人になるには電気を灯せばいいんだ!という物理的な解釈、好きです。なれるわけがないと主体もわかりながら、そうするほかない、といった感じで握りしめているのかなと思いました。それも堂々とはやらずポケットの中でやっているあたりが非常に趣深いです。自我。


さて何名分だ?わからないほど書きましたが、10000文字を超えたのでこのへんで終わりにしたいと思います。19日以降になってから投稿されたものは申し訳ありませんがコメントはつきませんが、やってみたいと思ったらぜひ投稿していただきたく存じます。

それでは、またお会いしましょう。

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